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一般的な完璧主義って論理的なだけの完璧主義じゃね。だから現実が辛いんかもね。

どうも、けんたです。

今回は完璧主義について、いくつか思いついたことがあったので、書いていきたいと思います。

伝えたいこととしては、一般的に言われている「完璧主義」というのは論理的な部分に限定した完璧主義なのではないかということです。

これだけだとよくわからないと思うので、説明していきます。

この文章では前提として、ここでは論理的と現実的を対立軸として意識しています。
それでは、行きましょう。

一般的な完璧主義

「完璧主義」とは、定義的には以下のようなものみたいです。

完璧主義とは、心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。

出典:完璧主義,wikipedia

しかし感覚的には、一般的に言われている「完璧主義」というのは、理想が高いというのと、減点を獲得することをできるだけ避けていて、失敗すると異常に落ち込んだり、そもそも失敗しないために何もできなくなったりするような状態のことをいうと思います。

完璧主義って失敗回避主義?

上記のことを踏まえると、「完璧主義」と言われているものは大体、失敗回避主義と言えるような気がします。(理想が高いという条件は一旦置いておいて、後に回します。)

完璧を目指していて、より良い状態になることや、完璧に近づいていくということを第一に掲げてるわけではなく、目先に見える短期的な悪い状態、失敗のようなものを避けることを第一に考えているのではないかと思います。

失敗回避主義と考えると、何もできない、やらない、やりたくない、やるのが怖いという状況はしっくりきます。

現実的に考えれば、未来で確実なものはほとんどありません。どうなるか分からないので、確率が高い低いはあるにせよ、実際にはそうなっていないので100%ではないです。

サイコロを振ったり、ボードゲームをしたり、ギャンブルしたりすると良く分かりますが、どんなに確率が高いことをしても外れる時は外れますし、どんなに確率が低くても当たる時は当たります。

ですから、失敗回避主義の人にとっては、何かを行動すること、というのはリスクにしか見えません。例えそれがとても確率の低いものであっても、失敗するリスクは存在してしまうからです。

行動しない方が成功確率が低いとか、行動しないと周りに置いてかれるから負ける確率が高まるとか、そういうのは一旦置いといても、

失敗回避主義の人の行動原理としては、成功する確率が高いものを選択するわけでもなく、失敗の確率の低いもの、特に自分からアクションを行うことで失敗するという確率の低いもの(それは大体何もしないということが多い)を選択することになります。

失敗回避主義が良いか悪いかということは関係なくて、うまくいく場面もあればうまくいかない場面も存在します。


確率を無視した、論理的な完璧主義

僕が「完璧主義」の要素として挙げた「理想が高い」という部分に関してですが、これは論理的に考えているから理想が高くなるのではないかと思います。

どういうことかというと、「論理的」に考えているというときは、確率的なことを一旦排除した上で、考えていることが多いような気がします。

もちろん、確率に関しては数学的に記述されているものはいくつかあるので反例はたくさんあるかとは思いますが、こと一般的な「完璧主義」の「理想の高さ」については

確率を無視した、論理的な考え

によって引き起こされていると感じます。
すごく誤解を恐れずに平たくいうと、現実を無視して理想的に考えているような状態とも言えると思います。

理想的な状態というのは、現実の状態とはかけ離れているから理想的になります。また、今よりも良い状態が理想的な状態とも言えます。

実際に「確率を無視した、論理的な考え」と「現実」がうまく噛み合っていない例はこんな感じでしょうか。

母親がゲームをしている息子に、「ゲームはやめて、勉強しなさい」と言いました。

そしたら、息子は「今やめて勉強しようと思ってたのに」と言い、そそくさと自分の部屋へこもっていきました。

息子は、なんとなくモヤモヤ、イライラして、部屋でより一層ゲームにのめり込んで、気づいたら夜中までゲームをしていました。


例にある、「確率を無視した、論理的な考え」というのは、母親が『「ゲームはやめて、勉強しなさい」という注意を息子にするという選択』です。

母親にとっての理想はおそらく、文字通り、息子がいますぐゲームをやめて勉強するという行動をとることだったでしょう。

しかし実際には、「ゲームはやめて、勉強しなさい」という発言をしたことで、息子はそのような理想的な行動をしなかったばかりか、むしろ避けたい事態を加速させてしまうことになりました。

母親がどのように行動するかによって息子が勉強する確率は変わります。

もしかしたら、息子を勉強させる確率をあげるには、母親自身が勉強をすることでめちゃくちゃ楽しそうにしていたり、幸せそうな状態になっているのを見せることだったりするかもしれません。

このような感じで、確率を無視して論理的に考えて動くと、現実ではうまくいかなかった!ということがよく起こります。

言い換えると、
確率を無視して論理的に考えるという選択をすると、現実でうまくいった!論理的に正しい、成功している状態になった!と体感したり、周りから良い評価をされる状態になったりする確率が低くなります、
低くなると思います。


少しまとめると、「完璧主義」で理想が高いという状態は、確率を無視した論理的な状態であるのではないかということを見ていきました。
また、この考え方や行動指針を持っていると、現実はうまくいかなくなる確率が高そうだということも見てきました。


