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物心ついてから常に何かを追っていた。なぜこんなもの(生命現象)があるのかと思った。スピ…

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物心ついてから常に何かを追っていた。なぜこんなもの(生命現象)があるのかと思った。スピリチュアルを追い、アセンションを追った。哲学頭の本屋の息子が探求と情報渉猟の末についにニサルガダッタに出会った。それはアドヴァイタ(非二元論、不二一元論)が何かを理解する旅だったのかもしれない。

最近の記事

(365夢Screen140)

夢の世界はどこへ? 毎朝、寝床のなかで目が覚める。 たちまち観ていた夢の名残が消えてゆく。 あの夢の世界はどこへ行ったのだろう? ──いいや。   あの夢の世界はどこへも行ってはいない。   あの夢の世界は   どこにも無かったことがわかるだけだ。 夢の世界のなかの自分は 夢の世界のなかにも自分がいた。 目が覚めた自分は、 あの夢の世界のなかの自分が目覚めたのだろうか? ──いいや。   あの自分は夢の世界の登場人物だ。   あの自分は夢の世界の一部だ

    • 自分探しの旅(365夢Screen139)

      実在するのは「真我」だけ。 「真我」は自己の存在を知っている。 自己の存在を知っている「真我」こそが 至高の状態。 それ以上のものは在りえない。 ラマナ・マハルシは 「真我」の最も純粋な状態として 「私-私」という状態について言及した。 「私-私」とは 己が存在していることを知る以前の状態。 自己の存在を知っている「真我」が 己が何者であるかに興味をもったとき、 「真我」からの墜落が始まる。 「何者か」は、 文字どおり「もの」でしかありえない。 「何者か」は何

      • 自分の興味(365夢Screen138)

        あなたの思考に応じて 宇宙は姿を現す。 あなたの思考波動が 宇宙を満たす波動エネルギーに形を与える。 そしてあなたの思考波動は あなたの興味に応じて形を変える。 つまり、 あなたは自分の興味とは 戦えないということだ。 あなたが体験する宇宙は、 あなたの興味に応じて姿を現すのだから。 厳密な意味では 宇宙には「加害者」もいなければ 「被害者」もいない。 しかし あなたが自分の興味とは戦えないのだとすれば、 あなたは自分の興味の 被害者には成りうるかもしれない。

        • 見ているのは肉体ではない(365夢Screen137)

          あらゆる現象は あなたに認められることによって 現れていると述べられたとき、 その言葉は誤って理解されるかもしれない。 その言葉を聞いてあなたは、 すべての現象は自分が認めてはじめて 現象できるのだと理解するかもしれない。 そしてその理解は 言葉の上では確かにそのとおりだ。 しかしもしあなたが、 その「自分」という言葉を、 肉体として生きている あなたという個人のことだと考えているなら、 それは少し違う。 いや大いに違うかもしれない。 なぜなら、 肉体として生きてい

        (365夢Screen140)

          真実と幻影(365夢Screen136)

          現れはすべて 現れを認識する者に対して現れている。 現れを認識する者だけが実際に存在している。 実際に存在している者は、 自分が存在することを自分で知っている。 自分が存在することを自分で知っている者、 その者だけが実際に存在する。 実際に存在するその者を、 「現存」(あるいは「真我」)と呼んでみる。 実在するのはその 「現存」(あるいは「真我」)だけだ。 なぜなら、 「現存」(あるいは「真我」)は 自分が存在するかどうかを 自分以外のものに確認してもらう 必要が

          真実と幻影(365夢Screen136)

          波立つ(365夢Screen135)

          現象の中で私たちは 幸福だったり不幸だったりするようにみえる。 しかし 幸福だったり不幸だったりできる 実体としての私たちというものが 存在するわけではない。 実際に存在しているのは 「意識」だけだ。 あるいは言い方によっては、 「存在」だけが存在しているのだとも言える。 つまり、 実際に存在しているのは 【存在しているという自覚】、 別の言い方をするなら、 【存在の感覚】(あるいは【存在感】) だけなのだ。 「意識」のもっとも純粋な形では 「意識」は自分の存在に気

          波立つ(365夢Screen135)

          現れと束縛(365夢Screen134)

          現れの中に束縛があるわけではない。 あらわれはただ現れているだけで、 それが実在であることに変わりはないからだ。 だがもし現れの中に束縛を見るのなら、 そのように見られた現れは実在ではない。 現れには幻想を生み出す可能性がある。 その意味では 現れは幻影だということもできる。 そこに何を見るかはあなた次第だ。 あなたが現れに束縛を見るからと言って、 束縛の源泉として現れを責めるのは当たらない。 現れにはあなたが見る束縛に対して 何の責任もないことだろう。 あな

          現れと束縛(365夢Screen134)

          真我に親しむ(365夢Screen133)

