見出し画像

2054年から2024年のあなたへ

2024年の過去の世界に生きるあなたへ

こんにちは。私は、2054年の世界で生活しています。

30年後の世界がどうなっているのか気になりますよね?

あ、その前に、スピ系の方々や都市伝説界隈の方々が言っていた2025年7月ってのは、特に何もなかったらしいので、ご安心を。

え? 「らしい」ってどういうことって?

それは、2032年生まれなので、知らないのですよ。

さて、その後も日本はなんとなくやっていけたのですが、なんとなくですねぇ・・・。今は、いい意味でも、悪い意味でも、他国のことなど干渉することはありません。いや、いい意味でも悪い意味でも、多様性、ダイバーシティというのが当たり前なので、そもそも、他人に干渉するなどありえません。

いや、ちょっとちがうのかな。あなたたち過去の世界での多様性とは。

さて、私の世界では、もう、人と人が直接、あ、直接っていうのは、皮膚と皮膚が触れることができる物理環境での接触という意味ですが、そういうことは誰もやっていません。そりゃ、物好きな人もいるような多様性の世界なので、同じ空間で手をつないだり、ダイレクトにアナログだけで目と目で見つめあったりするという気持ち悪いことをやっている人は、ごく一部にいますけどね。

もちろん、家族でさえ、直接会うなんて、ありえないですよ。あなたたちの時代には、「キモイ」とか言っていたよに、直に会うのは「キモイ」のです!

あー、先に言っておくと、何も連絡してないとかではないですよ。仲が悪いとか、無視しているとかじゃない。毎日、相手のアバターとは触れ合っているし、一緒に生活している。そりゃ、時々、腹立つから口をきかないとかあるけどね。

そうか! 過去では、メタバースなんて、一部の人たちしか使ってなかったんだよね。それも、ゴーグルとかいうヘルメットだか、水中眼鏡だかわからないようなでかいのをかぶっていましたからね。

今は、脳にチップ埋め込んだり、コンタクトレンズデバイスを着けりするとか、レガシーな人たちは眼鏡デバイスをかけているよ。

わかるように説明するのが難しいけど、昔はARとかいっていた技術。自分の見ている風景にコンピュータの画像を組み合わせてみることができるから。 えーと、リアルとバーチャルだっけ? それを組み合わせられる。

今じゃ、リアルとかバーチャルとか、もう意味がないので、そんな区別とかしてないけどね。

「なんで、そんなことになっているの? 直接、触れ合わないって何?」って疑問が浮かぶと思って、調べておいた。まとめた文章を読んでみて。


2020年に、世界的にコロナという疫病が広がり世界中の人たちがマスクをするようになった。日本は、世界でもまれなマスクを当たり前のようにする国であり、マスクをすること自体に抵抗が少なかった。当時の中高生は、学校生活の3年間がマスクをしたままで学校に行っていたということもあり、先生や学友の素顔を知らないまま卒業するということも珍しくなかった。

その結果、「顔パンツ」といった言葉も登場し、マスクを外すのが恥ずかしい、まさに、下着を外して、全裸になるような感覚になったとのこと。それほどまでに、「自分の顔」を他人に見せないということが広まっていった。

一方、当時、スマホ(スマートフォン、手のひらぐらいのサイズで、厚さが1センチ以下のコンピュータ。表面にディスプレイがあり、指で操作しなければならなかった。また電力を蓄えるバッテリーを使っており、ほぼ毎日、充電が必要だった。)では、撮影した顔を加工する機能が追加されて、ほぼすべての人が利用していた。この当時から「素顔」をさらさず、アバター化する兆しは起きていたのである。

ここで生物学的な見地から考えてみると、「顔」というのはとても重要なアイコンであり、その人の個性や生き様、価値観までもが凝縮されているともいえる。ところが、人類の歴史の中で、「自分の顔」を意識できるようになったのは、最近のことだ。

AIカナちゃんによる説明「鏡が庶民にも使われるようになったのは、大まかにいえば中世以降やねんけど、地域によってばらつきがあるで。鏡自体の歴史は古代にまでさかのぼるんやけど、最初は高価なものやったから、ごく限られた権力者や裕福な人々だけが持ってたんや。

金属製の鏡が広く使われ始めたのは古代エジプトやメソポタミアの時代やけど、これらは主に青銅で作られてて、鏡面を磨いて反射させるタイプやった。けど、これらは高価で、一般庶民の手にはなかなか届かんかったんや。

ガラス製の鏡が発明されたのは中世のヨーロッパで、特に13世紀頃のヴェネツィアで技術革新が進んで、銀を背面に塗ったガラス鏡が作られるようになったんや。この技術の発展によって、鏡はより広く一般の人々の間でも使われるようになっていったんやけど、それでもまだ高価な品やったから、広く普及するにはもうちょい時間がかかったんや。