一般的な完璧主義って論理的なだけの完璧主義じゃね

まとめとして、いろいろ散らばってきたので回収したいと思います。

僕の考えとしてはこうですかね。

「完璧主義」と一般的に言われてるものは、失敗回避主義である側面と、確率を無視した論理的な考えをしているという側面があるのではないかと思います。

これらを無理やり短くまとめると、一般的に言われている完璧主義は、論理的なだけの完璧主義、なんじゃないかということになります。
反対側からいうと、現実的に考えた完璧主義の要素が入っていないから、現実はうまくいかない可能性の高い完璧主義なんじゃないか、頭の中で考えた机上の空論だけで現実を見ていない完璧主義なんじゃないかとも言えるでしょうか。

これは、一般的な完璧主義には、
「完璧主義」という言葉に含まれているべきはずの、より良い状態を目指すとか、現実的に見てなるべくうまくいくようにする、
みたいなニュアンスが含まれていないだろうということでもあります。

だから、「完璧主義」というのはマイナスな、暗い、鬱屈としたイメージがあるし、「完璧主義」の人はあんまりうまくいっていない感じがするし身の回りを見ていても実際にそんな気がするんだと思います。


現実的にうまくいくにはどうしたら良いんだろ

最後に、現実的にうまくいく確率を上げていくにはどうしたら良いか、考察していけたらと思います。

ここまでの話から薄々お察しかと思いますが、現実的にうまくいく確率を上げていくには、論理的なだけの完璧主義を脱却していくことが大事なのではないかと思います。

論理的なだけの完璧主義を行うと、論理的に考えることが上手ければ上手いほど、理想や行動理念に穴がなくなり、失敗やリスクを回避しようとする傾向が強まり、行動するというアクションの重要度が下がってきそうです。
(行動しない場合のリスクや確率を考えて、総合的な判断をするという論理性のことはここでは一旦言及しません。)

これは当たり前かもしれませんが、現実的にうまくいく確率が高いものを選択しなければ、現実的にうまくいく確率は相対的に下がっていくことになります。

もちろん、論理的に考えて、理想的なスケジュールと理想的な人間関係と、理想的な成果などが獲得できるのであればそれに越したことはないでしょう。

でも一旦振り返ってみてください。その行動指針で今まで成功した確率はどれくらいだったでしょうか。現実的な事象として、どれくらい成功しそうでしょうか。

そう考えると、実は全然理想とはかけ離れた、泥臭い、地味でどうでもよくて、むしろけなされそうな小さいことの方が、やりやすくて成果を上げていたりすることはないでしょうか。

理想は、宝くじで1等の7億円を当てて仕事をせずに暮らしたい。
だけど、現実的には、ちょっと辛いしめんどいけどまあやれなくもないコンビニのバイトの方が、なんだかんだ今の生活を支えてるかもしれない。

そんな風に、少しずつ、これは現実的に考えていて成功確率が高いものを選んでいるのか、論理的に理想的に考えていて成功確率が低いものを選んでいるのかをよくよく観察してみると、ちょっとずつ現実が良くなっていくかもしれません。

論理的な完璧主義をやめるべきか

この記事の主題として、論理的な完璧主義に対して、あんまり良くなさそう、理想が高すぎる、現実を見ろ、みたいなメッセージを込めていました。


なので、論理的な完璧主義を完全にやめなきゃと思った方もいらっしゃるかもしれません。


ですが、現実的な側面を見て論理的な完璧主義にならないようにするのが良いのだから、論理的に考えて、完璧に、論理的な完璧主義をやめようとすることは、現実的に見てあまり得策とは言えないかもしれません。

なぜなら、おそらく人間は論理的な思考をしてしまうという性質があり、人間はその性質があったからこそ生き残ってきたのかもしれないからです。

重力があることがわかって、穴に落ちると這い上がるのが難しいことがわかるから、論理的に考えて、穴を掘って動物を誘導すれば、
直接手を下さずとも動物を取れる…

みたいなことを何百万年も前からやってきたんだと思います。

だから、やめようと思っても完全にやめられるものでもない可能性が高いです。
それに、生存するための戦略として、論理的な完璧主義を排することは、論理的に考えて、確率が高くて良い戦略を選べなくなってしまうかもしれません。

つまり、状況やタイミングをみてそれぞれのバランスをとっていくのが重要なんじゃないかと思います。

論理的な完璧主義を推し進めすぎて、なんもできてないし、結果的にうまくいかないことが多かったら、現実的にうまくいくような方法で、なんか地味で泥臭くてもやってみる、

現実的な方法を推し進めすぎて、なんかやってるけどただやっているだけで別に何かいいことがあるわけじゃないし、どんどん状況が悪化してきてることが多くなったら、論理的な完璧主義を推し進めて、ちょっと難しいしできるかようわからんけど挑戦してみる。

そんなとこを反復していくことで、ちょうど良いバランスがわかってくるのかなと思いました。


おわりに

ここまで、長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!

思いつくままに書いたので、ぐちゃぐちゃなところや至らないところなどあるかと思いますが、何かあればご指摘いただけると嬉しいです!

また、逆にここよかったとか、もっと詳しく説明してほしい!などあればコメントなどいただけるとありがたいです!

それではまたの記事で会いましょ〜


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