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私のゴミ奮闘記

日本は世界で1番きれい。

どこかで聞いたことがある気がする。
特に風呂場やトイレ、水道などの水回り。
これはどこを旅行していても本当にそうかもしれないと思う。
そしてゴミ。
いや、日本でだってたびたびゴミは問題となり、
ニュースやSNSで取り上げられたりもする。
けれどそれは、なんというか
ベースがきれいだから”こそ”問題になること
であって、ごみ収集の制度や資金は整っているし、基本的には1人1人のマナーは良いし、
ゴミをポイ捨てしたり問題になるようなことをする人は少数派だと思う。

私たちは子供の頃から親に、学校に、
「きれいにすること」
「他人に迷惑をかけないこと」
「食べ物を残さないこと」
「自分のものには自分で責任を持つこと」
「ゴミは分別して捨てること」
など再三注意されている。

例えば外でお弁当を食べるときなどはその場を汚さないようにし、ゴミ箱があるならゴミ箱を使い、
ゴミ箱がないなら袋で縛って持ち帰って家で捨てるまでする。何か残そうならば親や先生に注意されるし、学校でも毎日何時から何時まではと全員で掃除をする文化があったりする。

きれいであることが前提で、ゴミは汚いもの。
あるべきではないもの。
リサイクルできるならリサイクルするもの。
そしてそれらは自分たちである程度責任を持って処理し、そこから先(自分たちができないこと)はゴミ担当の職員に処理していただくもの。
それがあたりまえである。

それがウガンダで生活していたら、どうだろうか。
本当の意味でゴミが問題になっている」のである。街の至る所、特に首都周辺ではゴミが散乱し、あまり好ましくない匂いがするところもある。
生ゴミだろうがプラスチックゴミだろうが、
なんだろうと使い終わればその辺の草っ原に当たり前のように捨てる。
食事は自分で食べたいだけとるくせに、結局全部食べきれずにその場に捨てていく。それをハゲコウやカラス、猫なんかが群がり啄んでいる。
ゴミがたくさん落ちる場所で遊び、食事をし、
勉強し、そのゴミを蹴って笑う。
なんならそのゴミ(使えそうなもの)を拾って自分のものにしたりする。
食べ物や飲み物は勝手に持ってくるくせに、
もちろんゴミ袋なんか持参せず、
ゴミ箱を探しもせず、平然とその場に残していく。
きれいにする意味でのゴミ拾いをしている人なんか、ほとんど見たこともない。

唖然。
それが私の最初の感覚だった。
それがウガンダの人にとっての「あたりまえ」であり、なんら違和感ではないのだ。

ゴミをゴミ箱に捨てるという、
ただそれだけのこと。
子供の頃からの「あたりまえ」の積み重ね。
それが、このような形で現れるのかと思った。

私の配属先はUganda Wildlife Conservation Education Centre、日本語名で言うとウガンダ野生動物保護教育センターだ。
そんな施設に来ていると言うのに、
当の人々は平気で大量のゴミを捨てていく。
どんなに我々スタッフが注意したとしても、ぽかんとした顔で全く意味がわからない、という人たちや、子供に注意しない親や先生もたくさんいる。

もちろん全ての人ではない。
とてもよく教育されている子供、学生達はいて、
私が説明したりあるいは先生たちが説明することでちゃんとゴミを捨てずにゴミ箱を使ってくれたり、ルールを守ってくれる人たちもいる。
しかし。
想像してみて欲しい。
1つの学校、400人ほどの生徒が全員自分のペットボトル、スナック、アイス---
全てのゴミを、ぶちまけていくだけで-------。
今までどんなにきれいに保てていたとしても、
一瞬で悲惨なゴミの山ができてしまうのだ。
それがピークシーズンでは、
多い日だと1日に300校を超える学校が来るのだ。

駐車場で無断に残されたゴミの山
ゴミ箱に捨てようと試みてはくれたんだろうが、
ゴミ箱に入り切らず、溢れかえった
ランチボックス。うまくマネジメントできないと
すぐこうなってしまう。


しかし意外にも、そのような子たちも自分の学校ではちゃんと掃除やゴミ捨てができているという。
どうやら、学校はきれいにするものであっても、
それ以外の場所まできれいにしよう、自分が関わる場所全て大切にしよう、
という感覚にはならない
らしい。
それがまた不思議だな、とは思うのだが。。
教育の仕方なのだろうか。

配属先のすぐ上にある学校から
投げ込まれたゴミたち(一箇所に集めた後)
外のコミュニティーから湖経由で運ばれてきたゴミ
当たり前のようにご飯も、ペットボトルも、
とっ散らかして去ってゆく。
そのゴミを食べようとするハゲコウ。

1日中ゴミを地面に捨てないように、自分たちの車に残すかゴミ箱を使うようにアナウンスし続け、

それでもアナウンスを聞かない人たちに直接ゴミ箱を使うこと、捨てないことを訴え続け、

今から食事をしようとする(ゴミを全部捨てていくだろうと予想される)集団のところへからのゴミ箱を引きずり持って行って使うように指導し続け、

それでも捨てられたゴミに「どうして捨てるんだ、ゴミを自分たちで片付けてくれ」と交渉しても言い訳---「これは自分たちのものじゃないよ、別の学校/家族のだよ」などと---(どうせ嘘なのだが)や、「それはクリーナーの仕事でしょ?(俺ら遊びに来ただけだし。など)」)され、