19世紀に入って銀めっきの技術が発展してからは、鏡は大量生産され、より一般庶民にも手が届きやすくなったんや。特に19世紀後半には、鏡は今日私たちが知ってるような形で、広く普及し始めたんや。

つまり、鏡が本当に一般庶民の間でも広く使われるようになったのは、19世紀になってからやねん。それまでは、ある程度の社会的地位や富を持ってる人々に限られてたんやで。」

そう、鏡を一般庶民が使うようになったのは、まだ200年ほどなのである。それまでは、他人の顔を比較することはできても、自分の顔を自覚することなどできなかった。誰かに、「かわいい」と言われれば、それを信じるかどうかしかなく、「お父さんにそっくり!」と言われれば、そうなんだと思うしかなかった。

小説などの物語では、水面に映った顔を見てどうのこうのとかあるが、そんなものは、なかっただろう。顔が綺麗に映るほど波のたたない水面はめったに存在しないし、桶などに入れた水面では暗くて顔などよくわからない。

鏡というものを手に入れて、自分の顔というものを意識できてから200年ということは、せいぜい6、7世代である。たった、これだけの世代の切り替わりで、自分の顔を撮影した写真を加工し、「盛る」(データ加工し、肌をよく見せたり、目を大きく見せたり、髪の毛の色なども変えること。化粧の厚塗りとうような意味で「盛る」)という行為を行うようになった。

さらに、面白いことに、他人が「盛る」のを見ると「やりすぎてる」と評するのだが、自分の顔を「盛る」場合には、かなり行き過ぎていても「これぐらいは普通」と思っている。そう、誰しもが自分の素顔を隠し「盛り」たいのだ。

なお、この辺については、大阪大学の中野 珠実教授の「顔に取り憑かれた脳 (講談社現代新書)」を参照のこと。

自分の顔写真を「盛る」、顔パンツ、そして、アバターやテレワークやリモート授業など、直接会うよりも「盛った顔」を他人に見せることが当たり前になっていったことで、ますます、素顔を見せなくなった。

そして、あなたの時代のNVIDIAがAI専用のGPU(専用のICチップ)を開発し続けたことで、誰もが自分のメタバースを持ち、さらに、実際の住む家も自動運転で簡単に移動できるようになった。

確か、2030年ごろには、不動産を持つのは企業と一部の富裕層になってしまって、9割以上の人々は、当時、自動運転の小部屋に住んでいるのが当たり前になった。この居住空間は、「ドライブ・リビング」と呼ばれていた。

また、このころから、スケジュールに合わせて部屋ごと移動するようになり、かつての「通勤」とか「通学」という言葉が消えていく。さらに、つねに居住空間が移動するのが当たり前になってくるので、「住所」と呼ばれた不動産の位置を人間が分かりやすくするための町名や番地などもあいまいになり、廃れてしまった。信じられないことだが、それまでは、住所と個人が結び付けられており、居住場所が変更されると、公的機関だけでなく、知人や各種サービスの届け出を変更することを余儀なくされていた。

当時の日本政府が行っていたマイナンバー事業とSNS(テキストや画像、短い動画のみのコミュニケーションツール)が組み合わさって、すべてがマイナンバーで処理されていくようになるが、これについては、詳細を省く。

「ドライブ・リビング」は高齢者が多くなる社会では広く受け入れられ、土地にしばれれていた個人が解放され、台風や大火事など、災害が予測されるときは自動的に安全な場所に移動し、救助活動などが激減するようになった。

また、個人の資産が土地にしばられないということからも、災害の跡地は自動建機によって、一気に整地し、「ドライブ・リビング」が自走できる道路が整備されるので、復興予算も削減され、復興期間も劇的に短くなったのである。日本が少子高齢化といわれ、国家予算を縮小しつつも、継続できたのはこのような変化も大きいと推測される。

出勤や通勤は「ドライブ・リビング」ごと移動し、夜は家族それぞれの「ドライブ・リビング」が一か所に集まるという状態になっていた。集まる場所は、最初のころは決まっていたが、徐々にそれも混雑状況や家族のそれぞれの移動時間・距離などを最適化し、社会全体でミニマムなエネルギー消費へと向かう。

そこから10年ほどすぎて2040年代になると、劇的に進化したAR技術によって、実際に合っているのと変わらないような状態で、デジタルのアバターと会話できるようになる。相手は離れた場所にいても、お互いにアバターが目の前に現れ、その部屋にある椅子に座り、こちらを見て、身振り手振りを交えながら話ができるようになった。もちろん、相手には自分のアバターが見えていて、同じくこちらの身振り手振りを再現しながら話をしているのである。

