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サボりのツケが回ってくる

気づいたら新聞を6日分読んでいなく、手帳は8日、お絵かきに関しては10日もかいていなかった。

新聞には目を通せばいいもののそれなりの時間がかかる。4日分で2時間程かかった。

手帳は記憶がなくもうどうしようもない。本当にいつ何をやったのか覚えていられなくなった。地続きのことが多いというか、明確な区切りを設けて何かをしている訳ではないのでそう感じるのかもしれない。違う見方をすれば時間に囚われずに物事をしているとも言える。そうならば、個人的には大いに賛成だ。たがしかし、責めて何をしたのか?くらいは覚えておきたい。

お絵かきはそもそも衰えているのかすら判別が付かない。絵の上達というのはほんの少しずつで、すぐには分からないが、10日間というのは大きい気がする。毎日30分は描いていたので30分×10日で300分、つまりは5時間と考えると十分に大きい。

気づいたら時間は経っているし、同じ分を取り返そうとすると1日2日では難しそうだ。この時間を毎日で分割していると考えると非常大きいように思う。

「もうこれはやりません」とスパッと言い切れるのなら、別のことに時間を使ったのは非常に良い選択だと思う。なんせその時間がそっくり空く。サボった時間で換算すると8時間分(新聞は30分/日)、1日の1/3だ。こう考えてもでかい。

こんなことを書くので私はコツコツ推進派である。習慣にするのがやはり楽で、身体としてもやらないと気持ち悪い状態にするのが自然と進歩するコツではないかと思う。

1日で凝縮するのも無駄なことを取り除き最短距離で進められるとは思う。どちらかと言うと、短期間で集中してやれるというのが正確かもしれない。けれど、そこには何かしらの「やるぞ!」という覚悟が必要であり、自分に何かしらの使命を持たなければ持続できないと思う。

代わりに習慣化するのは惰性とも取れる。最初にルールを決めてそれに従って淡々と行う。ルールはやりながら変えてもいいが(むしろそっちの方がいいが)、ある程度の所で思考が停止してまう。というか、落ち着く(私だけかもしれないが)。

どちらもバランスが大切というか、どっちかを続けていても多少の飽きが来る。いつものんびりやっているなとか、いっつも焦っている。逆の方法を取ったものの、やっぱり前の方がいい。なんてことになる。これも大きく見ればルーティンである。何か別なことをしたと思っても、結局は何かしらのルーティンに巻き込まれる。

サボりとは言ったものの、それは短期的に見ただけで、大きく見たら、そういうルーティンに入っただけかもしれない。

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