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量産型はもういらない、しない。個で生きる。

見るのとやるのじゃ違う。

ずっと憧れてたものを実際手にしたら、案外そんなもんかって思ったり。

「あの人みたいになりたい…」
憧れてる人や物を真似しても、自分がしたら似合わなかったり、自分らしくないと気付いたり。

そんなことがここ数年あった…。


メディアがいう今時のオシャレやメイクにしてもわたしには似合わないものがたくさんあった。

例えば、ずっとやってみたかったまつげパーマも二重瞼も不自然だったからやめた。違和感もあるし、なんせ個性もなくなるし。罪悪感すら感じたから抜去した。

それをしてたら量産型だねって思われるだけで、いきなり人が変わるくらい可愛くもなれるわけでもないし、写メの写りの良さに一時的な安心感を感じるだけで。
別に幸せでもなんでもなかったし、そこから湧き上がる自信にも繋がらなかった。


いつの間にか流されていた自分がいた。

そんな自分に自分でも戸惑いを感じていた。


なんでそうなってたかというと、その頃はとにかく自信がなくて自己肯定感が下がっていた時期だったからなんだよね。

その時期は、一部の人に見た目のことをディスられて鏡に映る自分の姿を割りたいくらい自分が嫌いで、自信もなくして自分を見失っていたから。。。そのくらい傷ついて辛かったんだけどね。


ようは、自己肯定感がまともな水準を保ててなかったんです。

変な話、自分を好きで初めから外見も内面も含め、自信があったら他人にブスと言われてもそこまで気にしないはずです。
言ってくる奴が一番悪いんですけどね。


わたしは弱かったから...


色々やって試して失敗も成功もあったけど、思ったことは、自分らしさや個性が失われることのほうが悲しいってこと。
失敗から学んで色々な感情を経て、自己肯定感があがると同時に気づいたんです。


世間一般がいう流行りのかわいいとか、オシャレとかが必ずしも自分に合うとはいえない。

世間がいう、量産型にあてはめるようにして生きていたら、本当に心から欲しいものとは真逆のものを買うことになるし、しっくりこないことをし続けることになる。

それはとても辛いこと。

心から欲しいって思ってないものを演じるために買うんですから。
それが似合えばいいけど、世間一般ウケのためだけを狙って買っても嬉しくはないはずです。

実際、わたしはこの時期普段行かないようなブランドに足を運び、ピンとこないけど流行ってる服を買ったり、一般ウケを狙った雰囲気の服を着たりしてました。別に欲しくもないのに。苦笑

その頃の友達の反応は、「なんか変わった?今までの柄とか色の合わせ方のカジュアルなコーデ好きだったけどね」って。

自分でもそうだよなぁって感じでした笑

似合ってなかったから。

いつも行かないブランドだったし、自分でも前の方が着てて楽しかったし前の方がオシャレだと思ってたから。無理をしてる感や違和感があった。


自己肯定感が下がるとおかしなことをしがちってこと。

わたしは、わたしらしくが一番だということ。

自己肯定感が上がると同時に目が覚めたように気づいたんです。


自分らしさを取り戻した今。

着たいものを着るし、好きなものを好きなだけ食べる。

無理なダイエットもしてきたなぁ。。。

結果的に痩せたけど本当は辛かった。

周りを見返したい分だけすり減る気持ち。心が痛かった。 


色々あったけれど、これからはありのままの自分の個で勝負。

みんなと一緒じゃつまらない。


忘れかけていたけど、高校生のときの担任の先生に言われたり、通知表によく書かれたのは「ねっこさんは周りに流されにくく自分の芯があるところが素敵です。」って。

嬉しい言葉だった。

初心に帰らなくちゃね。


わたしが本来のわたしに還るとき、本来の生き方、本当の幸せが始まるのかもしれないってこと。


ここ数年、悩み考えたこと。

自分を好きになるため、受け入れるためのたくさんの学びをしました。


これも天からのギフトかなって、今は思う。





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