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理想は幻想〜コメントへの返事〜

「定年後のゴールを見据えて何かされていますか?」

色々なところで目にしたり耳にしたりする言葉ですね。会社で聞かれる、保険屋のおばちゃんに聞かれる、銀行員の営業に。しかしふと考えてしまうのです。

果たして定年後はゴールなのか?些か疑問に思います。定年と聞いてあなたがイメージをするのは"仕事ができなくなった瞬間"ではないでしょうか?

しかしよく考えたら"仕事ができなくなった瞬間"これはただ単に仕事が受注できなくなった、仕事を辞めても良くなった事象であって別にゴールでもなんでもないですよね?

ではなぜそこが《ゴール》と思い込むのか?それは普遍的に人は仕事はしたくないものであり、あくせくせずのんびりと過ごしたい。これが人間の大原則だという道徳的な感情からきていると思います。

でも果たしてそうなのでしょうか?私はそこ(道徳的な感情)に1つ疑念が生じます。

会社は私やあなたにとって、人間関係のスペースとしても存在しています。セカンドプレース(第二の場所)家族以外との場ですね。それが終わることをゴールと思い込むのはなぜでしょう?

定年という年になれば大体の人は疎まれるというよりも、「あなたがいなくなったら大変」という顔をみんなが"してくれる"はずです。ということは多少なりとも敬われていると感じられるスペースのはずです。

つまり人間関係の心地よいスペースが無くなるのです。退職してしばらくすると大体の人が家族としか会話しなくなります。すると孤独感に苛まれるようになっていきます。

定年退職後の意識調査では(第一生命経済研究所調べ)では17.4%の人が《自分の居場所が無いと感じる》と答えています。SNSがいくら発達しようがこの孤独感は変化はないと思います。

なのにそれが終わる瞬間を《ゴール》と設定してしまう。私やあなたは本当にそんなに暇な日々と孤独感を心の底から望んでいるのでしょうか?

存在しない普通

 最近妻と話していて冗談の範囲内ですが、もし子供が芸能人になったら人生が狂ってしまいそうだからそこだけはちょっと怖いね。と妻が言った時に微かな違和感を感じました。

《人生が狂う》狂うとはなんだろう?正常では無い状態を狂うと定義しているのですが、このここで言うところの正常とはどんなことを指すのでしょうか?

正常の定義は(普通であり、変わったところの無いこと)を指すようです。しかしながら普通とはなんであり、"変わった"の"変わった"とはなんなのかの定義が私にはわかりません。

わかりません。と書きましたが実際のところは《解っています》。それは普遍的価値観に基づいた生き方のことでしょう。だいたいの人が持つ道徳感から乖離していない生き方のことです。

しかしあなたと私にはこの《普通》の認識について乖離があるかもしれません。普通の認識はその人がもつ倫理観や文化、尺度によって異なるからです。

日本では大麻を吸うと逮捕されます。しかし他の国(オランダのアムステルダムやアメリカのメリーランド州など)では合法です。(大体がTHC1%)

つまり大麻を吸うと逮捕される私とあなたの普通と、大麻を吸えるアムステルダムの人では普通というものに違いが出ています。

他にも甘い卵焼きと辛い卵焼き。私は普通が辛い卵焼きなので甘い卵焼きは普通ではありません。ですが卵焼きと聞いてあなたの頭に浮かぶのは甘い卵焼きかもしれません。

また、時代によっても普通の定義は変わります。サザエさん一家は何処にでもある普通の家族の日常だったのですが、あんな家族今では見たこともありません。先生が「廊下に立ってなさい!」なんて言おうものなら「先生は教育を受ける権利を侵害するおつもりですか?」なんて言葉が返ってきそうですよね 笑

つまり普通という言葉の定義は死ぬほど曖昧なのです。大体の国で普遍的な価値観は人を殺すのはダメなことくらいです。ですがこれすら戦争などによって普通の定義はいとも簡単に塗り替えられてしまいます。

つまり普通という言葉は定性的なものではないということです。人によってかわっているのが当たり前なのが普通なのです。

ですが私やあなたは普通を心の底から望みます。定義が違うにも関わらずです。

職場での普通もそうです。職場で採用を検討する際に「普通の人が来てくれたらいいな。」と話をすることがあります。しかし言語にはしていないにしろ普通の人は大方こんな人では無いでしょうか?

《他人(自分)とコミニュケーションが取れて熱意(自分から進んで学習する)がある人》を想定してしまいますよね。

職場でも「普通このくらいできるでしょ?」はよく聞くフレーズですが《他人とコミュニケーションが取れて熱意がある人》は果たして普通なのでしょうか?

少し他人とコミュニケーションが取れる人にスポットを当ててみましょう。

日本労働調査組合が全国の20~49歳の会社員の男女520名を対象に実施した「職場の人間関係に関するアンケート」によると、職場の人間関係が「良好」と感じているのは32.1%で、人間関係を理由に退職を検討したことがあるのは58.5%と、半数以上いることが判明した。

manegy.com

・正規の職員・従業員数は3568万人。前年同月に比べ9万人の減少。2か月ぶりの減少。
非正規の職員・従業員数は2102万人。

総務省労働力調査

つまり働く人は5680万人です。その58.5%だと3322万人くらいの人が人間関係を良好にできず退職しているようです。しかし、コミュニケーションは2人以上必要です。1人ではコミュニケーションは取れませんからね。

つまり3322万人に対して《コミュニケーションが取れないと思わせる人》も1人以上いる訳です。おかしいですね。普通と思われているコミュニケーションが取れる人という存在はこの日本にいないことになりませんか?

