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バカとのブレイキングダウンが終わらない理由〜人の思考は2タイプ〜

私は学生の時、野球部に所属していました。強豪校でなくとも野球というのは、スポーツというのは厳しいものでした。

最初からできることをやっているのでは無いので、上手くなる、熟達するにはある程度の負荷というものが人間には当然ながら必要です。

そこかしこで聞く話だとは思うのですが、
「グランド10周!ダッシュ50本!足腰鍛えろ!」
みたいなものが蔓延する世界です。しんどくても根性で乗り切れよ!といったような不合理な場合が多くあります。

その中でもやはり"身体を大きくする"というのはどのスポーツでも重要視される項目ですよね。

筋トレがその最たる例でしょう。
「大きくするためには負荷が必要。だから筋トレをして筋肉痛になる。そうすればおおきくなるのだ!」というのはあなたも経験してきた、もしくは聞かれたことがあるのではないでしょうか?

ですが最近では、筋トレの負荷は筋肉合成のためのスイッチであり、その後の回復期間こそが筋肉を作るのであるというのが概ね合意されている認識です。

筋肉痛というのがなくとも、漸進性の負荷、つまりちょっとずつ負荷を大きくしていく(重さのUP、回数のUP)が重要であり筋肉痛はたんなる負荷のシグナルであるということです。

実際そのようにトレーニングすることにより私の体は変わりました。(170cm60kgから170cm70kgまで)高校生のころは兎にも角にも何回もあげたり、重いものを無理矢理持ったりしても全く変わりませんでした。

つまり今のところ《トレーニングはシグナル》というのが概ね正しいということです。つまり筋肉はキッチンで作られる(栄養補給が大事)ということです。

ではその頃の指導者はバカだったのでしょうか?

私はおそらく違うと思います。おそらくですが肌感といったようなある種データの積み重ねが、指導者の頭の中で論理立てられていたのではないでしょうか?

つまりは、
大きくなるやつは筋トレしてる。

筋肉痛でも練習する。

大きくなるには筋トレ!
の論理構造ですね。大きくならないやつは筋トレが足りない!と頭の中で変換されていたのでしょう。

それは回復期間の違いや胃腸の強さ、つまりは食べる量が考慮されていないファクトと呼ぶにはあまりに弱い論理だったのですが。

このようにバカに見える人にも論理があります。歴史的な絵画にトマトスープをかける団体にも論理があるように。

私やあなたは他の人、それが家族であれ、友人であれ自分とは違う行動や考えがあればすぐにバカだと思ってしまいます。コロナの時のワクチン接種する・しない、マスクをつける・つけない、政党を支持する・しないなど理由はさまざまです。

しかしそれ(他人をバカだと思い込む)は、ある種の境界線、壁のような隔たりがあるだけなのです。

上の図のように大分類では《想いが強いタイプ》と《合理が好きなタイプ》に分かれます。

想いが強いタイプとは目に見えないものが好きなタイプです。龍神様を信じたり、霊が見えると言ったりする人のことです。

他にもなんちゃらの法則とか超能力とかさまざまなものが好きなタイプです。時にこの想いが強いタイプを合理が好きなタイプの人がバカにしたりします。合理が好きなタイプは想いが強いタイプをバカだと認識しています。

逆に想いが強いタイプの人は、合理が好きなタイプの人を、目に見えないものが信じられないバカだと認識しています。

しかしながらこの大分類ではおもいきりコンフリクトしているような2つのタイプですが、もう少し分類すると同じに見える部分があります。

両方のタイプにデータが好きな人がいます。想いが強いタイプの方の小分類《データが好きな人》というのは占いが好きなことが多いです。

占いというものは基本データの集合体です。「あなたはこういう星の動きの波動を受けやすい時期だから今月は大人しくしておくのがイイよ。」と想いが強いタイプの人に説明するとすんなり受け入れてくれます。

しかし合理が好きなタイプの人に同じ説明をしても受け入れません。ですが「今までの診断で1400万人のデータが蓄積されています。そのデータというのは、心療内科医や臨床心理士がよく使うエゴグラムという心理テストで統計をとってきています。さてその中で当てはまるのはこのタイプということになります。なので統計から見るとあなたは今月は行動を控える必要がありそうです。」というとわりと受け入れてくれます。

つまりは同じことなんですが伝え方が変わっただけなのです。あなたもどちらかは信頼しうると思ったのではないでしょうか?

つまり両者は同じものを同じ説明でなければ好きになれるということなのです。

次に両方の(少し面倒くさくなってきましたし、あなたもクドイと思うのでタイプは省略します。)タイプを小分類したところに、思想が好きな人と論理が好きな人が居ます。

思想が好きな人というのは例えば引き寄せの法則とかが好きな人です。「ネガティブな思考を持つと、その出来事が引き寄せられるし、逆にポジティブな思考を持つと、ポジティブな出来事が引き寄せられます。これが引き寄せの法則。ポジティブでいこう!」が好きな人です。

これを論理が好きな人はバカにしますし、思想が好きな人は「なんでわからんの?バカなん?」と思います。

しかし論理が好きな人に「ホメオスタシスは安全に生きるための脳の機能です。これ、つまりはホメオスタシスが働くのはコンフォートゾーンだけです。簡単に言うと自分が快適に思う領域ということです。宝くじで一億当たった人がすぐに元の生活に戻ってしまうというのはよく聞きますよね?それはコンフォートゾーンが元の生活だったからです。つまり1億円ない状態が快適、ホメオスタシスが元の状態に引き戻してしまうということなのです。つまりあなたの年収を上げようとするのならば、この脳の機能によるコンフォートゾーンを上げるのが一番の近道なのです。」

と伝えるとどうでしょうか?結論としてはどちらもリアルに想像しなさいよ、という結論に帰結しているのですが合理が好きな人にも響きやすくなったのではないでしょうか?

