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世界史における悪問とはなにか

世界史における悪問・良問

一橋大学の世界史入試問題について、これは悪問であるという趣旨のツイートが流れてきた。


自分としては良問だと思ったので転載失礼します。

地図中のAとBの国がアフリカ統一機構に加盟したのが遅れてしまった理由を400字で説明する問題だ。高校世界史ではアフリカについて扱う量が少なくて、たしかにこれは難問ではある。一橋受験生でもこの問題の100%正解の解答を出せる人はほとんどいないだろう。

しかしこれが悪問かというとまた話は別だ。なぜなら高校世界史の教科書で扱う知識で十分に書くことができるからだ。必要な知識はアフリカの年、カーネーション革命、ローデシア紛争の3つくらいだろう。
白地図上の現在の国と宗主国についても大航海時代、ヨーロッパのアフリカ分割などの知識があれば推測できるだろう。アラブ人の東アフリカ進出やサブサハラアフリカの古代王国についての知識も役に立つかもしれない。

ここで重要なのは断片的に覚えてる知識を繋げ合わせて、分からない問題を推測していくことである。
はっきり言って私自身も両国の加盟が10年遅れた理由なんて知らない。だが断片的な知識を繋げ合わせてこういう理由かなという仮説を立てることはできるし、分からないなりに60点くらいの解答を作る能力を一橋大学の出題者も見てるのではないだろうか。
そうした仮説を立てる能力は大学入学後も役に立つし、仮説を立てて調査して検証するのは研究活動の基本であり、難関大学に入りたいなら当然持っていてほしい素質である。

ツイート主は現役生なようで、あまり厳しいことは言いたくないが、世界史をキーワード暗記科目だと思っているようではこの問題は解けないだろうし、難関文系国立大合格は難しいだろう。世界史は知識の記憶も当然必要なのだが、地理や政治経済など総合的に理解していく必要がある。常に「なぜこのようになったのか」を考えて検証していく科目である。
世界史における悪問というのは「ボストン茶会事件で海に投げ込まれた茶箱の数を答えよ」のような知るかボケと言わざるを得ない問題である(これは実際に早稲田で出た問題だ)
一橋のこの問題は難問ではあるが、高校世界史の知識でも60%くらいの解答はできるはずだし、受験生があまりやってないアフリカ史だからこそ暗記に頼らない世界史力を公平に計れる良問だと思う。

60%くらいの解説

説教だけしてても感じ悪いだけなので実際に60%くらいの解説をしていこうと思う。

白地図のAとBの国ってどこ?

AはモザンビークでBはジンバブエだ。
モザンビークは大航海時代で出てくる。ポルトガルのインド洋進出の拠点である。

ジンバブエもアフリカの古代王国についての章でグレートジンバブエ遺跡という名前が出てくる。

マイナーではあるがこうした知識から現代の国を推測することは可能だ。

また、おそらく出題者の意図としてはベルリン会議で分割されたアフリカの地図をちゃんと把握してるのか試したかったのだろう。正直この地図が頭に入ってないと現代アフリカの問題について語るのは厳しいと思う。あまりいないと思うが将来アフリカと関わりたい人、アフリカ研究したい人は頭に叩き込んでほしい。

この地図が頭に入っていればモザンビークの宗主国はポルトガル、ジンバブエ(ローデシア)の宗主国はイギリスということくらいすぐ分かるだろう。
覚えるのめんどくさいと思うかもだが簡単だ。ほとんどは英仏の植民地であり、一部ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギーが持っている(スペイン領もあるけどそんな問題恐らく出てこないし出て来ても無視しろ) 例外から覚えていってあと残りは英仏って覚えておけばいい。

アフリカの年

アフリカの年の年号なんて正直もう忘れた。別に覚えてなくてもこの問題は解ける。
世界史選択してない人でもアフリカのほとんどの国はヨーロッパ人に支配されていたことくらいは知ってるだろう。知らない人は中学の社会からやり直してほしい。

植民地支配を受けていて、現代では独立しているのだから当然アフリカ諸国には独立した年というものがある。
1960年代に多くのアフリカ諸国が一斉に独立してアフリカ統一機構(OAU)という組織を結成した。1963年結成と書かれているからアフリカの年もたぶんその辺だろう。

この画像はアフリカ諸国がOAUに加盟した年を色分けで表したものだ。この地図を見たことある受験生はおそらくほとんどいないだろう。だが問題文に「モザンビークとジンバブエの加盟は10年以上遅れた」と書かれている。理由まで分からなくても地図を見たことなくてもこの2カ国が遅れて加盟したことは問題文見れば分かる。
ではこのモザンビークとジンバブエにはどのような事情があったのかというのがこの問題である。

それぞれの事情 世界史知識応用編

アフリカ独立国家の連盟への加盟が遅れたということは恐らく独立が遅れたからというのも推測できると思う。ここからが世界史力が試されるポイントなのだが、ポルトガルは植民地帝国の解体が遅れてカーネーション革命で独裁政権が倒れるまでモザンビークの独立は遅れていた。モザンビークは独立戦争の真っ只中にあり、まだ独立を達成できていなかった。

一方でジンバブエは当時はローデシアという国であり、白人政権が黒人を支配していた。南アフリカとともにアパルトヘイト政策を行っており、ローデシア紛争を経て黒人政権が成立するまでOAUの加盟はできなかった。ローデシアは独立国家ではあったが、OAUはアフリカ諸国の脱植民地化の結果生まれた組織なので白人政権のローデシアが加盟できないことは推測できるだろう。

これは良問である


こんな感じで分からないなりに推測して仮説を立てていくことのできる受験生を一橋大学は求めているはずだ。
せっかくなら400字でいい感じにまとめたいが、めんどくさいのとそろそろ夕飯なので解答は私の解説読んだり調べたらして各々作ってみてほしい。これは良問である。60%の解答でいいのだ。仮説を立てて検証してより良質な解答をそれぞれ作ってみてほしい。

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