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映画「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」感想

ものすごく良い意味で、「思ってたんと違う」。

 長野オリンピック。当時まだ子どもだった私は、正直あまり記憶がありません。スキージャンプで日本が金メダルをとって盛り上がったのは、なんとなくですが覚えています。ただ、今まで何度も繰り返しニュースで観てもいるのでそんな気がするだけかもしれません。
 この「ヒノマルソウル」は、言わば結末がわかっている映画です。田中圭演じる西方さんは代表になれなかったし、日本は危ない中で金を取りました。そして宣伝で、だいたいのストーリーもわかっています。それでも泣ける映画だと。
 田中圭が好きで、それだけで絶対観ると決めていたけど、でもストーリーも結末も知っている映画。ただ純粋に、明確に、期待値は高くありませんでした。

 でもなんでだろう。なんでこんなに、泣けて泣けて仕方ないんだろう。
 車で映画館まで行き、当然帰りも車で帰りました。最初は一人で観に行きました。車の中で、また涙が零れました。じわじわと、温かいものに満たされていくのを感じました。二回目は母と祖母と行きました。帰りの車は、涙をこらえるのに必死でした。
 感動したんだと思います。感動したことは間違いないんです。でも、「感動した」だと足らない気がします。少しだけ、違う気がします。私は確かに、この映画を観て、何かを思い出したんです。

掴みがOKすぎる。

 映画は、西方さんが原田選手(濱津隆之)に「落ちろ」と願うシーンから始まります。
 田中圭さんが、番宣で幾度も口にしていました。「落ちろ、って思うシーンは映画用の脚本(フィクション)だと思っていたけど、(西方さんご本人に)確認したらほぼ事実だった」と。原田選手を見下ろしながらこれを呟いた西方さんは、でもずっと下から、原田さんを見上げながらそれを願っているように思えました。
 西方さんの中に抱える負の感情が詰め込まれたであろう、その短い呟き。後から思うと、それは西方さんが随分長い間抱え込んでいた思いでした。抱え込んで、離したくて、離せなくて、そんな自分が嫌で、それも抱え込んで。西方さんの、痛みさえ伴うような切実な思いを初っ端の小さな呟きからぶつけられて、そこまでの、おそらく痛ましい背景に思いを馳せ始めた私たちを連れて、物語は過去へと遡りました。
 オリンピック選手として輝いていた西方さんが、団体で銀メダルに終わり、その後必死に練習して、年齢にも悩まされ、次は絶対に金だと前だけを見て、怪我も乗り越えて。ずっとずっと、私たちは知りながら観ました。西方さんは代表に選ばれないことを、知りながら観ました。それでも不思議ですよね。西方さんが雪印杯で優勝した後、最後の代表選手が発表される場面で、知っているけど願ってしまいました。選ばれててくれって。「もう選ばれたも同然じゃないですか」なんて葛西さん(落合モトキ)のフリでしかないセリフまであったのに、それでも願ってしまいました。西方さんの願いを、努力を、思いをそれまでに観てしまったから。このときからすでに、私は自分の中にあるものを拾い集めて、それを投影しながら観ていたのだと思います。だからこそ、覚悟していても、知っていても、選ばれなかった西方さんが辛かったです。

幸枝さんの存在感よ。

 妻・幸枝さん(土屋太鳳)とのシーンは、西方さんと一緒に私もほっとしました。西方さんの喜びも落胆もフラットに受け止めてくれる人。いつも変わらずに「おかえり」「お疲れ様」と言ってくれる幸枝さんの存在は、激流のようなところに身を置く西方さんにとって、とても大切なものなのだろうと感じられて、ほっとすると同時に、救われてもいました。
 それでも、やはり男としてなのか、幸枝さんにおおっぴらに弱音は吐かないんですよね。西方さんがお酒に逃げるシーンも痛くて辛かったな。自分がお酒飲むからわかるんですが(笑)、飲んだって何にも解決しないんです。「オリンピックが全てじゃない!」って叫んでも、多分西方さんの中で別の自分が叫んでるんだと思います。「オリンピックが全てだろ!」って。お酒が抜けてから、自分で言ったこと、思い込もうとしたことがからからに乾いて散っていく。後に残るのは、悔しさと、後悔と、怒りと、悲しみと。そういう、しんどくて受け止めきれない負の感情ばかりで。初めて飛んで夢中になったはずの場所に行っても、膝をついて嘆くしかない西方さんの姿が痛ましかった。そこでも幸枝さん、すごいなって思いました。慰めるでもない、現実的な話を自分の気持ちと擦り合わせて伝えて、最後に言うのが「辛そうに飛ぶ仁也くんを見たくない」って、すごく、愛しかないですよね。尽くすとか、献身的に支えるとか、そんなんじゃ言い表せない、西方さんへのまっすぐな愛を感じました。

