見出し画像

ワンちゃんの旅立ち

2024年2月13日の朝、僕はこれまでの人生で一番悲しい出来事を経験した。最愛の存在だった愛犬が旅立ったのだ。noteのアイコンにしているこのワンちゃんだ。2013年4月、保護団体から家族に迎えて約11年、享年推定16歳だった。僕にとっては、どんな時も一緒の、かけがえのない相棒そのものだった。

直前まで元気だっただけに、突然のことでショックは大きく、いまだにまったく心の整理ができていない。もちろん、生き物を飼うときの常ではあるのだが、早め早めに薬を飲ませ、半年に1回は検診を受け、健康長生きのための高価なサプリメントも与え、食事の質にもこだわり、実際、年齢の割に見た目も若く、もうあと2年くらいは生きてくれると思っていたので、あまりにも突然という気持ちが強く、現実を受け止めきれていない。今の思いをこうやって認めることで、少しずつでも心の整理がつけられればと思う。また今この瞬間の気持ちを形に残しておきたいとも思った。

(2024年2月18日追記: 愛犬のモンくんが旅立って5日。体調が急変したあの夜から今晩でちょうど1週間になる。あんなにかわいかった存在が、今はもういないんだという現実からくる悲しみが、毎朝起きるたびに心を襲い、胸をキュッと締めつけて胸が苦しく、痛い。まだまだ癒えそうにない…)

僕個人は、直近まで、仕事もプライベートも順調だったので、その反動は大きい。すごい落差で今は奈落の底といった感じだ。まったくの無気力で、仕事も趣味も何もする気が起きないし、今この文章を書いている時点で、会社には事情を伝えて休暇を頂戴し、11年の間に撮り溜めた大量の愛犬の写真や動画を見ながら、ひたすら在りし日の愛犬との思い出に耽っている。

まずは、亡くなる直前について書いておきたい。2月10日から12日にかけての3連休、前半はほぼ愛犬との時間に充てていた。
ここまで書いて、これ以降も愛犬と書き続けるのも変なので、名前を書いておくと、ヨークシャーテリアの男の子、モンくんだ。家族に迎えてすぐ、自分が名付けた。日本の男性の古い名前に「○○門」というのが多い(ドラえもんとか)のと、フランス語(第二外国語として専攻していた)のMon (意味は「私の」、英語だとMy)が由来で、和洋両方の意味を兼ねるという意味で名付けたが、何より「モン」という語感や音の響きが、モンくんにはピッタリと感じたからだ。

2024年に入ってからのモンくん

さて話を戻すと、2月10日土曜日、3連休初日、モンくんとの日課の散歩に代々木公園を訪れた。いつものコース1周約2km、モンくんの若い頃に比べてだいぶ時間はかかるが、まだまだ元気だった。最近は代々木公園を出る時、自転車の前カゴの犬用のAIR BUGGY製のリュックに乗せて、自転車からの景色や風を感じながら自宅まで帰るのがお気に入りなのだが、この日はまだまだ歩き足りないとおかわりを要求したので、自宅までのさらに1kmの距離を歩いて帰ることにした。自宅近辺まで来ると、目もほとんど見えないのに、それを察したモンくんは必死に家と反対方向に行こうとするし、家に気づいていない素振りでさりげなーく僕を違う道に誘導しようとする。かわいくてしかたないのだが、さすがにこれ以上歩くと老犬の身体に堪えるだろうから最後は強制的に持ち上げて連れ帰った。この散歩の途中に、「持病の薬も切れたし、定期的な検診もそろそろしないとな」と思い立ち、かかりつけの動物病院に電話したところ、明日日曜なら大丈夫とのことで予約した。

2月10日、家の前でまだ散歩すると主張するモンくん

日曜日午前、以前住んでいた場所の近所にある動物病院をモンくんを連れて訪れた。自宅から自転車で30分くらいの場所で少し遠いので、モンくんを預けている間、近所の公園(モンくんの若い頃、数え切れないほど一緒に来た場所だ)で英会話や読書などして暇を潰していた。なかなか連絡が来ない。2時間半くらいと思っていたが、結局4時間経って連絡があり、モンくんを迎えに行った。迎えに行ってみると、病院内をトコトコ歩き回っており、相変わらず元気そうに見えたし、先生からも詳細な検査結果は後日だが、心音も足腰も問題ないとのことだった。モンくんを引き取っていつものリュックに入れて自転車を走らせるが、やはり途中で歩きたそうにするので、おろして歩かせては、また自転車に乗せるということを何度もしつつ帰宅した。

