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モンテネグロの夢を見る

旅行の醍醐味といえば、実はその旅行中にあるのではなく、何年もあるいは何十年も経ったあとに旅行を思い返した時にあるんではないかと、最近そう考えるようになった。何年も経っていると、私のように記憶力のないものは細かい描写は忘れてしまい、何か起こった事件とかおいしかった食べ物とかのことしか覚えていない。もしかしたら回想することにより事実とは異なる新たな『事実』(ある人は真実というかもしれない)が生成されているのかもしれない。しかし個人の旅の記憶など、そもそも主観的なものがより主観性を帯びていくわけで、別に事実かどうかは関係ないかもしれない(あからさまな虚偽はもちろん含まれないのが前提だが)。

ブダペストに住んでいた2018年ごろ、同じようにブダペストに住んでいたモンテネグロ人の女の子と知り合う機会があった。その子はとても綺麗で私よりも若く見えたが、実際は確か四歳ぐらいお姉さんだったと思う。お互い勉強のために祖国を離れてハンガリーに住んでいたのだが、ひょんなことから同じアートセラピーに興味をもち、そこで出会うことになった。グループセラピーで、初回のお試しではアートセラピーの内容説明と一人一人の自己紹介から始まった。その女の子は身の内か何かを話して突如号泣し始めたのをよく覚えている。私自身感情的ではない上、もしかしてこういう(精神が不安定な)人たちに囲まれるセラピーになるのかと考えた途端引いてしまい、お試し以降は行かないと思った記憶があるのだが、なぜかわからないがそのまま参加することとなった。

人の縁とはよくわからないもので、その子とはブダペストにいた時に一番の友達となった。それまでは興味がなかったというか知らなかった彼女の故郷のバルカン諸国に惹かれるようになり、彼女の招待もあって初めてモンテネグロを訪れることになる。ブダペストは東欧の入り口と言っても過言でないぐらい東ヨーロッパ諸国へのアクセスが良いので、モンテネグロの首都ポドゴリツァまでは飛行機で一時間ぐらいしかなかったように思う。

着いて早速友達が空港に迎えにきてくれて、ぼったくられないようにタクシーを拾ってくれたこと。駅に行ったら電車が全然来なくて困ったこと。一緒におしゃれなカフェで朝ごはんを食べたこと。その後自宅へ伺うと、小さなアパートでご両親が私を歓迎してくれたこと。そのお父さんがもう今は亡くなってしまっていること。彼女の彼氏みたいな曖昧な存在の人が車を出してくれて、湖の夕焼けを見に行ったこと。彼女は国際的なキャリアを積みたいけど、彼氏は子供を作って家庭を持ちたいから考えが合わないこと。とても良い天気の日にコトルの湖の前で、地べたに座ってビールを飲みピザを食べたこと。彼女と別れて一人でバールに行ったら田舎でレストランの食事が安すぎてびっくりしたこと。ブダペストに帰る日、早朝過ぎて駅に誰もおらず、どこで切符を買うのかわからないまま乗車したこと。降りる駅になって乗務員が来たので急いで「切符持ってないから払いたいけど今降りないといけないから、この2ユーロでお願い(お釣りはいらない)」と言ったら、「払わなくていいよ、バイバイ」と言われたこと。空港に一番近いはずの鉄道駅に着いたらとんでもない場所だったこと。

空港に一番近いからかAERODROM(空港)という名前が付いているが、周りを見渡しても空港などない。ここから10分ぐらい歩いたら空港がある。ちなみに普通の人はタクシーを使うしそっちの方が安全。

そういえば鉄道駅から空港まで歩いている時、安さを優先してこのルートを通ってる人なんていないだろうな、と思ったら同じようにバックパックを背負っている女性を発見。向こうから話しかけてきて、なんと同じように空港に向かうということだった。しかもなんと彼女もブダペストに住んでいるというではないか。それから特に遊んだ記憶はないが、飛行機が来るまでの間ブダペストの暮らしや学校のことを話した(ハンガリー人ではなく、確かどこかからの留学生だった気がする)。

今ここに出てきた人たちともう会う手段はない。連絡が絶たれてしまったからだ。細かい思い出はまたどんどん忘れたり変わっていっちゃったりするかもしれないけど、モンテネグロの思い出はいつまでも消えないで欲しい。