愛すべきテストジャンパー

 2回目は母と祖母と観に行ったのですが、観終わったあとに母に言われました。
「主人公ばかりが目立つ映画じゃないのもよかったね」と。
 この映画って、事実に基づいた物語なのも手伝っているとは思うのですが、登場人物全ての人が魅力的なんですよね。それぞれに抱えているものがあって、ちゃんと悩んでて笑うのも悲しんでるのも怒っているのも、その人のこれまでの人生の奥行きまで見えて、愛しくて愛しくて仕方なかったです。南川さん(眞栄田郷敦)が飛べたとき、高橋さん(山田裕貴)の耳に歓声が届いたとき、もちろんそれ自体への感動もした上に、一人の人の大きな一歩を見せてもらえたような、そんなものすごく熱い気持ちにもなりました。西方さんの人生には、こんなに素晴らしい人たちがたくさん関わってるんだなって。そんな人たちの人生の一部を見せてもらえたことに、ただただ感謝したいです。
 そして西方さんとテストジャンパーたちとのシーン、ほんとにどれも好きなシーンばかりなのですが、中でも一番好きなのが、テストジャンパーの中で唯一の女性ジャンパーである小林さん(小坂菜緒)と西方さんのシーン。お父さんにテストジャンパーを反対された小林さんを追いかけて話をした西方さん。小林さんの「いつか女子スキージャンプがオリンピック正式種目になるまで、私は飛びたい」という熱くまっすぐな思いを真正面から受け止めた西方さんを観て、私、ここでぶわっと泣いたんですよね。自分でもびっくりです。そしたら西方さんの目にも涙が浮かんでてまた泣けて。泣けるシーンではないはずじゃ? なんでだ? って思いました。
 きっとこのとき、西方さんも、私も、そしてもしかしたらあなたも、思い出したのかもしれません。この小林さんと同じような思いが、いつかの自分の中にもあったことを。
 キラキラとした、そのときの西方さんには眩しすぎるものを受け止めて、そんな小林さんから「ジャンプを教えて欲しい」と請われて、すごく、すごく嬉しかっただろうな。濁りの無いまっすぐな小林さんの見つめる先に、自分がいられることがきっと、とても誇らしかっただろうな。西方さんの今までを、きっと無意識下のうちに全肯定した小林さん。今女子スキージャンプという種目があることが、心から良かったと思いました。

ここからバスタオルもう一枚。

 宣伝でも散々流れていた西方さんと原田選手の言い合いのシーン。あそこ、私はてっきり二人きりのときだと思っていました。でも実際は、他のテストジャンパーたちが見ている前でした。周りのことを忘れるくらいに激高した西方さんの、辛く苦しい思いをただ受け止める原田選手。言ってしまったあとの西方さんの後悔も読み取れる二人のこのやりとりがあったからこそ、この後の2人の絆も深まったんじゃないかな。
 飛ぶことを決めたテストジャンパーたち。みんなが飛んで、西方さんも飛んで。このときのMAN WITH A MISSIONの曲の入り方が絶妙ですよね。

 待って待って。泣いてしまうよー。

 そこからの、西方さんが原田さんを見上げてのセリフ。
「原田、飛べ」
 再びの決壊。涙腺決壊です。
 皆さん、この映画、どんなふうに始まったか覚えてますか。覚えてますよね。西方さんが「原田、落ちろ」と願うところから始まったんですよ。ずっとずっと、金メダルがとれなくて、代表に選ばれず、テストジャンパーを引き受けても俯いたまま、落ちてしまった地上から原田選手たちを見上げていた西方さん。「落ちろ」。「飛べ」。そしてこの前の、「おまえが金を取るところなんか見たくない」「俺が原田に金をとらせます」も、どちらも間違いなく、語弊があるかもしれませんが間違いなく西方さんの本心で。心からの、願いで。
 「落ちろ」と願っていた西方さんが、きっと日本中の誰よりも強く強く、原田選手に向かって願った「飛べ」。こちら側までジャンプした先の景色を、見せてもらえた気がしました。

 西方さんが最後にもらった、息子・慎護くん(加藤斗真)からの金メダル。ベタだよね。よくある展開。もうそれが、たまんなかった。ここも実話なのかな。だとしたらなおたまらない。
 綺麗事とかじゃなくて、きっと西方さんにとって、もしかしたら貰っていたかもしれない本物の金メダルよりも大切になったであろうその金メダル。それは慎護くんが作ってくれたからってだけじゃなくて、西方さんが今までで一番きれいな景色を見たあとのものだから。慎護くんに言っていましたよね。「金メダルは、一番きれいな景色を見た人がもらえるんだよ」って。西方さん、言ってましたよね。「今まで見た中で一番きれいだった」って。どんな伏線の回収の仕方だよ頼むよ。めちゃくちゃ感動しちゃったよ。ありがとうございます。

俳優、田中圭よ。

 突然ですが、私は田中圭の涙が好きです。語弊がありますね。涙も好きです。違うそうじゃない。田中圭がその役を生きながら流す涙が好きです。

 春田さんの素直な涙も。(これは田中圭か?)


