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施術前と施術後の変化でサロンを始めてより感じた効果が一つあります。

それは観念に縛られる事からの開放。

このサロンを始めてから、特に女性の利用者さんに思うのですが、

『〇〇でなければならない』意識の強い人の特徴って、すぐに謝る方なのかなと、思いました。

私はこう見られなきゃいけないと思う人ほど、

私自身には何も不快な事や迷惑はもらっていないのに、自分の思う自分像、自分の流れを私に出来なかった事に
「ごめんなさい」という言葉がポロリとでる。

それはただの緊張からでるものもあるかもしれないけど、
外向きの姿として
「こういう性・姿勢・容姿であるべき」
という理想があって、
それに対して執着、観念のしばりつけがあるのかなと思っています。

私のサロンは、あえていうのであれば

・男性セラピストであること
・ひと肌をさらす事

この部分に関して、初対面の自分に対して、女性という鎧を固く閉ざす事は当然の事です。

だからかもしれませんが、初対面で隙をみせないという姿勢が、
そうした、その人の他人にこう見られたいという姿勢として潜在的に抱えたものが溢れ出し、

ちょっとドジをしてゆるんだ自分を見せた事への「ごめんなさい」になっているような気がしました。

それが私の施術を受けると

・男性である私に、肌をみせても、内容に安心できる
・衣服を全てまとわない事で解放感を得る(掛けシーツとドレープでデリケートな部分はしっかり隠します)
・自分の身体を全身繋がるようにアプローチされて、身体と向き合う
・身体自体が軽くなっていく
・まどろみに近い状態になる事で考えが整理されていく

のような事が私への信頼となり、
それらが
・素になってもいいんだ。
・ここは楽なんだ。
と認識してくれるのかなと考えます。

実感として、
私のサロンにくる女性の利用者さんの施術前後の雰囲気は本当に変わります。
より、ものごしの柔らかさが増して、その人の愛らしさが見えて
より魅力的に見えるのです。

私自身、もともと経験しているリハビリの現場というのは
寝間着で、すっぴんで、シャワーも頻繁に使えなくて
そんな全てを取り除かれた状態で、向かい合う現場。

そういう人たちと向かい合う事で、人の素の姿の愛らしさをたくさん見てきました。

こうでなくてもいいんだ。私は私でいいんだ。
この人に私は隙をみせても、この人は変わらずににこやかにしてくれる。

私はそういう気持ちで迎えています。

私のサロンはそういう意味でも心も楽にしてあげられる場所になれると思っています。

銀座という場所、外を歩くためには綺麗を意識するかもしれませんが、そのON・OFFのギャップがよりサロンとして開放させるためには効果的とも思っています。

全身の血行があがり、身体も楽になります。

眠れない人が気持ちよく眠るためのきっかけを渡せます。

瞑想的な感覚に煮詰まった頭がほぐれます。

こうあるべきという自分への執着を手放せるきっかけになるかもしれません。

ぜひ、お店にいらしてください^^

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