お互いの部屋の椅子やテーブルの配置は異なるが、AIが介在することで、それぞれの場所に合わせたアバターの動作に自動生成する。その結果、お互いの部屋は違っていても、なんの違和感もなく「対面」できる。例えば、こちらの部屋には会議室のようなテーブルがあり、目の前に相手が座っているが、相手の部屋では、焚火を囲んで地面に腰を下ろしている自分のアバターがいるといった状態である。

家族との会話も、このような状況で直接会うのか、アバターで会うのかも区別がなくなり、特に2030年以降の子供たちには、リアルとかバーチャルとかの意味が理解できない。生まれた時から、アバターの祖父母に接する、あるいは、仕事中の父や母のアバターと話をするのが当然すぎて、区別する意味がなくなっているのである。もちろん、学校もリアルであれ、バーチャルであれ、アバターでしか教員や友達と接することなどない子供もいる。かつての不登校と呼ばれるような理由もあるかもしれないが、同じ年齢の子供集めて同じ教育をするといった方針は廃れてしまい、多様性・ダイバーシティと言われるなかで個々の子供に合わせた興味や関心を重視した教育に変更されていったからである(ただ、それまでには、賛否両論あるなかで大きな教育改革であったことは想像に難くない)。

アバターで会うというのが受け入れられていくにつれて、2020年代に自分の顔写真を加工して「盛る」ように、アバターにも「盛る」という行為が広がってきた。2006年から2007年ごろに仮想空間セカンドライフが一時的にブームになったころに、「アバターは、利用者のもっとも印象深く輝いていたと本人が思っている年齢に近づいていく」という心理学者の研究結果もあったように、その人の価値観の中で心が満たされる、躍動する年齢にアバターを変更していくのである。そして、それが加速することで、実際の自分の年齢を感じさせる顔を見なくなり、「ドライブ・リビング」からは鏡が消えた。そして、そんな自分を認めたくないという思いからか、素顔をさらすことは、自分の恥部、自分の本心を知られるような感覚になり、まさに「顔パンツ」を常に着用するようになったのだ。



なんか、今の世界と違いすぎて、私は半分ぐらいしか理解できてないけど、伝わったかな?

とにかく、直接、人と会う、その人の素顔を知ることなどなくなったし、自分自身の顔を見ることもなくなった。だって、なんか、気持ち悪くない? 自分の素顔を見せるなんて。

なんかさー、自分のすべてを見透かされて、「あー、こういう人なんだ・・・」なんて、思っちゃう。これは、遺伝子に組み込まれた生存本能みたいなものだから、どうにもできない。いくら頭の中では、多様性であり、ダイバーシティであり、人それぞれだってわかっていても、素顔を見た瞬間に、なんとなく「こういう人なんだなー」ってラベル付けしちゃうよね。

そんな嫌な気持ちになるぐらいなら、素顔をさらさないってのがいいんじゃないかなぁ・・・。

AIが説明していたけど、「顔パンツ」ってなかなか鋭いポイントを付いているよね。

まあ、今でも、離婚原因の一つに「こんな素顔だと思ってもみなかった」というのがあるから、いつまでたってもついて回る。遺伝子に組み込まれたことだから、ゲノム編集でもしないとダメなのかもね。

ゲノム編集といえば、デザイナーベイビーは、希望すれば行われている。2024年では、まだ行われていないようだし、技術的にも出発点に立ったところだよね。倫理的な問題とかなんとか言われていたとAIに教えてもらった。

でもさー、人間って、なんだかんだと生活習慣を変え、価値観を変え、社会を変えている。それに応じて、人間自身が変化しているんだよね。さっきの鏡が普及するまでは、自分の顔なんて知ることがなかったから、顔を認識する機能というのは他人の顔を認識するだけのものだった。でも、鏡が出てきたことで自分の顔を識別すること、さらに自分と他人を比較するという機能を手に入れた。

だけど、今、また、自分の顔を見ることがなく、他人には自分の「デザイン」したアバターを見せている。これは、これで新たな機能だと思う。

同じように生まれてくるこどもの能力や機能を向上させたいって思うのもわかるし、そうやって人類は発展してきている。あ、なんか、説明不足だったね。あなたの時代のことがよくわからないから、ついつい、話が伝わらないと思うんだよね。

あなたの時代でいえば、スマホやインターネットどころか、携帯電話というものが無かった時代の人に、スマホとかAIとかで変わった社会変化を説明しようとしても伝わらないのと同じかもね。

