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フルタイム以外の働き方

修士論文を書き終え、次のステップに進むため「働くこと」について、考えなければならなくなった。

私は社会福祉士の免許を持っている。

職種や職場を選ばなければ、正規職員としてフルタイムで働くことは出来ると思う。しかし、私はどうしてもフルタイムで働くことに気が進まない。それはなぜだろう…と考えてみたところ、これまでの経験(学生生活やアルバイト)が関係していることがわかってきた。

小学校、中学校、高校と「クラス」があり、毎日同じ人と顔を合わせなければならないことが私にとっては苦痛だった。入学やクラス替えをして、1ヶ月経つと、誰とも顔を合わせたくなくなっていた。別に嫌なことをされたとか、いじめられたわけではないが、とにかく辛くなるのである。

高校、大学でしていたアルバイトはダブルワーク、トリプルワークをしていた。その組織の中に組み込まれ、逃れられなくなるのが嫌だったからである。人間関係のもつれに巻き込まれたり、働いた年数が長いからと言って面倒な仕事を押し付けられるのが本当に嫌だった。

このように1つの場所(組織)で毎日同じ人と顔を合わせることが何よりもしんどい私にとっては、フルタイムで働くことは地獄なのである。

そこで、フルタイム以外の働き方をいろいろと考えていた。

すると、ある人から「楽な方に逃げんなよ」と言われた。

この言葉を聞いて、苛立ちを感じるとともに「違和感」を持った。

その「違和感」はフルタイムで働くことに対して、価値を置く人々に疑問を感じたからである。私たちの中にはフルタイムで働く、つまり「安定した雇用を得ること」が大切であるという意識が刷り込まれている。だからこそ、フルタイム以外の働き方は価値が低く、フルタイムではない働き方を志向する(ここでは、フルタイムで働きたいが、様々な事情で働けない人のことではなく、あえてフルタイムではない働き方をしようとする人々を想定している)人々に対して、鋭い視線が投げかけられる。また、そもそも働くことをしない人々に対しても厳しい意見が投げかけられるのである。

フルタイムで働くことが当たり前の世の中では、あえてフルタイム以外の働き方をする人、働かない人は「楽をしている」「辛いことから逃げている」と思われるのである。

実際には働かない選択、働くにしても働き方を選んで良いはずだ。それなのに、フルタイムで働かない、お金を稼ぐための労働(job)をしないというだけで批判されるのである。

「楽な方に逃げんなよ」と言うセリフの背景には、フルタイムで働くことはしんどいことであるが、我慢しなければならない、私は我慢して生きている。という思いがあるのだろう。本当はお金にはならないがやりたいことがあったり、しんどいから休みたいという思いを持っている人がフルタイムで働かない人々に対して、厳しい意見を持つのではないだろうか。つまり、現実の自分と理想の自分との在り方にギャップを感じている人、現在の生活が辛い人が、そういう自由奔放に見える人々に対して、誹謗中傷をすると考えられる。そして、当たり前、一般的な生き方を押し付けるのである。

私は別に楽な生き方を選択している訳では無い。私なりにその当たり前の働き方や生き方と戦って、自分なりの生き方を実現しようとしているのだ。与えられた仕事ではなく、自分の手で何かしたいと考えて、いろいろと考え動いている。そもそも楽な生き方を選択したっていいじゃないか、と思う。頑張ることが良いとする価値観の中で生き続けるとしんどくなる。適度に力を抜いて、頑張らないことも大切である。

働き方に優劣なんてない!

と私は伝えたい。

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