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移民が築いたマレー半島らしさ、そしてプラナカン文化

10年ぶりにシンガポールを訪れた。物価が高いと言うので、高校の修学旅行で行ったアラブストリートのロティチャナイも10ドルくらいになってるかと期待していたのだが、相変わらず卵を入れても2ドルや3ドルと安かった。体感としては東京23区と大差ない物価であった。
10年前とは違い家族連れで、ベビーカーを押しての旅行だった。当時は限界バックパッカーだったのでスーツケースを押しての旅も初めてだった。
全体的にバリアフリー化が進んでおり、他の東南アジア諸国とは違い歩道に大穴が空いてるのに突然出くわすなんてこともないからベビーカーでも歩きやすいが、日本では考えられない場所に段差があったり、案内板が少なかったりなど、当たり前ではあるが日本とは勝手は異なる。
一方で日本車とドイツ車が道路に溢れかえっており、街並みも清潔で、日本のお店も多い。ウォシュレットがないことを除けば日本の都市部と同じくらい綺麗で便利である。東アジアの都市部詰め合わせといった街並みであろうか。年々そうした空気感が強くなっており、よく言えばストレスなく旅行できるが、悪く言えば海外に来た感がない。ホテルの前を大阪王将のトラックが走り抜けていったのを見たときは本当に海外に来たのだろうかと思ってしまった。一部旅行者が言ういまひとつ刺激が足りないという感想も理解できる。

アラブストリートはそんなシンガポールの中でも「海外に来た感」を味わえる場所のひとつだ。地下鉄のブギス駅から徒歩10分ほど。空港からも一本で行ける観光地であり歴史地区でもある。

アラブストリートといっても今日住んでいる人の多くはマレー系である。英領時代、ムスリムの居住地として整備されたこの地区には多くのアラブ人が住んでいたが、マレーシア独立後国を去り、結果マレー系が残った。アラブ料理屋と中近東の都市名を冠した通りの名前がかつてアラブ人街だったころの名残をとどめている。
モスク、アザーンの響き、中東風の雑貨屋、アラブ料理屋、マレー料理屋、昔ながらのショップハウスなど、ここを訪れたら間違いなく「海外に来た感」を味わえる。

ロティ・チャナイ たまご入り

冒頭で言及したロティ・チャナイはマレー系、インド系のご飯である。ロティはパンという意味でインドの言葉が由来だ。チャナイはインドの都市、チェンナイが訛ったものという説がある。つまりチェンナイのロティだ。
天津に天津飯は存在しないように、チェンナイにロティ・チャナイは存在しない。チャパティの生地にギー(バター)を練り込んで焼いたローティー、パロータと呼ばれるパイのようなパンは存在するが、ここでは魚の出汁の効いたカレーソース、マレーのチリソースであるサンバルなどと一緒に食べる。マレー人の主食は米である。つまり小麦粉から作るロティ・チャナイは移民が持ち込んで、マレー半島独自の要素を取り込んで育った食文化ということだ。

シンガポールは中国からの華人移民が多く、街並も清潔だ。それ故に高いお金を払うほど衣食住は日本とあまり変わらなくなってしまう。
一方でオリジナリティが出てくるのはロティ・チャナイのような庶民のご飯であろう。移民がもたらし、マレー半島独自の要素を取り入れて発展した文化こそがシンガポールらしさ、マレーシアらしさである。

肉骨茶(バクテー)
カヤトースト

華人移民もまた独自の食文化を築いた。植民地時代にマレー半島へやって来た華人の多くは苦力(クーリー)で、鉱山や港湾の重労働に従事していた。低賃金で労働負荷の高い華人苦力がスタミナを付けるために生み出した食事が肉骨茶である。
肉骨茶は骨付き肉を醤油と生薬で煮込んだスープ料理であり、肉体労働者の朝食でもあった。スープは白米にかけて食べる。一見重いように見えるが、意外と優しい味で、朝食でも問題なく食べられる。朝からお腹を壊すことなくガッツリ食べるための工夫がなされている。
二枚目の写真カヤトーストも華人が生み出した労働者向けの朝食である。シンガポールの華人は多くが肉体労働者の子孫だが、彼らがマレー半島で築いた食文化こそシンガポールのオリジナリティといえよう。

