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人生がもう1世紀あればいい、妻とか大人にまだなれなくて

結婚したくない、と物心ついた頃からずっと思ってきた。正確には私に結婚なんてできないと思っている。それは今も変わらない。

でも、いつまでも子どもみたいに単純に「嫌だ」と言っていたところで、残念ながら多くの場合はただの「アタシは周りとは違うアピール」にしか捉えられない。
その上「いつか気も変わるよ」とか「変えてみせるよ」とか「してみたらいいものだよ」とか、そうじゃないんだよなぁという斜め上からの言葉しか掛けられないので、少し真面目に自分は結婚がどう嫌なのか、本質を考えてみることにした。


最初に結論を言ってしまうと、私にとっての結婚は「婚姻届を出すこと」ただそれだけなのだ。そしてそれが、世間の結婚に対する認識とズレている自覚があるから、「(世間の指す)結婚は嫌」と言うしかない。

私個人としては、婚姻届を出しているのであれば、別居していようと結婚式を挙げていなかろうと「結婚している」と言えるのだろうと思う。
逆に言えば、何年同居していようと結婚式だけはしていようと、何なら子どもまで持っていようと、婚姻届を出していないのであればそれは「結婚はしていない」、いわゆる「事実婚」なのだと思う。

例外として、そもそも現在婚姻届を出せないカップルもいるだろう。
でもその場合も、婚姻届を出せるカップルと変わらず、パートナーシップ制度なり養子縁組なりの何らかの法的手続きをしていれば「結婚している」状態だし、そうでなければ「事実婚」だと私は認識している。


だからとにかく、私が結婚するなら婚姻届だけ提出して、必要な各種名義変更だけ完遂してイベントを終了したい。私にとって結婚に必要な条件はそれだけだ。
だけど交際相手、ひいては世間が認識している結婚はそうじゃない。

「結婚式を挙げて、一緒に暮らして、いつかは子どもを産み育てる」。
それら全てが揃ってこそ結婚だと、わざわざ確かめるまでもなく誰もがそう思っているだろうと、多くの人は信じて疑わない。
わざわざ聞かないだけで、聞いてみたらそうじゃない人もいるんだろうけど、それでもスタンダードはこんな感じだろう。


そして、それは私の思う結婚とは違うから。
一緒に暮らすことはギリギリできるかもしれないけれど、パーソナルスペースはきっちり確保したい。生家ですら家人とスペースを共有して、どこに何があるかも分からないし自分の好きでもないものが増えていくのはストレスだったのだ。元は他人だった相手と、そんな生活が長く続く気はしない。

結婚式は挙げたくない。私にとっては恥ずかしすぎて罰ゲームだ。自分の結婚を知らせたい相手には、直接会って結婚の事実を伝えられればそれでいい。わざわざ費用と時間をかけて大々的にセレモニーを催す必要性を感じない。結婚式は花嫁さんのものとか、女の子なら結婚式には憧れや夢持っちゃいますよねみたいな空気にも触れたくなんかない。
妊娠や出産は想像するのが生理的にきつい。自分の中で自分ではない生命が育っていくのが怖い。誰かの一生なんて責任を持てない。



だから「結婚したらこうするのが普通だろう」と、衝突するのが分かっていて頷くことはできない。

私が折れればいいんだろうと頭では分かっても、生理的に受け付けられないことをそうすんなりとは受け入れられない。
そんじょそこらの恋愛ドラマではどうか知らないけど、愛で生理的な感覚は変わらない。少なくとも私は。


それならそもそも、アラサーと言われる年齢になって誰かと交際しなければよかったのかなとも思ったけれど、結婚を前提と言われていたわけでもないし、仮に結婚前提で付き合ったとしても別れを選ぶ人々は少なくないだろう。
「結婚願望がないのであなたと付き合うことはできません」なんて、思考の飛躍した自意識過剰な台詞を言えるほどに厚い面の皮は持てなかった。



ごちゃごちゃと考えたけれど、簡単に例えるなら「このお店といえばこれだよね」と考える内容が人と違うんだろうなという感じだ。

仮に2名分、どこかのお店の特定のメニューを一生無料で食べられる権利を得たとして。相手が「マックにしようよ」と言ったとする。
相手の考えるメニューは「てりやきバーガーセット(サイドはポテトM、ドリンクはバニラシェイク)」なのに、私が「マックといえばポテト(Sでいい)」を想像してオーケーしたとする。そんな状態で店に辿り着いても、まあ一生に関わることだから譲れないし面倒なことになるのは見えている。
見えているから、そもそもそんな権利自体放棄したい。そんな気持ちだ。


喧嘩をしたいわけでも売りたいわけでもないけど。これは伝わるかなぁ。
別れたいわけじゃないんだよ、でもこんな私と一緒にいるのが時間の無駄だと思ったら別れてくれていい。
それも勝手だよな。お前が歩み寄る努力をしろと思われて終わるよな。

気持ちが変わることを期待して四半世紀生きてきたけれど、変わらないからもう諦めている。
わざわざ生理的な感覚を無視して折れなければ誰か一緒にいられないくらいなら、やっぱりひとりでいるべきだろうか。

そこまで頑なにならずに、付き合ってみてから考えればいいかなんて思っていたけれど。私に夢を見てくれてしまっている人がいるなら、結果的に騙すような形になってしまう時間を、罪を少しでも少なくしたいと思うことも身勝手だろうか。


考えすぎなのはわかっている。幸せになれなさそうだなと自分でも思う。でも自分の感覚に嘘を吐けない。自分や誰かを一生騙すほど女優にはなれない。

一生問題を先送りしてモラトリアムなまま過ごしたいのに、もう適齢期とかいうやつになってしまった。
せめて人生が200年あればよかった。そうして60〜80歳くらいまでは子どもも産めればよかったのに。来世はそんな生き物に生まれたいけど、子孫を残すことを棄権する私の希望は通らないだろうな。

そんなどうしようもないこと言いながら、現実逃避をもうちょっとしていたい。

何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。