このように合理的な人というのは得てしてクソほど説明がめんどくさい人種です。合理的で論理的な説明なら理解してくれるのですが、データやファクトっぽいものが無ければ信じません。

つまり両者は似て非なる思考をしているつもりですが、論理の説明自体は科学的か非科学的なのかの違いでしか無いのです。

このように説明していると合理的なタイプの人から「お前のようなハーバードもマサチューセッツ工科大も縁遠い人間にはわからぬことよ。」とお叱りを受けてしまいそうではあるのですが。

とにかく想いが好きなタイプも合理が好きなタイプも論理的な展開があり思考停止のバカでは無いということです。

私のようなどちらもつまり、想いが強いタイプも合理が好きなタイプも共通点あって面白いなと思うような変なタイプは別にして、人間誰しもーーあなたもそうだと思うのですがーー偏りというものがあります。

偏りというものは無自覚に人の思考の幅を狭めてしまいます。学ぶものの対象を自分で決めてしまうということです。

そうなればどちらのタイプも信じるものは救われる状態に陥ります。無思考で自分の思うファクトを信じるということです。つまりクリティカル(批判的)な思考ができていないということです。

確証バイアスといったところでしょうか。

つまり、自分の仮説や信念を支持するような情報を集めてファクトを積み上げていく一方で、反証となる情報を無視したり軽視したりすることです。

マクドナルドの事例が1番に思いつきますね。

有名なエピソードがあります。日本マクドナルドの社長が原田泳幸氏だった頃のお話です。マクドナルドについてのアンケートやインタビューをすると、利用客からは、必ずと言っていいほど「ヘルシーなメニューが少ないので導入してほしい」「サラダを入れてほしい」という声が寄せられたといいます。
そこで、その意見を参考にして「サラダマック」を新メニューとして導入しました。しかし、あれだけ要望されていたはずなのに、支持は得られずじまい。あえなく終売となってしまいました。
一方、その後に発売された肉の量がたっぷりの「クォーターパウンダー」や「メガマック」は、ヘルシーとは正反対の商品であるにも関わらず大ヒット。ブームを巻き起こしました。

宣伝会議デジタルマガジン


このようにユーザーインタビューを行ったつもりでも、反証となるデータやファクト(この事例で言うならばカロリー別の購買数やリピート率など)を無視してしまうのが確証バイアスの怖さです。

あなたも私も偏ります。思想も思考も含めてです。私のTikTokがグラビアアイドルだらけなように。

大きく分類すれば普通にあなたが信じている科学だって新しい宗教のようなものです。科学でも説明できない謎というのはまだまだ数多くあります。

そもそもパソコンが動く理由も、飛行機が飛ぶ理由も、船が鉄なのに浮かぶ理由だって一から説明しろと言われればできませんよね?

なのに科学だからと信じている。それが宗教とどれほどの違いがあるのでしょうか?

そもそも科学は「〇百回にわたる試行の結果、〇〇を観測した値の97%が誤差±0.003以内に収まったので、〇〇の法則は妥当だと言える」といった感じです。

ウィルス感染だってその可能性が高いというだけであって、ウィルスが感染した瞬間を見たわけではありませんよね?

プラシーボ効果だってそうです。偽の薬を飲んで症状が回復したという事例もいくらでもあります。病は気からなんて合理が好きな人からすれば信じられないファクトでしょう。

占いだって立派な心理作用を使ったりしています。コールドリーディングやバーナム効果(曖昧な誰にでも当てはまる曖昧なものを自分だけと信じてしまう)なんかがそうです。

ファクトが好きな合理が好きな人だって、ナポレオンヒルの思考は現実化するが大好きな人もいますしね。

つまりXでの合理さんと思想さんのブレイキングダウンは説明の違いが、思想の違いが、思考の幅の違いがバトルを勃発させているに過ぎないのです。

それでなぜ争うのでしょうか?それはやはり分類の違いだけだと思いませんか?

論争というものは好きか嫌いかでしかありません。そこには反証可能性を潰していくというゲームしか存在しないのです。

好きか嫌いかは生きる上で重要ですが、それによって「あいつはバカである」というレッテルを貼ることは自分の学ぶ範囲を狭めるだけに過ぎません。

その上対立まで生むなんてよっぽど合理的ではありません。間違っていることは間違いですがそれはあなたのお気持ちファクトとお気持ち論理になっていませんか?

というのを少し考えてみましょう。だって思考のタイプは2つしか無いんですから。

合理さんも思想さんも仲良くしようぜ!トムとジェリーみたいなのは見てて楽しいですけどね。

それでは、また、水曜日に。

あどりでした。

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