 黒木さんの泣かない涙も。(黒木さんは自分を責めて自分の中で泣くんだよ)


 ジャスミン泣きも。(これは趣味)


 全部全部大好きでおすすめなのですが、西方さんも私の中の田中圭の演じた涙が好きな役上位に食い込んできました。
 映画の中でたくさん泣いていた西方さん。その涙の美しさが、拝むレベルでした。
 金メダルを取れずに帰ってきた西方さんを幸枝さんが迎えたとき、普通の態度で話していたけど、ふいに「もう少しだったんだよなあ」と俯いて泣きました。泣き顔を見せないまま、ぽたりと零れ落ちる涙が見えました。ああ、この人はこんなふうに泣くんだなって思いました。誰かに見せる涙ではなく、ただ自分だけで泣くんだなって。それまで責任を感じて泣く原田さんを慰め、元気づけて、きっとチームの中で年齢もありまとめ役だっただろう西方さん。張りつめていたものが幸枝さんの前で解けて、零れ落ちた涙。西方さんの気持ちが痛いほどに伝わってくる、切なくて苦しい涙でした。
 この涙を再び思い出したのが最後です。
 慎護くんからもらった手作りの金メダルを手に、俯いて、そこから零れた涙がきらりと光りました。「ああ、報われたんだな」と思いました。西方さんはこのとき、慎護くんを抱きしめながら、金メダルだけ目指して必死で生きてきた自分のことも、やっと抱きしめてあげられたんじゃないかな。映画を観ながら、西方さんと一緒に切なさや悔しさを感じていた私たちの中の最後のかけらまで、このあたたかい涙で昇華されたような気がしました。
 西方さん、顔を上げて、声を上げて泣いていいんだよって言ってあげたくなる、そんな愛おしい人間を田中圭が生きてくれました。

最後に総括させてください。

 事実に基づいているからなのかもしれませんが、この映画は西方さんの成長の物語などではないと思うのです。テストジャンパーを引き受けて、そこの仲間たちと過ごして、成長するお話ではないのです。語弊があるかもしれません。成長はもちろんしていて、でも、それは西方さんだけでなくて、南川さんも、高橋さんも、小林さんも、みんなです。
 みんなきっと、一度は自分に問いかけてる。なんでこんなことしてるんだろう。なんで自分は飛ぶんだろうって。
 西方さんは、テストジャンパーとして最後に飛んだあと、幸枝さんに言います。「ジャンプを辞めるのを、辞める」と。それに対しての幸枝さん。仕方なさそうに、愛おしそうに、「しょうがないか。好きなんだもんね。ジャンプ」西方さんが笑います。「うん」。
 もう、泣きました。ここで幾度目かの、涙腺決壊しました。
 西方さんは、南川さんは、高橋さんは、小林さんは、原田さんは、みんな。みんな、ジャンプが好きなんです。好きだから続けて、飛んで、飛んで、その先にオリンピックがあった人と、無かった人がいて。この映画は当時の長野オリンピックが舞台なんですけど、物語の主軸はオリンピックではありませんでした。人間の物語でした。弱くて、強くて、愛おしい、人間の物語でした。
 日本がとった金メダルの裏にいたのは、藻掻いて、足掻いて、ただ飛ぶことが好きな25人でした。勝手に使命感を持って、自分たちのジャンプがメダルに影響するんだって胸張って、誰も歓声をあげない中飛んで、飛んで、飛んで。好きだから。飛ぶことが好きだから。自由になれるから。いつかの夢のために。乗り越えるために。綺麗な景色を見るために。
 私たちもあるんですよね、そういうの。今やってること、なんで始めたんだっけ。今こんなに辛いのに、なんで続けてるんだっけ。苦しいのに、やめたいとも思うのに、ねえ、私たち、なんでやめられないんだろう。
 西方さんが子どもの頃に見た景色を、私たちもきっと見てる。比喩になるけど、見てたり、触れたり、感じたりしている。それを忘れられなくて、もっと見たくて、感じたくて、触れたくて、好きで、好きで好きで。西方さんがいつしかオリンピックばかりを見据えて、それがすべてになっていたように、私たちも先を、別のところを見すぎてしまっていることがあるのかもしれない。この映画を観ながら、語り掛けられた気がしました。好きなんだよねって。あなたも好きなんだよねって。
 オリンピックという、壮大な舞台での物語だったのに、私が観ながら触れたのは、私の中にある、私の隣にあるものでした。そこから呼び起こされる感情が、西方さんたちの気持ちとリンクした気がしました。
 西方さんは決して強くなくて、でも弱くもなくて、抱え込んだものを原田選手にぶつけてしまって、それを最低だって落ち込んで。田中圭さんは、演じた西方さんのことを「主人公らしくない、ずっとうじうじしてる」っておっしゃっていたけど、そんなことなかったですよ。愛おしくてたまらなくなりました。自分もどこかで抱えてしまったことのある思いを、後悔を、感動を、全て見せてくれました。
 ねえこれ、オリンピックの話じゃなかったよ。西方仁也っていう、ただひたすら愛おしい人の人生の一部を見せてもらえる物語だったよ。
 この映画を観たら、西方さんのことはもちろん、高橋さんたち他のテストジャンパーや原田選手たちのことを大好きになれて、そしてもしかしたら自分のことも今より少しだけ好きになれるかもしれません。
 まとめます。
 とても、とても、とても、よかった!!!!!!!! おわり!!!

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