軽くシャワーを浴びさせると、次はモンくんのご飯の用意だ。検診のため朝から何も食べていないモンくんは、台所でご飯の支度をしている僕に、早く!と下からプレッシャーをかけてくる。時刻は16時頃。いつものLE CREUSETのお皿にササミなどのご飯を入れて床に下ろした瞬間食べはじめて、一気に完食。僕も自分用に途中で買ったお弁当を食べていたが、先に完食したモンくんが、そっちも食べたいとおねだりするほど。ヘルシーなヴィーガン弁当を食べていたので、犬の身体にもやさしそうなポテトなどを少し摘んで与えたりした。ここまでは平穏な日常だった。

ところが、そこから1、2時間後のことだっただろうか。食べたものを全部吐いてしまった。もちろん、時々は吐いてしまうこともある。最初はあまり気にしなかったが、この日は2度3度繰り返すので、日課のランニングをする予定を変更して家で様子を見ることにした。最終的に吐くものがなくなっても飲んだ水さえも戻し、計6回程となった。その後は体調が悪そうにフラフラと部屋を歩き回るので、抱っこして夜中まで過ごした。ただ僕もさすがに眠くなり途中で寝たのだが、明け方から数回「クゥーン」という声や、より強く「ワン!」という声に起こされて、その度に抱っこして落ち着かせるというのを、月曜のお昼頃まで繰り返した。ここ1年ほど、人間で言うところの「認知症」の症状が出始めていたモンくんは、深夜徘徊したり、吠えることも増えたので、そこまで異変を感じられなかった。吠えられるのは、むしろ少し元気を回復した証拠かなと思って、お皿にご飯をのせてあげたが、口にはしなかった。

お昼過ぎ、いよいよぐったりとして、膝の上に乗せても動こうとしなくなった。その時、僕に抱かれたモンくんに今まで見たことのない発作が出た。ただごとではないと慌てて、かかりつけじゃない近所の病院に電話を入れて、モンくんを連れて行った。抱き抱えても、いつもなら人間より体温が高いので熱を感じるのだが、今日は感じない。すぐに血液検査などを行ったが、結果は腎臓、すい臓、肝臓など複数の臓器に関する数値が完全な異常値、胆嚢の拘泥も酷く破裂している可能性あり。心臓にも不整脈があり、黄疸も出ているという深刻な状況だった。まずは抗生剤をうち、少しでも回復するよう、また身体中に回っている毒素を薄めるよう、静脈点滴をしてもらう。途中また発作が出た。腎臓が機能しないことで急速に毒素が身体中に回ったことが原因だそうだ。長く続くと脳にもダメージがあるとのことで鎮静剤も処方された。また、病院が閉まってからも点滴ができるよう、機材を借りてモンくんを連れて自宅へ帰った。
家に帰って教わった通りに行ってみるが、すぐに詰まっているというエラーメッセージが出る。仕方なく近所の24時間の病院へ。
とにかく点滴できるようにしたいだけなので、優先して迅速に対応してもらい、帰宅した。
モンくんを抱き上げると、さっきより反応が悪く、ぐったりとし、人への反応もなくほぼ昏睡状態となった。今回は点滴はうまくいき、エラーも出ないまま時間が流れた。徹夜体制だが、時々うとうとしては、目が覚めてまだ息があることを確認する。9時間が過ぎ、午前9時半となった。10時には昨日の病院を予約している。そろそろ支度しなきゃと一瞬目を離した瞬間だった。気付いたら呼吸が止まっている。僕は泣きながら「モンくん?モンくん?」と身体を揺するが反応がない。モンくんは静かに旅立った。

一日中泣いたが、いや翌日も、これを書いている今日も泣いているが、火葬業者に予約をし、その時間までの間、モンくんを、大好きだった植物、お花で囲み、最後の時間を過ごした。お骨になったモンくんは今、リビングで、生前のモンくんが使っていたお洋服、テント、バッグ、帽子、お皿、リード、ハーネス、お花などに囲まれている。

今でも思い出すのは、嘔吐した日の夜、辛いにも関わらず、僕が抱っこして「大丈夫?」って繰り返し声をかけると「大丈夫だよ」と力なく舌で僕の顔をひと舐めしてくれたこと。2回ほどしてくれた。相当辛かっただろうに、本当にやさしくて、涙なしに思い出すことはできない。