          だが夢の中では意味や目的が流行っている。 意味や目的は、むろん夢の中にしかない、 だが夢の中ではそれが流行るのが当然だ。 夢は「枯れ木も山の賑わい」として演じられている。 そこではは永遠の変化が紡がれている。 その変化の中に想像される物語もまた 時空間の中での対象物として創造されている。 それはすべて対象物からなる構造体、 対象物のプログラム内蔵方式による 自動起動再起過程だ。 仮想的自己幻想が設定されているのは当然だが。 そこでは「真我」に親しむ過程は めっ

          真我に親しむ(365夢Screen133)

          一大事(365夢Screen132)

          本当に覚えておくべきことは多くはない。 それは「これ」を見ているのは 「自己」すなわち「真我」であること。 そして見られているものも「自己」 すなわち「真我」であることだ。 存在するのは「自己」だけだ。 「真我」だけが存在している。 それ以外のものはすべて幻影の内容だ。

          一大事(365夢Screen132)

          夢を見る者(365夢Screen131)

          意識が夢を見るとき、 観られた夢は広大な図書館のようなものだ。 本棚には無数の本の背表紙のタイトルが並んでいる。 それらの書物はそれぞれ別の世界を構成する 対象物だと言える。 一つ一つの本に興味を持てば、 それはひとつの世界として顕現する。 ひとつの世界はそれ自体は対象物だが、 その世界を見ている者は 自分を対象物とは思っていない。 しかしその世界自体がひとつの顕現であり、 顕現は対象物であるために、 その世界を見ているものっ自体も ひとつの対象物でしかありえない。

          夢を見る者(365夢Screen131)

          夢の大伽藍(365夢Screen130)

          すべては、 <意識>が見た夢の中にある。 <意識>が知覚できるその範囲の外に 何かが存在できるという可能性は皆無だ。 もしそんなものが存在したところで、 自分が知覚しえないものを 誰が気にするというのだろうか? 誰ひとり気にする者はいない。 なにしろ 自分がその存在を知らないのだから。 つまり、 存在することは、 「自らが存在することを知っている者」に、 認識されることによって初めて可能になる。 この 「自らが存在することを知っている者」に 付けられた名前が「意識

          夢の大伽藍(365夢Screen130)

          意識の夢(365夢Screen129)

          マイクル・B・セイボム著の 『「あの世」からの帰還――臨死体験の医学的研究――』 から得られた知見によって 見るという体験、意識するという体験、 そして考えるという体験の主体が 肉体そのものではないことが明らかになった と思われた。 肉体があるからこそ そこに意識が発生するということ自体は、 ある意味では間違いではないだろう。 しかし、 肉体という物質過程が先に誕生 あるいは存在していて、 その物理過程から意識が発生するというのは、 どう考えても、 何度考え直しても、 あ

          意識の夢(365夢Screen129)

          臨死体験(365夢Screen128)

          バーバラ・マーシニアックの『プレアデス+かく語りき』や ロバート・A・モンローの『魂の体外旅行』 で語られている情報が、 なぜ最初からある種の事実だと信じられたのか? たいていこのような情報を伝える本には、 「今この時点でこの情報に触れているあなたは ライトワーカーです」というようなことが 書かれているものだ。 そういうことは信じられなかったが、 ただ「ルーシュ」について書かれているようなことは 事実なのだろうと直覚されたものだ。 その理由を論理的に説明することはできな

          臨死体験(365夢Screen128)

          ルーシュ(365夢Screen127)

          バーバラ・マーシにアックがチャネルした が伝えた情報のこの部分 ──────────────────  地球の新たな所有者たちの食欲と好みは、  前の所有者のそれとは異なっていました。  彼らは、混乱と恐怖を滋養としました。  混乱と恐怖が彼らを太らせ、彼らを刺激し、  彼らに安定した支配の座を与えてくれたのです。  約三〇万年前にやってきた新たな地球の所有者こそ、  聖書の中で語られている偉大な存在たちです。 ────────────────── に関連する情報はバーバラ

          ルーシュ(365夢Screen127)

          究極の暴虐(365夢Screen126)

          バーバラ・マーシにアックがチャネルした 『プレアデス+かく語りき 地球30万年の夜明け』 が伝えた情報にはその真意が 簡単には飲み込めない部分があった。 たとえば、それにこんな情報だった。 ──────────────────  地球の新たな所有者たちの食欲と好みは、  前の所有者のそれとは異なっていました。  彼らは、混乱と恐怖を滋養としました。  混乱と恐怖が彼らを太らせ、彼らを刺激し、  彼らに安定した支配の座を与えてくれたのです。  約三〇万年前にやってきた新たな地

          究極の暴虐(365夢Screen126)

          夜明け(365夢Screen125)

          いわゆる「精神世界」として括られることになる 分野の情報に飢えていた日本人にとって 1990年代から訳出され始める情報は、 まさに干天の慈雨とも呼べるものだった。 そのころから入りはじめた情報は それまでの隔靴掻痒の感がある情報とは 1枚も2枚もグレードの上がった情報だった。 1992年にはリサ・ロイヤルの 『プリズム・オブ・リラ』が 保科和美訳で出版された。 この本を読むことで 私たちは自分が飢えていたのは 外宇宙の情報だったのだと知らされたわけだ。 そして最初の圧

          夜明け(365夢Screen125)