見出し画像

書きたいことはないのだが、

書かないと覚えていられないので書いておく。

ついこないだ図書館で『群像』を借りたので、それについて書く。

確か、先月も借りてちょこちょこ読んでいたのだが、よく覚えていない。

雑誌に対して失礼かもしれないが、表紙が独特で驚きは覚えるものの、記憶に残りにくい。なので、目次の掲載作品を見なければその号を読んだかどうかは判別できない。

今回借りたのは11月号。『アイドルと編集』(上岡磨奈)というタイトルを見て、以前本屋で立ち読みしたことを思い出した。

確か、記事にもしたな。と思って探したら発見した。

改めて自分で書いた記事を読み返してみても、こんな内容を書いたという記憶にそぐわない内容が書いてある。

ここで思うのは、やはり覚えておきたいことがあったら自分の言葉で書くということが大切だ。

このメカニズムはよく分からないが、自分の言葉で書くことで一度しか経験していないことでも鮮明に記憶される。「鮮明」とまで書くと、少し気負いするが、私が実践したことのある記憶を定着させる方法の中でも段違いに吸収力が違う。

頭の中に引き出しを作る、という表現があるが、まさにこれのことを指しているのだと実感する。

「そんなのは作れない」というのはごもっともな意見で、せいぜいあるのはガラクタ入れだ、くらいに思っていた。

少し中身を覗くだけで瞬時にその事全体を思い出せる。そういうのが引きだしではないかと思う。それに対して、ガラクタ入れは後で見てもちんぶんかんで、「これ何?」「こんなの入れたっけ?」「何に使うのこれ?」の応酬だ。

私自身の書くことについては再認識できたので、『群像』の話に戻る。

『アイドルと編集』以外にもいくつか読んだ。まず、『列』(中村文則)の刊行インタビュー。

この話は途中で投げた記憶がある。人生とか競争を列に例えて、なぜか知らないけれど列に並んでる。そんな列に並んでいる最中の話。列の先頭が気になったり、列から抜けようと考えたりする。

文脈は覚えていないが、列の前後の人に荷物を見てもらって、一旦列から抜けた人のことを覚えている。抜けた直後にさらに後ろに並んでいる人から「その荷物どけようぜ?」というような会話がなされ荷物をどける。当人が戻ってきたら、私はそんなの知りませんと知らぬ存ぜぬをして列から追い出す。集団から追い出したり、競争を煽る世界を列に並ぶという行為で表していて感心した記憶がある。話の内容としてはこんな印象。

インタビューの中で、著者がこんなことを言っている。

僕にとっての小説の理想の一つは、現代を書きつつ普遍的なものを書くこと、そして主人公が現代の何かを象徴していること

『群像』2023 11月号 p51

あー、なるほどと。確かに、私たちが生きている今を舞台にしつつ、そこでの出来事に対しての悩みが万人に共通していることだったりすると共感を呼びやすい作品となり、読者に受け入れられやすい作品になるのではないかと思った。

小説を書く時の抽象的なテーマとして、非常にしっくりくる方針だと感じた。

『列』という作品自体に対してももう一度読んでみようかなと思いさせられた。また、自分がいい小説だなって思った作品はこの抽象的なテーマに当てはめるとどんな要素になるのか?と考えてみることで、自分の興味関心が分かるのではないか?と思った。

ここからはささっと書いていく。

『ジェンダー規範に抗うための広告観察』(小林美香)は広告のメッセージを分析しているのがためになると思った。canvaで見出し画像を作る時は広告もよく参考にする。しかし、そのメッセージ性が分からないことも多いし、「おそらくこういうことだろう!」と思っていても的外れなこともある。著者のX(旧Twitter)で広告とその解釈について発信しているようなのでこれから見ていきたい。

『鉄の胡蝶は歳月は記憶は夢に彫るか』(保坂和志)。かなり長期で連載しているイメージがある。今までは敬遠していたが、福島の原発の処理水放出に対しての中国のクレームに関することがはじめに書かれており、それが気になって読んだ。

処理水の海洋放出に関しては前々から計画があることは知っていたが、こんなに急に流すことになった。さらに、それは各国の了解を得ずに流すなんて信じられないという主張。日本側の主張としては、科学的根拠と、IAEAの基準を持ち出している。

