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蛍光灯を買おう


キッチンに蛍光灯が付いている。

最近引越しをして、キッチンが狭くなった。1DKの日当たりの良い部屋で、リノベーションしたての綺麗な内装と立地を考慮に入れると、安価な部類に入る。角部屋でとても気に入っている。

だが、キッチンが狭い。
これがもう、いかんともし難いほど狭く、にっちもさっちもいかないほど狭い。料理をすることが人並みに好きな私にとって、キッチンが狭いということは「不便だ」と感じること、そしてそれは少なからずストレスになるのだということを、この部屋に引っ越してはじめて知った。
その狭いキッチンに、小さな蛍光灯が付いている。

台所は料理をする為の場所で、“料理”には刃物が使用されることが多い。
だからキッチンに照明が付随されているのだと思うのだが、真偽のほどは定かではない。

この蛍光灯を、青色に変えてみようと思った。
「リバース・エッジ」を鑑賞していた真夜中の、一服中の考えだ。

私の家は縦に広い形で、主に奥間のベッドルームで生活を営んでいるのだが、煙草を吸うのは換気扇下と決めている。なので、喫煙者が出てくる映画を観ているとき等は少し不便だ。喫煙者は、人が吸っているのを見ると吸いたくなるイキモノなのだ。
映画「リバース・エッジ」では、二人の喫煙者が出てくる。そのうちの一人が主人公の若草さん(演:二階堂ふみ)なのだから大変だ。
授業をサボって屋上へ行っては一服し、夜の散歩に繰り出しては一服し、部屋の窓から顔を出しては一服する。もう、煙草が吸いたくて堪らなくなって、鑑賞中に五度も一服タイムを設けてしまった。

この映画を見ようと思ったきっかけは吉沢亮くんが出演しているから、だったのだが、結局は二階堂ふみちゃんに全て持って行かれてしまった。
そもそも私は二階堂ふみという女優が好きだし、岡崎京子という漫画家の描く作品が好きなのだ。



「リバース・エッジ」は良い映画だった。
主人公の若草さんは無感動な女子校生だ。彼女の「どちらかというと生きていない」日常は、彼氏がいじめている同級生、山田くん(演:吉沢亮)に秘密を打ち明けられることで変化していく。
山田くんはゲイで、学校裏の藪で見つけた死体を「宝物」と呼んで大切にしている。彼が若草さんに打ち明けた“秘密”とはこのことで、「秋くらいまでは、まだ肉がついていたんだ」と白骨化した死体を見下ろして言うのだ。


若草さんの彼氏とやらはいやに横暴で、スクールカースト上位にいる“いかにも”な不良だったり、若草さんの友人の一人とバリバリにヤりまくっていたり、家庭環境が複雑だったりする。
その他にも、「山田くんがゲイであることの隠れ蓑に使っているメンヘラ彼女」や「摂食障害でレズビアンのモデル」や「友達の彼氏や38歳の既婚者やクラブで知り合った男と次々に寝るビッチ」や「容姿の優れた妹に嫉妬するデブスの腐女子」などが出てきて、物語は青春群像劇と化していく。

この映画は、主人公・若草ハルナのインタビューシーンから始まる。
荷造り中のダンボールを背景に、若草さんがインタビューに答える。そのカットがさながらAVのようで「変にリアルやなあ」と思わず独りごちてしまった。
そこからストーリーが展開していくのだが、随所で登場人物のインタビューのカットが入る。インタビューされている人たちの時系列と本筋の時系列はバラバラで、進んでいくうちに「あ、この(インタビューされている)時はこれがあった後なんか」と謎が紐解かれていく。
インタビュアーは登場人物たちに「あなたにとって愛とは?」「生きていてよかった、と思うことはありますか?」「今、生きてるか死んでるか、どっちだと思う?」と漠然とした、しかし人生の核心に迫るような質問を投げかける。
この物語に出てくる人物はみんな揃って厭世的で、この質問に対して困ったように笑んで首を傾げたり、唐突に無言になったり、「どちらかというと、生きてないと思う」と答えたりする。

どちらかというと、生きていないと思う。
主人公の若草さんの答えだ。
若草さんは「なぜ?」と問いかけるインタビュアーに「感じてないから」と答える。「熱いとか、冷たいとか、そういうのを感じるものだと思う」。

物語は後半になるにつれて不穏な空気が増していき、最終的に取り返しのつかない事件が起きてしまって、若草さんは街を離れることになる。
引越し前夜、若草さんと山田くんは川沿いを散歩する。川と夜のシーンが多い映画だった。
山田くんは、「僕は生きてる若草さんが好きだよ」と言う。「UFOを呼ぼう。もう一度、やってみよう」と目をつむり、UFOが来るように念じ始める。


そこで私は一時停止し、一服するために部屋を出た。キッチンのある部屋は、暖房が効いていないからとても寒い。
たかだか煙草一本のために部屋全体の電気を点けるのも大仰に感じて、夜中に煙草を吸うときはいつもキッチンの蛍光灯を点ける。
LEDでもない古びた蛍光灯は、備え付けのカバーの乳白色も相まってとても朧げだ。シンクに反射する黄みがかった光を眺めながら、青色の蛍光灯を買おう、と思った。
若草さんは山田くんに「宝物」を見せてもらって変化を得た。どちらかというと生きていない日常にもたらされた死体というスパイスは、どれほどのものだったのか。私は若草さんが羨ましかった。

しかし私はもう高校生ではないし、近所に白骨死体が転がってそうな藪も無い。同級生をいじめる幼稚で傲慢な彼氏もいないし、いじめられているゲイのクラスメイトもいない。
どちらかというと死んでいる私の日常に変化を求めるのなら、自らが変えていくしかないのだ。そのことを私は知っている。

だから手始めに、キッチンの蛍光灯を青色にしてみようと思う。私は青が好きだし、このストレスが蓄積するひどく狭いキッチンで、ひとつくらい好きなところがあってもいいんじゃないかと思うのだ。
それに、この鈍く輝くシンクが青い光を反射するのを一服中に眺めるのは、悪くないような気がする。
もしかしたら、宇宙的な色彩に勘違いしたUFOが、私の家の狭いキッチンに不時着しに来るかもしれない。
そうなった時はじめて、死んでいる日常にスパイスがもたらされ、非日常を生きていけるようになるだろう。

そういう訳で、青色の蛍光灯を買おう。もうAmazonでポチったから、あとは到着を待つのみだ。
なんてお手軽な変化だろう。私に変化のきっかけをくれた「リバース・エッジ」と、文明社会の利便性に感謝しよう。

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