さて、時計の針を11年前に戻したい。
2013年3月、それ以前に飼っていた同じくヨークシャーテリアのみきちゃん(男の子)が旅立った。この子も保護犬で、2011年3月に引き取った時点でかなりの高齢犬だったので、2年しか一緒に過ごせなかったが、感情豊かで賢い犬でしっかり愛情に応えてくれる犬だったので、失った悲しみは深く、こんなに悲しい気持ちになるならもう二度と犬は飼わないと最初は思ったが、やはり心の穴を埋めたくなり、その翌月には、モンくんを迎えることにした。小柄なみきちゃんとは対照的な骨太のがっしり体型のヨーキーだ。あとで出てくるエピソードでも書くが、性格も対照的だった。
さて、どこまで事実かはわからないが、モンくんには保護団体から聞いたいくつかの逸話がある。それをまずは紹介したい。

まず、モンくんは何らかの理由で東京都23区内の保健所に持ち込まれて、殺処分対象となっていたようだ。ところが、施設の職員さんに、この子は殺せないと、特別に施設内で飼われていたらしい。モンくんのことだから悲壮感もない顔して、おじさんたちにおしりすりすりして甘えてたのだろうと想像に難くない。それがために、出入りする保護団体がモンくんに気付くのが遅くなったらしい。もっと早く発見されてたら、うちが引き取ることはできなかっただろう。
また当時、毛がボサボサに伸びていて、それを切って下にスティルグレーの毛があることに気付くまで、ヨーキーとすら認識されていなかったらしい。
保護施設に引き取られたモンくんは、そこでも良い意味での人たらしぶりを発揮して、チャー坊(当時はかなり茶色の強い毛色だったため)と呼ばれて可愛がられ、職員さんの布団で一緒に寝る特権まで勝ち取っていたようだ。
さて準備が整い、団体のwebsiteに里親募集が掲載された日、それを見た妻が当日のうちに団体へ連絡。お試しの一番手の権利を得た。少しでも遅れるとその日のうちに何件も問い合わせがあったらしく、ギリギリだった。モンくんが旅立ったあと、その保護団体のwebsiteを見に行くと、当時の里親募集の写真と文章がまだ掲載されていて、これは今見ても人気殺到するに違いないという感じだ。まず保護犬特有の悲壮感がモンくんには全くない。とても殺処分される直前だったという感じがしないのだ。あと、人が大好きで甘え上手なところも、おそらく保護される前、虐待の類いを受けたわけではないのだろうなと容易に推測できる。

里親募集の掲載写真
http://drct.gr.jp/protecteddog/130326H-YTPM.html

さて、お試しでモンくんを自宅にお迎えして、仕事から帰宅してはじめて会った瞬間、このまま引き取る以外の選択肢はなかった。当時モンくんは、まだ大人しくて、僕をみてゆっくりと穏やかに甘えてきた。
こうしてモンくんとの生活がはじまる。
モンくんも、はじめは大人しかったが、というか、基本的にイタズラなどはしないお利口さんなのだが、徐々に自己主張したり、ワガママを言ったりはできるようになってきた。家族になるのに時間はかからなかった。

うちに来て3ヶ月ちょっとの頃のモンくん

すぐに散歩が僕の日課になった。それ以前に飼っていたみきちゃんも老犬のわりに結構長い距離を歩いたが、モンくんはまだ若く、その比じゃない。日々、近所の公園に散歩に行き、公園までの1km超の距離を一瞬も休まず、走って向かったりすることもあった。
特に、前の会社を退職して有給消化中だった2014年12月の1ヶ月は、特にどこに遠出するでもなく、ひたすら毎日モンくんと散歩してたなというのを思い出す。
週末はモンくんを連れて代々木公園まで行くことも多く、今代々木公園の近くに住んでいるのもこれがきっかけだ。

モンくんの面白エピソードはたくさんあるが、その中でも特に思い出すものをいくつか紹介する。

まず一番に思い出すのは、
代々木公園の中央広場で、モンくんにハーネスとリードをつけて、僕が走って後ろからモンくんがついてくるということをしていたのだが、ふと後ろを振り返ると、モンくんには少し大きめな緩いハーネスが外れてしまい、僕は空のハーネスだけを引っ張っていた。あちゃーと思って、モンくんはどこ?と思った瞬間、ハーネスの後ろをモンくんが一生懸命走ってついてきているではないか。モンくんはハーネスが外れていることに全く気付いていない。
行楽シーズンの良い天気に恵まれた休日の代々木公園の中央広場。ご存知の方にとっては想像がつくと思うが、人で溢れかえっている。僕とモンくんの周りに大爆笑が弾けたのは言うまでもない。

