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【小説】 頭が良くなるカレーライス

彼はカレーライスを食べていた。
「あーちゃんも食べる?」
彼に訊かれたけど、アタシは首を横に振った。
「いらないの? これ、特別なカレーだってボスが言ってたよ」
「特別なカレー?」
見た目はなんの変哲もない、よくあるレトルトのカレーっぽいけど。
「うん。ボスが言ってた。あのね、頭が良くなるんだって」
「そうなんだ」
彼はちょっとオツムが弱い。多分アタシより年上だと思うけど、話していると小学生男子と話しているような気分になる。
「頭、良くなりたいの?」
アタシが訊くと、彼は「うん」と言う。
「なんか、みんな、僕の頭が悪いって言うから、カレーを食べて頭を良くしたい」
「頭良くして、何するの?」
「えー、わかんない。頭が良くなるとどうなるのかわかんないし。良くなったらわかるかな? わかったら、その時に決める、何するか、決める」
「ふーん」

それから彼は、毎日、毎食、カレーを食べていた。
そして毎回、「あーちゃんも食べる?」って訊いてきたけど、アタシは断り続けた。
だって頭良くなりたいとか思わないし。
そのカレーを食べて頭が良くなるなんてのも、信じてなかったし。

でも、もしかしたらそのカレーは、本当に「頭が良くなるカレー」だったのかもしれない。
だって彼が、ボスとなんか話すようになってたから。
それまでの彼は、いっつもニコニコして、ボスに言われるままに客席の通路を歩いて、ぽっちゃりした背中や腹にスタンプ押されたり、落書きされて笑っていたのに、なんかボスに言ってるんだ。「こんなのイヤだ」って言ってるんだ。
意思表示っての? そういうのをしてるんだ。
なんとなく、そういうの、良くないんじゃないかなーってアタシは思ってる。
もう何年も前に、アタシがここに来た時に、ママがアタシに言ったんだ。
「頭を空っぽにするとハッピーになれるの。いろいろ考えちゃダメ」
そうアタシに言ったママは、すごく幸せそうな笑顔で宙に浮かんでた。青や赤のライトに照らされて、時どき白い肌が裂けて流れる血は深い赤で、綺麗だった。

頭が良くなるカレーを食べ続けた彼は、頭が良くなったみたい。
ママと同じように宙に浮いているのに、顔を歪めて叫んでるんだ。
空っぽじゃなくなったから、意思表示? 自己主張? 反抗?
よくわかんないけど、いろんなことをしてる。
泣いて叫んで、ママみたいに綺麗じゃないんだ。
お客さんたちはそれを見て、とっても喜んでる。

アタシは、空っぽの頭のほうがいいと思ってる。
ママみたいにハッピーで綺麗でいたい。泣き叫ぶのって綺麗じゃないもの。

でも、もしかしたらアタシもちょっと頭が良くなってるのかもしれない。
一度だけ、彼の「食べなよ」を断れなくて、一口だけカレーを食べたんだ。

空っぽだったはずの頭の中に、なにかが入り込んだ気がする。
それまで気にすることもなかった些細なことが、気になったりしてる。

どうして私は裸でいるんだろう。
どうしてこんなに眩しいライトがアタシを照らしてるのかな。
なんかたくさんの人がアタシを見てる。
手足につけられた鎖が冷たい。
いろんなものがアタシの中に入ってくるけど、なんなのかな、あったかいけど、なんなのかな。
時どきちょっと痛いけど、なんなのかな。

やっぱりカレーなんて食べるんじゃなかった。
頭が良くなるなんて、そんなのいらない。
なんにもわかんない方がいい。空っぽがいい。


☆☆☆
これは、20年以上前に書いたものを記憶を頼りにリライトしたものです。
妖しいものとか、ダークなものとか、わけのわからないものを書くのが好きです。

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