ウガンダ人のゴミを拾い続けているのに、中国人、チャイナが何か変なことやってるぞと言って笑われることはしばしばだし、
一生懸命動いているのに「ねぇちゃん、連絡先教えてよ」「好きだよ」などと冷やかされるし、
子供にゴミを投げつけられたこともあった。

それでもアナウンスし続けながら
捨てられ残されるゴミを拾う。
清掃員とゴミを処理するトラクターを繋げ、
円滑にゴミ処理ができるよう神経を張り、
マネジメントする---
1日が終わった後も、次の日にできるだけゴミは残したくないと掃き掃除。
ピークシーズンは毎日それの繰り返し。
朝8:30から夕方18時まで、ずっとゴミのことを考える。考えすぎて、夢でまでゴミ拾いをしていたこともあった。

トラクターを呼んで、清掃員とつなげる。
様子を伺い、清掃員の話を聞き、
ゴミ箱がゴミで満帆になる前に事前予測と
臨機応変な対応が求められる。
ちなみにこのゴミは1日で溜まる。

ゴミを拾う動作は全身運動で、かなり体にくる。
毎日足腰はバキバキだし、
駐車場の砂埃で喉は痛いし、(コンクリで覆われてないから砂埃が舞いまくる)
炎天下で灼けて絶対にシミは増えたし、
衣服は砂やゴミで汚れて茶色く臭くなるし、
それにプラスで精神的なダメージも入ってくる。
帰ったらほとほと疲れて、体が重くて、泥のようにベッドに倒れ込む。
悔しくて、悲しくて、半泣きになりながら作業した日もあったし
家に帰ってから涙が止まらない日もあった。
自分何しているんだろう?
私の職業ごみ収集だっけ、と思うほどだった。
毎日5万10万とくる人々に対して、Waste managementという作業が途方もなさすぎて、
環境教育なんて漠然とした職種。
自分がやってることに、この毎日の作業に
自分をすり減らしてまでやる意味なんてあるのだろうか?なんて思ったりした。

それでも。

放置されたゴミに群がる野鳥や猿を見て、
その子達が危うくゴミを飲み込みそうになるのを見ると、そのままにはしておけないと思う。
自分の配属先が汚されるのを、ただ見て過ごすことはできないと思う。
世界中でゴミ✖️動物の問題が生じている様子を見聞きすると、やはり私の活動は意味があって必要なことなのだろうと思う。
直接動物の治療をしたり、臨床行為で動物を救うことは、ウガンダでは---
少なくとも日本の獣医師免許では難しいが、
広義的な意味で、間接的に、動物のことを保全することに繋がるかもしれないと思っている

1人でも、ゴミがないことでの快適さと、ゴミがあることの不快感・違和感を感じて欲しいと思う。
願わくば、1人でも、1つの学校でも、意識を変えられたら…。
それが「環境教育」の一環だと信じるしかない。

一つ幸運だったのは、ピークシーズンに合わせて、
私やクリーナーがずっと懇願していたゴミ箱が寄付されたことだった。
4月から園内のゴミマップを作り、
クリーナーに聞き込みをし、
今の数では足りない。あといくつゴミ箱があると良いのか、どこに欲しいかなどをまとめた調書を作成し、何ヶ月もずっと配属先に訴えていたのだ。
それが届いた時のクリーナーの弾ける笑顔や、
実際に清掃活動が楽になったことは本当に良かったと思うし、体当たりして身を削って良かったと心の底から思った。CPや上司、マーケティングチームには感謝しかない。
クリーナーと一緒に汚れ作業に徹底したからこそ、彼らの苦労がわかり、ありがたさがわかり、
ものすごく仲が深まり、
本質的にやらなければいけないことがわかり、
協力隊らしいといえば協力隊らしい活動をしてるなと思う。
この記憶は多分、一生忘れないだろう。

ゴミ箱について地道に歩いてまとめた調書
企業からの寄付によりゴミ箱10個を獲得!

私の任期はあと1年2ヶ月。
来年のピークシーズンも、私はここにいる。
今回の経験で得たものを、
来年はより良いものにできるだろうか。
より良い伝え方、マネジメントの仕方を模索しなければならない。
何より、2年後、私がいなくなった後、
配属先のスタッフたちだけでこれをマネジメントしてもらわなければならないし、マネジメントできるようになってもらわなければならない。
やることは山積みだ。

週に1回の、配属先スタッフとの
クリーンアップ活動。
この習慣づけはだいぶできるようになってきた。
今や配属先にとどまらず、配属先までの道や外部コミュニティまでも幅を広げている。

ピークシーズンが落ち着いた今、
少しずつ静かな日々を取り戻し、
通常業務に戻りつつある。
ゴミ問題は根深いけれど、ゴミ問題だけをやりに来たわけではない。もっと、動物の展示作成など、
やりたいこともたくさんある。
時間が足りないだろうなと思う。
残りの期間でどこまでできるのか。残せるのか。
それはでも、時間を持て余すより幸せなのかもしれない。

今できることを。
この2年間だからできることを。
格好悪くても、獣医らしくなくても、
積み重ねて、大変なことも向き合っていきたいしみんなと一緒に問題解決していきたい。
精一杯取り組んだ後は、それがたとえうまくいってもいかなくても、帰国した後でそれを誰かに笑って話せられたらと思う。
そうして食べる日本のご飯とお酒はさぞ美味いことだろう。

まだと捉えるかもうと捉えるか。
残り1年2ヶ月、まだまだ続くよ私の奮闘記!

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