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大虐殺の遠さと近さ。

今回は、映画「アクト・オブ・キリング」を見て思ったことを書いていきます。

きっかけは三つ星スラムの課題図書に挙げられてて、あんまりどんなものかも知らないし、興味が特段あるわけじゃなかったですが、見ました。

「アウトオブキリン」みたいに思ってたので外にいるキリンの話なのかな、あんまり面白くなさそうみたいな印象でしたね。

実際に見てみると、題名の通り「The Act of Killing」なので「殺しの演技」についての映画なんだということがわかりました。

もう少しだけこの映画の説明をすると、
舞台はインドネシアで、1965年に起きた9月30日事件に関するドキュメンタリー映画です。

この事件は100万人以上が大虐殺された事件で、映画は殺人を実行した一人のアンワル・コンゴという老人を中心として進んでいきます。

主題は「殺人者に殺人を演じてもらった」というもの。

実際に演じる様子や、事件当時の詳細な話、演じた自分を見た感想や心境の変化などが映されていました。

ここから先は多くのネタバレを含むので、ご覧になりたい方はぜひ見てみてください。
そんなにおすすめしたいわけでもないので、迷ってる方は見なくてもいいです。


以下はネタバレを含みます。






正直な感想。

正直に感想を言ってしまうと、「ふーん。」みたいな感じでした。

社会の授業時間に見せられる戦争の映画や、道徳の授業時間に読まされるありがたいお話みたいな感じで、特にすごい面白い!とか興味深い!とかない感じ。

感想書けって言われて、ワークシート渡されて、めちゃうっすいこと書くやつね。そんなテンションです。


ただ一個言えるのは、あまりにも自分とは関係ないような話なはずなのに、変にリアリティやガチ感があって見入ってしまったところはありました。


特に後半30分くらいは怒涛でしたね。


村を襲うシーンを撮って、演じた女性や子供たちがガチ泣きして、アンワルが後悔してると嘆くところ。

アンワルが拷問される側を演じて、首を針金で絞められて、もう無理だって撮影を中断するところ。

冒頭と同じ場所で殺しの解説をして、冒頭ではニコニコしながら話してたのに、今度は何度も吐きそうになって苦しんでるところ。


演じるということを通して、演技は演技だからでは片づけられない、演じている人が思ってしまったこと、出てしまった感情が、漏れ出ているを垣間見たような気がしました。


こういう映像はYouTubeとかではなかなか見られないだろうなとは思いましたね。


ここからもうちょっとだけ詳細に感想書きます。

大虐殺ってあまりにも自分から遠すぎる。

最初の最初に人物を紹介するテロップが入って、

「アンワル / 1965年 殺人者 」

と紹介されているのですが、全然頭にすっと入ってこないんです。
そんな紹介をされたことないし、言われてもそれがどういうことかよくわからない。
なんか怖。くらいしか思いません。

でも殺人者と呼ばれている人たちは、なんかニコニコしながら話してるし、歴史だから伝えなきゃいけない、みたいなプライドも持ってる。
道端で演じているときには、多くの人が集まって、子供たちも楽しそうにしている。
楽しそうに踊ったり歌ったりしてるし、身なりも綺麗で、おそらくお金持ってるし権力もあるんだろうなということを思わされる。

そのお金は、商売で儲けたとかではなく、ただただ脅して奪い取ってるだけ。
権力もおそらく、政府の言う通りたくさん人を殺したから得たものなんでしょう。


その全てが、本当に自分の今までの経験や身近な生活環境と比べて違いすぎてよくわからん、という気持ちでしたね。

殺しのリアリティと身近さ。

それでも何回も殺しの実演とか、詳細な説明とかを聞くとちょっとずつ頭の中でもイメージできてくるような気もしてくるんです。

あまりにもスラスラと喋るもんだから、おそらく何度も殺してきてるんだろうなということも伝わってきます。

針金で首を絞める行為もすごくスムーズですし、結構ヒヤヒヤするくらいちゃんと力を入れるんです。
おそらく何回も殺してきたら、その程度の力なら死なないみたいなこともわかってるんでしょう。

殺すという行為が現実的には可能な行為であり、自分にもやろうと思ったらできてしまうものなんだということを認識できるくらいのリアリティさでした。


殺しは全く身近には思えないですが、登場人物たちの話を聞いていて身近に思えてしまう部分はいくつかあるんです。

自分のせいではなく、言われたからやったんだ、やるしかなかったと言ってしまうこと。
よくないことだとわかっていても、なんとか理屈をつけて罪悪感を感じないようにしてやろうとすること。
本音と建前があって使い分けているところ。
なんだかんだ、悪いなっていう気持ちはあって悩んだりするところ。


これらはすごくダセえなと思うし、見たくもない部分だなとは思うんですけど、自分にもそういう部分はあるなと思ってしまうんですよね。

もしかしたら、時代や環境が違っていたら、自分も同じようなことをしていた可能性は十分あるんだろうなとも思います。


でも、やっぱり遠い。

とか色々言ってきましたが、それでもわからんものはわからないし、終始なんだこいつうざいなとか、思ってました。

アンワルが拷問されるという演技の映像を、アンワル自身が見て感想を言っているシーンで、
アンワルが
「俺は拷問された人の気持ちがわかるんだ」
「尊厳を奪われた気がした」

と言っているのを聞いて、そんなこと今初めて思ったのかよって思いましたね。
そして、気持ちがわかるとかそんなうぜえこと言うなって思いました。
君、それでも殺してるけどねって。

そんなやり切れないようなモヤモヤと、それでも罪悪感を感じてくれてもっと苦しめっていう、ざまあみろっていう気持ちが混じってました。

やっぱり、自分とは違うし遠い存在なのかもね。

終わりに。

読んでいただきありがとうございました。

個人的な印象は薄かったですが、この映画は評価されるんだろうなっていうのは伝わってきました。

多分主人公がアンワルじゃなくて自慢ばっかりするやつだったら、ただの胸糞映画だっただろうし、
僕は悪意に感じるくらい、監督のゴリゴリに意図が入った編集がなければ魅力が半減していただろうと思います。


しかし、改めて全体を通してみても、この映画をあんまりおすすめしたいとはならなかったです。

別に参考にもならんし、感動的なわけでもない、ハッピーエンドでもない作品です。
かろうじてざまあみろでモヤモヤが1ミリくらい晴れるだけなので、映画見飽きた人とか、今まで見たことないようなものを見たいという人にはいいんじゃないかと思いました。


それでも見たいという物好きな方がいらっしゃったら、ぜひご覧ください。


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