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『「社会正義」はいつも正しい』を読む-①Modern(近・現代)とは何か

1.ポストモダンって何?

『「社会正義」はいつも正しい』はポストモダン思想が変質し現代の「不寛容なリベラル」となったことを検証し、「不寛容なリベラル」に対する処方箋としてのリベラリズムを提唱する「真面目」な本である。
「不寛容なリベラル」のありのままをところどころで描いてるので露悪的にも見えるが、ありのままを描いたら差別と言われるのもたまったものではないし、個人的にはそのようなパターナリスティックな忖度の方が不健全で不誠実だと思うので「真面目」な本であるということをあえて強調する。(前回も書いたが「不寛容なリベラル」のありのままが知りたいなら前回の記事にリンクを貼った訳者解説を読んでほしい)

さて、何回かにわけて『「社会正義」はいつも正しい』の解説をしていく。
まず「ポストモダン」という言葉の意味をご存知だろうか。この本は出だしから延々とポストモダン思想の変遷についての解説が続くが、そもそもポストモダンの意味を知らなければ内容を理解できない。
字義通りに解釈するとポストとは「〜のあと」でモダンとは「近・現代」という意味だ。ポストモダン思想には色々あるが、言葉を噛み砕いて説明すると「近・現代のあと」という意味になる。つまりポストモダン思想とは近代、現代の先の時代について論じようという試みであった。

2.「近代」とは何か

英語では近代も現代もmodernである。modernとは我々が今生きている時代区分のことである。日本語に訳すと近代、または現代であり、現代というのは近代という時代区分の「今現在」にあたる部分だ。思想史では近代という言葉がよく使われるので、この記事では近代という言葉を使っていく。

ポストモダン思想が「近代のあと」について論じた思想であることは説明した。では、そもそも「近代」とはなんなのだろうか。ポストモダン思想について知るためには「そもそも近代とはどのような時代であり、何が問題とされているのか」を理解しなければならない。本格的にポストモダン思想について解説する前に「近代」とはどのような時代なのか解説していく。

近代とは時代区分である。近代という概念が生まれたころ、人々は人類の歩みを「古代・中世・近代」の3種類に分けて考えた。近代という概念は14〜16世紀のルネサンス時代の中で、西欧の人々により形成されていく。
ルネサンス時代以前、人々は「中世」と呼ばれる時代を生きていた。中世はキリスト教会による支配のもとで人々が寄り添いあって貧しさを耐え忍んだ時代として捉えられた。ルネサンスとは「再生、復活」という意味である。ルネサンス時代の人々は中世をある種の荒廃した時代と捉えていた。彼らは「古代」、具体的には古代ギリシャ・ローマ時代に人間社会の理想を見出し、理想の人間社会を復興することで荒廃した中世という貧しく困難な時代を乗り越えようとしたのだ。これが「近代」という時代の始まりであった。

ではルネサンス時代が理想とした「古代」とはどのような時代だったのか。ルネサンス時代の人々は古代ギリシャを自由で自立した市民が理性と主体性を持って世界と向き合った時代だと考えた。実際に古代ギリシャがそのような時代であったかは議論が必要であるが、それは置いておいて当時の西欧人がそのように考えて近代という新しい時代を築き、それが現代社会の礎となったという事実が重要なのだ。

3.近代が目指したもの

世界史を受講した人ならヘレニズムとヘブライズムという言葉を聞いたことがあるだろう。当時の西欧人はヨーロッパはヘレニズムとヘブライズムを礎として成り立っていると考えた。ヘブライズムはキリスト教となり中世ヨーロッパ社会を築いた。そしてヘレニズム=古代ギリシャの思想と西欧人が考えるものを基礎にして、中世を乗り換え理想の社会を復興していこうという一連の運動がルネサンスであり、近代という時代の幕開けであった。

近代という時代は中世の脱却を目指していた。古代アテネの「民主主義」が本当に民主主義だったのかは怪しいが、西欧人は古代ギリシャに市民民主主義の理想を見出した。その理想はやがて中世世界で一般的だった封建制や絶対王政を倒し、自由な市民による平等な国を作ろうという運動に変わり、やがて市民革命に繋がった。
教会による支配や宗教的な迷信は個人主義や合理主義、世俗主義によって退けられた。自由と平等の概念が庶民レベルまで広まり、長い時間をかけて人々は中世的な世界観から近代的な世界観へとパラダイムシフトした。近代という時代は多様な事象の集合体であるが、全体として人々が科学や技術の進歩を信奉し、暗い中世の時代から脱却して理性のもとで明るい未来を切り拓いていく時代であると看做す傾向があった。自由で平等な市民が理性と主体性を持って活動し、世界を解明して問題を解決し、社会をより良いものへと導いていく。現代社会もこの「近代主義」が築いた社会の延長線上であり、多くの人々は多かれ少なかれ「進歩」や「自由と平等」といった理念のもとで生きている。色々な問題があるし、「自由と平等」の度合いも国によって様々であるが、この近代主義に替わる価値観は現時点では提示されていないし、現代でも多くの人類は「近代」という枠組みの中で生きているのだ。

