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アメリカン・ユートピア

どうも、安部スナヲです。

今月からようやく映画館の営業が再開されたので、今、何を置いても観ておくべき、あの最先端の舞台エンタメを、早速観て来ました。

「アメリカン・ユートピア」 は元々デヴィッド・バーンが2018年に発表したアルバムで、そのアルバムのコンサートツアーの後に、今度はブロードウェイにてショー仕立てでリニューアル公演されました。

それを映画化したのが本作というワケです。
 
監督はスパイク・リーで、これもバーン自らのオファーによるものです。

これら概要だけでも、めっちゃ香ばしい映画ですやん!という感じですが、実際に観てどうだったかというと…

ハッキリ言って価値観変わっちゃうレベルですわW(`0`)W

本当はね、「価値観」という言葉を使うのは、安易な上に不遜な感じがしてあまり好きじゃないんだよ。だけどさぁー、こんなん見せられたらもう、価値観殿に変わっていただくよりないワケだよ!

…というワケで本作の感動ポイントをマジメに紹介したいと思います。

【限界を超えた演者たち】

このショーの演者は全員で12人。バンドが9人でダンサーが2人、それにバーンです。

すべての演目において、全員が踊りやパントマイムをしながらステージを縦横無尽に駆け回り、尚且つ完璧な生演奏を、しかと決めます。

一見、えらい大所帯でたいそうやなぁ…という風に見えるかも知れませんが、これはハッタリでも何でもなく、実に理に適っているのです。

例えば、ドラムセットを置かない分、バスドラ、タム、スネアをそれぞれ分散してひとりひとりの奏者が演奏します。さらにバーンやトーキング・ヘッズの曲にはアフロビートのような複雑なリズムが多いので、必然的に打楽器の担当が増え、基本的に12人のうち6人は打楽器だったりします。

しかしその担当楽器も、演目によって臨機応変に変わります。

「Hell you Talmbout」では12人全員が打楽器を叩きながら叫び、

「One Fine Day」では誰も楽器を持たず、完璧なアカペラを聴かせてくれます。

このように、このスタイルでムリもムダもムラもなくパフォーマンスをする為に、とことん計算し尽くされた12人編成であることが、見ればわかります。

パンフレットの解説文に湯浅学さんが書いているように

「皆がそれぞれできることをできることの限界を超えてもやっている」

正にそんなストイックさに圧倒され、ぐうたらな私などはひれ伏すしかありません。


【ミニマルがイキる舞台演出】 

私は常々、天才というのは、あらゆる要素を削ぎ落とすことで、より本質的な芸術性を炙り出すことができる人のことだと思っていますが、その仮説的概念が、このショーを観て確信に変わりました。

そのことが最も顕著にあらわれているのが、舞台演出そのものですが、このショーではセットや衣装に至るまで、演出効果を決して妨げず、いや、寧ろ最大限に引き出す配慮がなされています。

まず、ステージ上には何もありません。音響機器はすべてワイヤレスなので、マイクスタンドもシールド等のケーブル類も皆無です。

ただひとつ、ステージの側方と後方にビーズのようなものでできたカーテンが設えられていて、そこから演者たちは、演目に応じて出たり入ったりします。

そして全員がミディアムグレーのスーツに裸足という出立ちで統一されています。

これらはすべて、演者の動きや、コリにコった照明の演出効果を活かすベストなアイテム。

それもこのショーを観れば、すべてに気持ちよく合点がいきます。


【すべてがメッセージ】

冒頭、脳の模型を携えてひとりでステージにあらわれたバーンは、オープニング曲「Here」を歌いながら、その歌詞の意味の通りに、脳のどの部位が何を感じるのかについて、模型を指差しながら示します。

そして脳の神経細胞のつながりは、赤ん坊が最も多く、大人になるにつれ減っていくという研究結果を読んだ時に感じた、「…ということは人間はどんどん愚かになって行くのだろうか?」という疑問について言及します。

この疑問が問題提起となり、このショーにおけるメッセージが走り始めます。

コミュニケーション、分断、人種、投票率など…歌と、常にウィットに富んだジョークを交えたMCで、わかりやすくオーディエンスに投げかけます。

やはり印象的なのは、唯一のカバー曲「Hell you Talmbout」(ジャネール・モネイ)

先述のように演者全員が打楽器を叩きながら、白人による迫害の犠牲になったアフリカ系アメリカ人の名前を力強く連呼します。

このメッセージは、監督のスパイク・リーがずっと映画を通じて訴え続けて来たことに最もリンクしていると思います。

これを見た時、スパイク・リーのカンヌ&オスカー受賞作「ブラッククランズマン」のエンディングに挿入された、実際に起きたある暴動事件の実写映像を思い浮かべずにはいられませんでした。

さらにバーンは、自身がスコットランド移民のアメリカ人であること、演者たちが色んな国籍を持つ人の集まりであることを語り、「移民なしではどうにもならない」と実に清々しく言い放ちます。

そうです、本作は監督も演者も、存在そのものがコンセプトでありメッセージなんです。

【甦るトーキング・ヘッズの名曲たち】

本作で披露された曲は全部で21曲。

そのうちの9曲がトーキング・ヘッズ時代の曲です。 

歌詞の内容に重きを置いて選曲されているらしく、例えば「Psycho Killer」のようなネガティブな歌詞の曲は、往年のヘッズファンが喜びそうな代表曲であっても、今回のセットリストからは外されています。

あとは割合、代表曲が多い印象でしたが、個人的には「IZimbra」「Blind」「Born Under Punches」などのヘッズ流ヘンテコファンクが来るとテンションがマックス上がり、体が勝手に動いちゃうもんだから、映画館の座席の上クネクネクネクネしてしまって、いよいよ座っているのに限界を感じました。

そして最後の「Road To Nowhere」では、しあわせでしあわせで涙が溢れます(T . T)


感動したポイントとして、あとひとつ…

本作の公開を知った時、デヴィッド・バーンのライブ映画ということで、やはりジョナサン・デミが監督したトーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」のことが真っ先に頭に浮かびました。



鑑賞中も、何処かそれを意識しながら観ていましたが、本作にあの映画はとてもいい形で反映されていると感じました。

映画としてのテーマは全くちがいますが、構成は似ている部分もあり、ちゃんとジョナサン・デミへの敬意が感じられました。

とにかく本作から受けた衝撃、陶酔、驚喜は計り知れず、もうこれからの人生が楽しみでしょーがないわ( ^∀^)と思えるほど、希望で胸が満たされるような感動に見舞われました。

すべての音楽好き必見です!

出典:

アメリカン・ユートピア公式サイト


アメリカン・ユートピア公式映画パンフレット


映画.com

シネモア

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