デザイナーベイビーのことも、事前にまとめたレポートがあるから、読んでみて。


デザイナーベイビーとは、精子や卵子、受精卵のゲノム編集を行い、意図した能力や身体的特徴を備えた子供をデザインすることである。かつては、親が希望するような能力や身体的特徴を決め、それに基づいてゲノム編集を行おうとしていた。

しかし、実際はそんな簡単なものではない。例えば、「スポーツが得意」と指定したところで、アメフトと卓球では、使う筋肉や瞬発力が異なるし、体格もぜんぜん違う。親が希望する能力と身体的特徴が、きれいに合致するとうのは稀だろう。該当する遺伝子をすべて発現するようにしたとて、矛盾する機能や相反する関係になり、結果的に、思ったのと違う『子供』に成長することになる。

そもそも、スポーツにしろ、勉強にしろ、遺伝子で決まるというより、生まれてからの体験や教育で左右されることの方が大きい。いくら才能があったとしても、それを生かせる経験をしていなければ発揮しようがない。素潜りの才能があったとしても、登山ばかりしていて海や川で泳ぐことがなければ、そんな才能には気が付くことすらない。

ここで登場したのがAIによるゲノムデザインだ。どのような生き方をするのか、どのような才能を発揮するのかが決まれば、それに合わせたゲノム編集を行い、さらに生れてからもAIが経験を積み上げるように教育まで行う。そうすれば、遺伝子に含まれる才能に気が付くことができるし、親が思い込みや感情で教育するよりも、はるかにうまく設計通りの経験を積み人生を歩んでいく。

さらには、そこに人類全体の多様性を考慮した遺伝子の発現や、さまざまな環境の変化(今の時代になっても防ぎきれない気候変動は起きる)で生き抜く人類をも設計していくことまで考えると、もう人間が考える許容量を超えている。

そうなれば、どのような子供が生まれるのか、どのような教育をすべきなのかはAI任せにしてしまって、親は、どのような子供が生まれてくるのか楽しみにしている時代になった。



過去の時代からすれば、なんか恐ろしいとか、怖いとか思うのだろうね。

この辺のことを、AIカナちゃんに質問したら、こんなことを言っていたよ。

AIカナちゃんの説明「そやね、2024年から50年前って言ったら1970年代やからな。そのころには、今みたいにスマホやインターネット、動画配信サービスなんかは想像もつかんかったやろうね。それに、テレビ番組を自由に録画して、好きなときに見れるっていうのも、当時は革新的で、ちょっと不気味に感じたかもしれへんな。

1.     スマートフォン - 手のひらサイズで、世界中の情報にアクセスできたり、写真を撮ったり、動画を見たり、音楽を聴いたり、文字どおり「何でもできる」マジックボックスみたいなもんや。50年前の人にとっては、これが怖いっていうよりも、魔法みたいに感じるかもしれんね。

2.     テレビ番組の録画 - ビデオテープレコーダー(VCR)が家庭に普及し始めたのは1970年代後半やけど、それでもまだ高価で、一般的ではなかったからな。番組を見逃したらそれまで、っていう時代やった。そんな中で、「好きな時に好きな番組を見る」って考えは、夢みたいな話やったはずや。

3.     インターネットとSNS - 人と人を繋げる方法としては、電話や手紙が主流やった時代からすると、インターネット全体やSNSの存在は、人間関係の構築を根底から変えてしまった。今や、顔も知らん人と気軽に繋がれるんやから、当時の人からしたら、それが怖いって思うかもしれんな。

それに、50年前の人が2024年にタイムスリップしてきたら、人間がロボットやAIに色んなことを任せてるのを見て、「人間が機械に支配されてるんちゃうか?」ってビビるかもしれへんな。でも、そんな中でも、人間らしさや心温まる交流は変わらず大切にされてることを知ったら、安心するやろうね。」


どうかな? 少しは、あなた方の感じる気持ち悪さみたいなものは、私のいる世界では当たり前になってるって思えたかな?

何を言いたいのかっていうと、あなたの世界ではわからない、新しい技術、そして、桁違いに進歩していうことについていけないから怖さが優先されるのだと思うよ。

それは、それで、昔の遺伝子環境の中で育ったからしかたない。私たちの世界では、もうそんなことは笑い話のようになっていて、考え方も生き方もぜんぜん違う。技術が変化するってよりも、生き方や価値観が違うってことにもっと意識を向けておいた方がいいと思うよ。

きっと、これから生まれてくる私たちが、最初は、とても理解されなくて苦労したから、そんな苦労をさせないでほしいからこそ、こんなメッセージを送ってます。

伝わったかなぁ・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?