これを満たしているから各国のお墨付きを貰わないで海洋放出をとっととしてしまうのはまるで子どものようだと。科学と国際機関を権威に見立て、それらが大丈夫と言っているのだから行う。この子どものようだを親や先生に大丈夫と言われたからやるようなものと解釈した。さらには、それらがローカルルールという。

確かに、日本人は海外と比べて確かに科学技術に寛容という話も聞くし、「科学技術大国日本!」というキーワードも聞く。私としてもそんなに科学に否定的ではない。しかし、科学も100%間違っていないわけではないが、概ね信じられているというのが現状ではないかと思う。

なので、ローカルルールとまでいくのだろうか?というのが私の疑問なのだが、中国がこの主張(科学)を認められないならば中国はどうやって発展してきたのか?と疑問が残る。

しかし、科学技術に理解を得られない国は確かにあるだろうという主張は抜けていたと思う。

この海洋放出に対して日本国内でも了解を得ていないのに流すということに少し触れられていた。政府は国民に理解させずに事を進めるようになってきていると。確かに、安倍元首相の国葬についても国民の理解がないまま進められた。

正直、私としては、原発問題の国民の理解を得ることは難しいと考えている。どうしても込み入った単語が出てくる。そういう言葉は言葉をややこしくして、国民を欺くために使っていると思われるに違いない。さらに、原発のデータ偽装問題などもあり、国民が理解できたとしても、政府の提示するデータに疑問が残る問題がある。また、逆に物事を簡単に説明しても、非難を浴びてしまう。

この報道は、伝える側としても国民が振り落とされずに、ついてこれる話まで落とす努力をした結果なのだろう。逆に、ここまでのレベルにしないと国民が理解できない、と伝える側は思っているのだろう。それくらいの難しさだと思う。こんなことを書いている私も全然分からない。

しかし、トリチウムは私たちが飲んでいる水の中に入ってることは知っている。存在している割合がものすごく小さく、0が10個程度つく%でほとんど無いに等しい。けれども、どれくらい入っていたら人体に有害かは知らない。こんな程度の理解。

安倍元首相の国葬は日本人の肌感として、国葬すべきか?を判断すればいいと思っている。そもそも「国葬に値する人物」とはどういう基準なのかも分からない。さらに、当時から「国民投票をして決めればいいんじゃないか?」という意見もあった。国葬に値する人物として、直感的に分かりやすいのは「日本を変えたリーダー」とかだと思う。「変えた」というのもどの程度なのか?というのは議論がつきないが、国民としては「安倍さんが総理になってから生活が良くなった!」という実感があれば、是非とも国葬をと理解を得られたのではないだろうか。

さらっと書くとか言いながらもだいぶ書いてしまったのだが、このまま書き続ける。ここからこそさらっと。

ここから書くのは全て連載作品なのだが、月毎の前後関係が分からなくともその月だけで話は完結していて読みやすい。前後関係があっちこっちに飛びながらも読んでいる。

『海をこえて』(松村圭一郎)は文化人類学の本でよく読んでいる作者なので、また、『メタバース現象考』(戸谷洋志)も、『スマートな悪』で感銘を受けた著者なので読んでいる。

『世界の適切な保存』(永井玲衣)は物事の見方の視点がかなり面白い。以前にも、noteで書いた気がするが、美容室でのオーダーほど自分がどんな風に見られたいかを主張する場はない、というようなことが書いてあった気がする。作品のタイトルのフォントの透き通った柔らかさとそれにマッチしたイラストもかなり好みで、noteの見出し画像を作る時にもこんな風に作りたいと思ったりする。

『養成する言葉』(岩川ありさ)。内容は覚えていないが、何かいいこと書いてあったな~で気に入って読んでいる。今回読んだ号にはタイトルに「ハードルを下げる」という言葉が入っている。ハードルを下げつつも継続して物事を進める仕組みみたいなものを作りたいと思っている私にはピッタリだと思った。他人にも自分にも寛容になろうというメッセージを受け取った。

『書きたいことはないのだが、』というタイトルで書き始めたが、3500字も書いたのはいつぶりなんだろうか?と思う程書いた。自分でもよく分からないが、今日はスラスラ書けました。本当は読んだ本の理解をする予定だったのだが…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?