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意識の夢(365夢Screen129)

マイクル・B・セイボム著の
『「あの世」からの帰還――臨死体験の医学的研究――』
から得られた知見によって
見るという体験、意識するという体験、
そして考えるという体験の主体が
肉体そのものではないことが明らかになった

と思われた。

肉体があるからこそ
そこに意識が発生するということ自体は、
ある意味では間違いではないだろう。

しかし、
肉体という物質過程が先に誕生
あるいは存在していて、
その物理過程から意識が発生するというのは、
どう考えても、
何度考え直しても、
ありうることではないと思われた。

つまり、
無意識の客観的な物質過程から、
意識が誕生したという話はありえないのだ。

無意識の好物である海の中で、
偶然の過程の中でタンパク質が構成され、
そのタンパク質を根拠に生命が形成され、
その生命過程の中で「意識」が誕生した、
という話はありえない不可能事だった。

見かけの現象では
そのような過程をたどるかもしれないが、
それはただの見かけにすぎない。

意識でない物質過程が
どうやって意識に憧れることがあり得るというのか?

つまるところ、
物質過程そのものが<意識>のなかに生じるのだ。

後にこのことは、
物質過程が存在するためには、
その存在を確認する<意識>の存在が
前提されることを明確に理解した。

ということは、
実際に存在しているのは、
自ら自分の存在を知っている<意識>のほうなのだ。

いちどこの真実が明確に理解(=統覚)されると、
意識の大伽藍の全体像が明確に浮かび上がってきた。

すべては、
<意識>が見た夢の中にあるのだと。




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