見出し画像

[雑記]何か書くことにした

何か書くことにした。

なぜ書くのかと問われたら、ひとまずそうするより他になかった、としか今は言いようがない。おれは今年、たくさんの本を出すことに決めた―――これには複数の意味が重なっているので、できるだけ丁寧に解したいと思う。まず、たくさんの物語を書いていく上で必要なものがふたつある。ひとつは着想。これが書きたい、書けそうと思うテーマそのもの。これは日々摂取するコンテンツや物語の中から見出すのがひとまずは簡単である。もうひとつは締め切り。いつまでにやるという具体的な期限がなければ人間は死ぬまで怠惰を貪る生き物だからだ。そして同人イベントに出ると決めるとこのふたつが同時に満たせる事に気づいた。だからやる。とにかく手を動かし創作のための筋肉をつける。ついでに本というパッケージにするためには装丁や編集が必要になるので、デザインのスキルも必要になる。なぜそんなことをしようと思ったか、その理由まで解すつもりはないが、これもひとまずそうするより他になかった、としか言いようがないのかもしれない。

では何を書くのか。最後に書いてから二年近く放置された古いノートブックを手に取り、おれは考える。その表紙には「文章をかく練習 一週間に一回くらい更新」とまるで叶えられることのなかった言葉が刻まれている。ページをめくると中には映画やゲーム、コンテンツへの感想文が最後に書き込まれていた。感想文は人に読まれやすく、おれも倣ってよく読む。それが新作のコンテンツならばことさらに。しかし評価というのは、後から見返して印象が変わったり、誰かの言葉を読み込むうちにコンテンツそのものの見方が変わることもままある。つまらない・わからないと思っていたものが面白がれるようになることもあれば、自分が自信満々で書き残した褒め長文すら野ざらしのまま放っておくほどにどうでもよくなることもある。書くことで自分の中で評価を確定させてしまうことも、その後の自分が嘘になってしまうことも、はっきり言って怖いと思った。今もまだ怖い。なので、数年が経っても自分の中で大事だと思えるものや、もう無いものへの感情とか、自分の中の評価が安定しているものの話とかをすればいいのではと考えている。

なんでそんなに前段を広げてまでなにかを書こうとするのか?それだけは自明であった。おれが必要としている事、すなわち「文章をかく練習」をするためだ。この手にした古いノートに限らず、そこら中に散らばったスケッチブックやメモ帳、そのどれもに、表紙をめくると必ず、一ページ目にはこう書いてある・・・「練習しろ、毎日だ」と。でも、雑記を毎日書くのは大変なのでやっぱり、毎週とかにしよう。毎日書くのは次の本のための原稿だけでいい・・・心を決め、おれは外套の上から腰のホルスターに収められたレーザーガンを確認すると、地面に置かれたノートブックたちに背を向け、まだ陽の昇らない暗闇の中、月明かりを頼りに眼前へ広がる荒野へと歩き出した・・・

サポートしていただけると、ありがたい気持ちでブックオフに行くことができます