さて、「マレー半島らしさ」とは何だろう。私はマレー人の生活文化だけがマレー半島らしさではないと考えている。インド亜大陸や中国大陸からやって来てこの地に根を下ろした人々もまた独自の文化を築き、マレーシアやシンガポールの文化を形成している。
「プラナカン」という言葉がある。マレー語でこの土地で生まれ育った者を意味するが、特に移民や混血の子孫についてそのように呼ばれている。マレーシアやインドネシアでプラナカンと言った場合、基本的には中国系移民の末裔のことを指している。狭義にはマレー系の文化を受け入れた中国系移民の子孫たちを指しているが、華人との境目は曖昧である。また、中国系だけでなくインド系、欧州系、アラブ系のプラナカンも存在する。特にシンガポールでは自国文化の再発見のためプラナカン文化=移民がもたらし、マレー半島で育った独自文化に注目しており、必ずしも中国系の子孫に意味を限定していない。

伝統的なプラナカンの家族

マレーシアがマレー人の国であることを(良くも悪くも)強調する一方で、シンガポールは近年プラナカンに注目している。先ほど紹介した料理の数々も移民がもたらしたマレー半島独自の文化であると考えたら広義のプラナカン料理とみなしてもいいと思う(厳密に言うとプラナカン料理というジャンルは別に存在するのだがここでは割愛する)

マレー半島で育ったプラナカンたちは何人なのだろうか。「インド人」や「中国人」ではあるが、彼らのほとんどはもはやインドや中国との縁は切れており、今更帰るような場所はない。生まれ育ったマレー半島が故郷である。彼らの先祖は皆が皆好きでこの地にやって来たわけではなく、政治的または経済的理由で生きることを目的でやって来た。元々住んでいたマレー人と交流し、時に対立し、同じマレー半島で生まれた人間として生きてきた。ただ寄留するだけでなく現地の発展にも大きく貢献してきた。プラナカンたちは立派なマレーシア人であり、シンガポール人だ。

カトン プラナカン住宅群
プラナカン食器

マレー人だけでは今日のマレーシアやシンガポールの発展を実現することができなかった。発展させただけでなく、華人やインド系移民の築いた文化はマレー半島の文化に深みを与えている。インドネシアやブルネイなど他のマレー諸国にはない深みであり、この個性こそがマレー半島らしさである。

今後シンガポールやマレーシアを訪れることがあれば、華人やインド系移民がもたらしたものに注目してみてほしい。マレーシアはもちろんのこと、あまり海外に来た感がないと言われがちなシンガポールでさえ、目に映る街並が新鮮なものに見えてくるはずだ。

この記事ではシンガポールの政府の方針に倣ってあえて華人やインド系移民の子孫全般についてプラナカンとして扱ってきた。先ほども少し述べたが、狭義のプラナカンは15世紀以降にやって来た移民がマレー系住民と婚姻を結び、混血した者の子孫のことである。彼らはマレーでもなく、華人やインド系とも一線を画した文化を形成している。
シンガポールにプラナカン博物館という小さな博物館があるが、シンガポールという国の独自性を垣間見ることができる。シンガポールはシンガポール人ですら自分の国には独自の文化がないと言ってしまうことがある。しかし実際のところは無個性なんかではなく、移民たちが築いた文化が国民の間にしっかり受け継がれているのだ。文化を築くのは必ずしも元々住んでいた人だけではない。移民もまたその国の文化の担い手であり、文化に深みを与えているのだ。

プラナカン博物館
プラナカン博物館
プラナカン博物館
プラナカン博物館

マリーナベイサンズからの夜景もなかなか綺麗ではあるが、夜景は日本でも見れるので、こうした移民たちがもたらしたプラナカン文化からシンガポールらしさを味わう旅も悪くはないのではないだろうか。

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