見出し画像

「ボーはおそれている」母よりもユダヤ教よりも“気にしぃ”の呪縛にのみ共感。

どうも、安部スナヲです。

今、最も才気走った嫌がらせ映画を撮るアリ・アスター監督の最新作「ボーはおそれている」観て来ました。

いつも陰鬱な中年男、ボー(ホアキン・フェニックス)が謎の死を遂げた母のもとへ帰ろうとするが、次から次へと襲いかかる災難に阻まれながら、思いもよらないカオスとバッドトリップの世界に翻弄されるハナシ。

映画は4部構成になっていて、ボーの自宅アパート→外科医ロジャーの家→森の中→ボーの実家の大豪邸、と舞台を移しながら展開していく。

好きなところと苦手なところが両極で共存している映画だった。

第1章の、ボーが荒廃したストリートにある自宅アパートでドタバタするセクションまでは嬉々と観ていたが、あとは概ね苦手だった。

ボーは何らかの精神疾患を抱えているにちがいないが、そもそもクヨクヨする性格、関西弁でいうところの〈気にしぃ〉なのである。

この〈気にしぃ〉な性格は自分と大いに重なるので、バツの悪さを噛み締めながら、〈わかりみ〉〈あるある〉的に楽しめた。

あるトラブルが起きる。それを対処する時に、今度は別のことが気になって、誤判断の連鎖ループにハマることは、本当によくある。

例えば飛行機の時間に間に合わないことに焦ったボーが、飛び出す勢いで部屋を出ようとしたら、薬を忘れたことに気づいて、ドアノブに鍵をさしたまま取りに戻るというくだり。

この場合、健全な精神を持つシッカリした人であれば、飛行機に遅れそうな状況で薬は二の次だと判断するだろう。

それよりも、あのように治安の悪い環境に住んでいるのなら、施錠だけはちゃんとしようと考えるだろう。ならばたとえ一瞬であっても鍵をさしたままにするというような横着をしないだろう。

このような〈気にしぃ〉がパニックに陥った時の、身につまされる行動の不協和を、映画で客観的に見せられるとめちゃくちゃ面白い。

その極めつけが「必ず水といっしょに服用するように」と、セラピストから念押しされていた錠剤をそのまま飲んでしまったくだり。

慌てて蛇口を捻るも、そんな時に限って断水…

この次の行動の愚かしさにハッとしてまった。

ボーはその薬を水無しで飲んでしまった場合、身体にどのような悪影響を及ぼすかを、わざわざネットで調べるのだ。

阿保やなーと思うが、このように不安を増幅させるとわかっていて、それを確かめたい心理もよぉーくわかる。わかっちゃうのだ。

そのあとさらに続く不運の釣瓶打ちから、ママの死を知り(落下したシャンデリアに頭を潰されたというところがアリ・アスターらしい)あのバスタブのシーンで完全にとどめを刺された。

あんなことはあり得ないのだけど、あのオッサンが天井で踏ん張ってる時点で、もうその次に何が起きるかわかる。からのー、あの狭いバスタブでのオッサン2人のアクロバット裸相撲。

もう息ができないほど笑った。

が、そこがこの映画のピークだった。

ボーが交通事故に遭って昏睡し、目覚めたら外科医ロジャー(ネイサン・レイン)とグレース(エイミー・ライアン)方の邸宅であったという第2章から、映画のテンポとトーンは明確に変わる。

この第2章まではまだリズムに乗れたが、そこから脱走して森を彷徨い、移動劇団に出会ってからの第3章では世界観が急に抽象化される。そうなっていくに連れ、こちらのボルテージもどんどん下がっていってしまった。

ユダヤ教由来の教義的な観念をボーの過去や内面に照らし合わせるとか、ああいうのがいちばん苦手。なんか居丈高でイラッとくる。最新鋭アニメを駆使した映像演出でさえ洒落臭くて鼻につく。

第4章、ボーが実家のワッサーマン家大豪邸に戻ってからは、要するに伏線回収セクションで、ここに関しては、どんでん返しとテーマ性がうまく折り合っていてよかったと思うのだが、最後の〈裁判パート〉は余計、蛇足、クドーい!

ということで個人的には第3章とあのエピローグ的裁判パートを丸ごと省いてくれていたら、好きな映画になっていたかもしれないなと思う次第。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?