4.Modernの何が問題なのか

「近代」とは自由で平等な市民が理性により問題を解決して理想の社会を築いていくことを目指した時代であることは述べた。一見正しいことのように見えるし、実際多くの人にとって魅力的に映ったので、西欧人の活動範囲がグローバル化するにつれてこの「近代」が目指した社会は世界中に広まり、世界を覆い尽くした。では近代、Modernとは何が問題なのか。どのようにしてPost-Modernという思想が生まれたのか。

端的に言ってしまえばポストモダン思想が問題にしていることとは現代(Modern)社会で問題になっていること全般である。
難しいことを考えなくても、現代社会は豊かになりながらも多くの問題を抱えていることを我々は生活を通して知っている。科学技術は暮らしを豊かにした一方で地球環境を破壊し続けており、気候変動や自然災害となって人類に牙を剥いている。
また、近代の前提となってる「自由で平等な市民社会」の内実はどうだろう。自由と平等を与えられたのは西欧人、またはそれに準ずる人々とされ、植民地の人々は中世的な世界観から脱却できていない啓蒙されるべき存在とされ、近代社会の枠組みから排除されたのだ。

挙げていくとキリがないが、現代社会は様々な問題を抱えており、いまだ解決できないものも多い。多様な問題を抱えているが、全ての問題は近代の「前時代を否定して、より進んだ形を提示する」という思考様式から発生している。近代主義とはある種の徹底的な自己否定であり、この自己否定の積み重ねのおかげで我々は豊かな社会を築いてきた。一方でこの自己否定の精神は「肯定され包摂される存在と否定され排除される存在」を生み出してしまったのだ。現代社会の問題は誤解を恐れず言えば「否定されて排除された存在」についての問題なのだ。

「ポストモダン思想」の内実は多様であるが、全体としては現代社会の諸問題について論じており、脱・近代主義的な傾向があり、「否定されて排除された存在」について扱っている。それは自然環境だったり人間以外の動植物だったり外国人だったり女性だったりする。
「ポストモダン思想」のもうひとつの特徴として全体的に難解で読みにくく何を言ってるのか分からないというのがある。正直私が読んでもよく分からないものも多い。だが仮に分からなくても「よく分からないけどポストモダンというものは現代社会の問題、特に近代主義の中で否定されて排除されてきた存在について扱っているんだな」ということが分かる。それが理解できるだけで現代社会について取り扱った文章が一気に分かりやすくなる。難しいこと言ってるけどこの人はおそらく現代社会の中でワリを食った存在のことについて論じてるのだろうと。(蛇足だがこれを把握してるだけで入試評論文の成績が安定する。現代文とは現代の諸問題について扱った文章なので極論を言ってしまえば「排除された存在」についての問題なのだ)

最後にポストモダン思想の特徴についてもう一点補足しておきたい。ポストモダン思想は現代社会の諸問題を扱うものであり、時に過激な言葉で現代社会を否定する。脱・近代主義的であり、時に反・近代主義的なのが特徴である。しかしこの特徴は近代主義の「前時代を否定して、より進んだ形を提示する」という思考様式そのものである。つまりどれだけ偉そうなことを言ってもポストモダン思想のほとんどは近代主義の枠組みそのものであり、近代主義に替わる価値観を提示できていないのだ。様々な問題を抱えながらも我々人類は「近代」という時代を生きており、ポストモダン思想とは現代人が現代社会の諸問題と向き合うための極めて近代主義的な思考の営みなのだ。

5.『「社会正義」はいつも正しい』を読もう

さて、ポストモダン思想が「現代社会の諸問題について、特に近代主義の中で排除されてきた存在について論じた一連の思想である」ということを理解した今、改めて『「社会正義」はいつも正しい』を読んでいこう。この本は網羅的であり、その分ポストモダン思想を抽象的に扱っているので、現代思想について勉強したことない人には読みにくいものとなっている。しかし具体的なことは分からなくてもこのnoteを読んだ人なら「よく分からないけどポストモダンってのは社会問題について扱ってるんだな」ということは理解できるはずだ。それを分かった上で読んでも分かりにくいと思うが、この本を読んでいく上での羅針盤となるだろう。
次回からは改めてポストモダン思想とはなんだったのか、なぜ現代の諸問題を論じていたはずのポストモダン思想が「不寛容なリベラル」という問題そのものになってしまったのか、現代社会の問題となってしまった「不寛容なリベラルに対して」どのように対処していけばいいのかを本を紹介しながら論じていく。恐らく3回くらいだろうか。思想史を勉強したことない人が読むのは困難であるが『「社会正義」はいつも正しい』とは以上のような内容となっている。興味を持った方はぜひ挑戦してみてほしい。

参考文献

『ヨーロッパ「近代」の終焉』
『西洋政治思想史』

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