では熱意がある人はどのくらいいるのでしょう?ここでは熱意を自宅に帰って勉強をする人で定義してみましょう。熱意があるのなら帰宅しても自己研鑽は怠らないはずですよね?

社会人の学びに関する意識調査 2022
株式会社ベネッセコーポレーション Udemy(ユーデミー)事業部
※本調査データを引用する場合はクレジット【社会人の学びに関する意識調査2022】
では社会人になって勉強したことがなく、これからも学びたいと思わない層が41.3%いるそうです。

つまり4割の人が熱意の無い人ということです。そして社会人になって学習したことがあるが、これからは学びたいと思わない層は11.5%存在します。

つまり学びたいと思わない層は52.8%で半数以上が熱意の無い人ということになります。

これらから《他人とコミュニケーションが取れて熱意がある人》は普通ではないと定義できます。つまりはこの《他人とコミュニケーションが取れて熱意がある人》は普通の人では無かったのです。

実は存在しなかった成功者

上記したように、普通の人は存在することが難しいということはおわかりいただけたと思います。

これは成功という観点にも当てはまります。

「成功したい!」や「あの人は成功者だ!」という言葉を聞いた時、あなたはどのような人を想起しますか?

芸能人、はたまたアーティスト、経営者を想像する人が多いと思います。

しかし成功とは
《努力量×才能×運》の要素で構成されています。どれかが1なら成功は難しいのです。

もしイーロンマスクが今の時代に生まれていなかったら?もし大谷翔平が今の時代に生まれていなかったら?第二次世界大戦の時代や石器時代に生まれていたら?そう考えれば運の要素が高いのはおわかりでしょう。

いくら才能や努力量があったとしても運の要素は大きく存在します。この意見に対して「運では無い!努力したのだ!」って人は少し自意識過剰だと思います。


話が脱線しそうなので話を戻します。成功とはどのような状態を指すか?ですがやはり世間一般的に《多くの尊敬を集めてお金を稼いだ人》では無いでしょうか?

それは物凄く難しいことです。私やあなたが想像する普通の人と同じくらい存在するのが一握りになります。

今の時代は《権力、財力》を持つことは他人から評価されることとイコールの関係になっています。いわゆる評価経済社会でしょうか。

だからこそ田端信太郎さんもフォロワーは持ち運び可能な資産だと仰っているのでしょう。

それゆえに他人から評価されることは、人生における成功というのが今の社会の構造です。アイドル的な政治家が出だしたのも、この評価経済社会においては当たり前の結果なのです。ガーシー氏の当選や山本太郎さんの当選なんかもそうです。

しかしながら普通の定義があなたと私で違うように、成功の定義も違うはずです。イーロンマスクさんは私やあなたから見ればもうすでに成功者ですが、イーロンマスクさんは人類を火星に連れていくことが成功なのでまだ成功していないのです。

私は今まで書いてきた事柄から成功と老後は同じだと思うのです。なぜならどちらもゴール設定の話しだからです。

ゴールを何処に置くか?それによって老後も成功も変わっていきます。

老後は自分で老後だと思わない限り来ません。周りから「あの人は余生を楽しんでいるね。」そう思われる人は自分がしている行為を余生と思っていないと思うのです。

成功者もそうです。「あの人は成功者だね。」そう思われている人はまだ成功していない。そう思っているのです。だからこそまだ動き続けているのです。

50m走で例えてみましょう。

50m到達するのがゴールと思う人と50mを駆け抜けると考える人どちらが速いでしょうか?当然ながら50mを駆け抜けると考える人が速いはずです。終速つまりスピードを落とすところが違うのですから当然の結果です。

それと同じことが人生でも起こります。普通の人が成功と思っているところに到達するために走っている人とそこを通過点にしか思っていない人。当然ながら成功する確率は後者の方が上がります。

50m走と同じ原理ですよね。成功(ゴール)がみえると人はスピードを落とします。だから成功に近づくことができないのです。成功というのは基本的に他人の評価で決まります。だから《成功は成功自体が移動している》のです。

当然ですよね?他人が成功を決めるということは時代によって成功が変わるのですから。時代は進むものです。人の考えも進むものです。だから成功の定義は前に進むものです。

だから成功できない人はゴール設定がおかしい人がほとんどなのです。

ゴール設定を遥か彼方に置いて置く。すると「今ここにいてはゴールに届かない!行かなくては!」そういう発想になるはずです。

つまり自分の成功の定義を正しいものに書き換えるのです。

成功というものは他人が思う成功ではいけないのです。それはあなたの成功では無いのだから。まずは他人が思い描く成功を捨ててみましょう。

それからじっくり自分の成功の姿を思い描いてみませんか?今とは全然違う成功の姿が見えるはずです。

《コメントを頂いたあなたに》

俺は成功していない。そう悲観しているかもしれません。ですが悲観は今と他人の思う成功のギャップからきています。ギャップがなければそこに悲観は無いはずです。残るのは思い描くあなたの成功しかないはずです。

そこに向かって走ってみませんか?そこにはランナーはあなたしかいません。計測する人もあなたです。そんな人生のほうが私は楽しいと思うのです。参考になれば幸いです。

それでは、また、次回。

あどりでした。

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