代々木公園のモンくん
草に囲まれてるの大好きモンくん
代々木公園ではしゃぎすぎてお眠なモンくん

また、
モンくんは芝生の上で裏返って背中を芝生にすりすりするのが好きなのだが、と言っても老いて背中が曲がってからはできなくなったが…
ある日、何を思ったのか、代々木公園の池の縁の斜面で突然それをはじめて、そのまま池に転げ落ちてしまい、びちょびちょに濡れてしまったこともあった。基本、ちょっとお馬鹿さんなのだ。

芝生の上で裏返るのが大好きモンくん

一時期、我が家の大先輩の亀に興味深々だった時代もあり、腰が引けながら威嚇していた動画など今見ても笑みが溢れるし、基本的にモンくんは、猫やカラスに舐められがちなので、その手のエピソードは豊富だが、一番かわいかったのは、すごく人懐っこい(犬懐っこい?)猫に付き纏われて、モンくんが吠えて追い払おうとするのだけども、猫も全然動じなくて、最終的に悲痛な声の「ワン(泣)」になったのもかわいかった。

台風のため一時お風呂場に退避させた亀に興味津々のモンくん、胴長短足がまたかわいい

おやつどっちだ?ゲーム
よくやる遊びだが、おやつが左右どちらの手の中にあるか当てさせて正解したら食べられるという遊びをよくやったが、モンくんはルールを理解せず、自分がこっちと指した方の手の中におやつがないと、もう片方の手を爪で強引にこじ開けて食べようとする。それもまたかわいかった。
モンくんは、それがかわいらしくて長所でもあるのだが、先代のみきちゃんとかとも比べて、あまり賢くない。鏡も理解できないし、TVも認識できない。なぜか、かなり老犬になってから鏡がわかるようになったが。

先代のみきちゃんは、すごく気が強いところがあって、それはそれでかわいいのだけど、モンくんはまた全く違う個性があってそれも面白かった。モンくんは基本的に叱るとすぐに「ごめんなさい」ってお腹を見せる。また、たまにモンくんがいるのに気づかず誤って蹴ってしまうことがあるが、その瞬間は「ワン!」というものの、「ごめんね」と撫でると一瞬で許して舐めてくれる。
モンくんは、犬の保育園に預けたりすると、だいたいそこの職員さんに甘えることと、ボス格の犬に服従するというポイントを押さえることに抜かりがない。きっと世渡り上手なのだろうな。

日当たりの良い今の家に引っ越してからは、冬の季節、時々気付くと、日が指している日中、窓際でその場所を見つけて日向ぼっこしている時があるので、そこにバスタオルを敷いておいてあげると、そこを使うようになった。でも、なぜか、そこで人に気付かれるといつも途中で日向ぼっこをやめてしまう。その理由はなんだったのか…
かわいいと思って見てるだけなので、そのまま日向ぼっこを続けてほしかったのだけど…なぜか、「叱られちゃう」って反応だった。

冬の時期お気に入りの日向ぼっこスペース

新型コロナが蔓延した2020年以降、一緒に過ごす時間はより長くなった。特に、完全リモート勤務の頃は、自宅のデスクで仕事をしている間、モンくんは、一日中、その横にある僕のベッドの上で寝たり、こっちを見たりしていた。

在宅勤務中の僕をベッドからじっと見つめるモンくん
かと思えば、僕の在宅勤務中はだいたいこんな感じで爆睡

後年は白内障を患い、最後はほとんど目の前数センチくらいしか見えていない感じで部屋の中でも頭をぶつけたり、変なところに入り込んでしまったりしていたし、耳も人間の通常の声は聞こえず、腰も曲がって、独特な、でもかわいい感じの歩き方になっていった。認知症も進行して、少し不在にすると、ものすごい大声で疲れるまで吠え続け、夜中でも吠えることもあった。そのため最近はなかなか手が離せず、在宅勤務を増やし、Furbo(ペットの見守りカメラ)を使って外出先からも頻繁にチェックすることも増えていた。睡眠不足の日も増えたが、モンくんのためなら苦にはならなかった。Furboで思い出したが、遠隔でFurboからおやつを出せる機能があるのだが、モンくんは、それが待ちきれず、本体をこじ開けようとして、Furboを倒したりしていたな…

最後の3年半は、メゾネットタイプの家に住んでいたのだが、引っ越して早々に、モンくんが自分で階段の昇り降りができるよう、早々にカーペットを買って自分で階段のサイズに切って敷き詰めて、モンくんが滑らないようにした。最初は自分で昇り降りしていたが、徐々に、自分ではかなり気合を入れないと昇り降りが難しくなり、鳴いて訴えるので、日に10回以上は抱いて往復したものだ。階段の途中まで自分で行って立ち往生していることもあった。最晩年はなぜか下の階のリビングで一人で寝るようになったが、それまでは、僕のベッドで一緒に寝ていたし、日中もベッドの上で寝ていたことが多かった。

Furboの前でおやつが飛び出すのを待っているモンくん

ペットは家族とはよく言うが、僕にとってのモンくんはそんなものではなかった。
モンくんは、僕の一部だった。しかもかなりの部分を占める一部だった。その存在がいなくなった今、僕は空っぽだ。僕の大切な存在が亡くなったのではなく、僕自身の一部が無くなった。
朝起きて、階段を降りてリビングでまず、無意識にモンくんの居場所を探してしまう自分がいる。何か食べていてもモンくんはもうおねだりには来ない。ビールの缶をプシュっと開ける音でモンくんを起こしてしまう心配ももうない。外出する際、モンくんの心配をする必要ももうない。ほんの数日前まで、生活のあらゆるところに、当たり前のように存在していたモンくんが、今はもういない。家のどこにいても聞こえてくる、モンくんのトコトコトコとリビングをゆっくり歩くかわいい足音ももう聞こえない。喪失感。今は、僕の好きなSalyuの「風に乗る船」という曲が頭の中で無限ループしている。僕のことが大好きだったモンくんという存在はいなくなってしまったが、一緒に過ごした時間、その記憶までなくなるわけではない。自分にそう言い聞かせている。本来、こういうときに、こういうことをインターネット上で書きたいとは思わないタイプの人間なのだが、こういう記事を書いてしまった心情は、モンくんが存在していたという証しを少しでも残したいという心情なんだろうと思う。

直前まで、僕の生活は、自分で言うのもなんだが、結構充実していた。仕事は順調で、ジムでの筋トレとランニングに励み、そのために食生活を見直し自炊をし、1年ぶりの海外出張が決まり英会話レッスンにも力を入れ、noteに記事も書き、いろんなことへの意欲にみなぎっていた。でも、それはいつもモンくんが側にいたから。いなくなった今、何に対しても全く意欲が湧かない。代々木公園にはモンくんとの思い出が詰まりすぎていて、そこで日課のランニングをする気にはならないし、美味しいものを食べたい気持ちすらなくなった。モンくんが苦しんで亡くなったのに、自分だけ幸せでありたいとすら思えない。これがペットロス症候群なのだろう。みきちゃんの時も経験したが、過ごした時間が長かった分、今回はその比ではない。時間が解決してくれるのだろうか。
ちょうど、旅立った直後に、もうモンくんが食べることのないドッグフードが届いた。多分、近々、検診結果のお知らせが来るし、次のトリミングの日程の連絡も来る。その度に心が痛む。
今はただ、つらい、つらい、つらい…

最後に、
保護犬は飼えます。十分に心を通わせられます。愛情を注げば注ぐほど返してくれます。ただ、時間的拘束(日々の散歩)、旅行など長期不在にはできないこと、経済的負担(食費、病院、薬、トリミング、保険、その他、衣類、ハーネス、バッグ等の周辺グッズ、等々。モンくんの場合、サプリメントなども含め、月に約5万円でした)、そのワンちゃんが老犬になった時の自分や家族の年齢や体力などを考えて、犬種なども含めて真剣に考えてから、責任を持って家族に迎え入れてあげましょう。

最後の最後にモンくんアルバム

いつも寝てる途中ではみ出してくるモンくん
見返り美人モンくん
トリミング後お迎えに行った僕を発見したモンくん
気持ちよさそうに爆睡モンくん
笑顔で寝てるモンくん
おねだりモンくん
もう海外出張には行かせないぞと主張するモンくん
安心すやすやモンくん
おおあくびモンくん
油断しすぎモンくん
寝ている後ろ姿もかわいいモンくん
モンくんの内面をよく表している1枚
電気ストーブで暖をとるモンくん
散歩のおかわりがしたくて脱走を試みるモンくん、心なしか顔つきが少し勇敢な感じ
自転車からの眺めが大好きだったモンくん
でも最近は散歩で疲れて外を眺めないことも・・・
ポーズを決めてちょいワル風なモンくん
白内障進行防止のためのゴーグルは本人のお気に召さず、すぐに使わなくなった…
キャップのつばにサングラスを付けるスタイルへ、これもけっこう嫌がってたけど・・・
サングラススタイルのモンくん(その2)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?