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もう私は「お姫様」じゃない

なかなか衝撃的なタイトルではあるけれども
これは本当にその通りだと思っていて

この世界において比較的若い方とはいえども
もう27歳という年齢になり、
いわゆる「アラサー」と呼ばれるようになってきて、
いつまでも「若さ」「可愛さ」「愛嬌」だけでやっていける歳ではなくなってきた。
年相応の知性、品性、教養、常識、責任。
落ち着き、立ち振る舞い。
思考、行動。
大人の「女性」としての自分の理想、
外から求められること。
同世代には刺さるんじゃないだろうか。

これは「社会人」に限らず、
私の今の協力隊活動にも当てはまる。
1年目は分からないことだらけで、
アフリカの中で日本人1人で、
かなり優しく甘やかしてもらっていたし
分からなくて当然、できなくて当然で
かなり融通よくしてもらっていた。
レディファーストで女性に優しいという
アフリカという特性ももちろんあったけれど、
お姫様のように蝶のように
守られ、大切にされ、私の我儘や主張も聞いてもらってきた。
しかし活動2年目に入り、このまま甘やかされるばかりではいけないだろうと思う。

「若いから」「かわいいから」
「できなくてもしょうがない」
「未熟でもしょうがない」
そんな風にかわいがってもらえた時間はそろそろ終わりに近づいている。
むしろ社会経験者としていくばくか責任を持って職務を全うしなければならず、頼るより頼られることが増え、さらに下を育て可愛がっていくようになるのだ。(と、思っている。)

怖い。
甘えられるということはどれだけ楽なのだろうと思う。
寄りかかれるものがあることは楽なのだ。
責任を誰かに投げれることは楽なのだ。
「逃げ道」があることは楽なのだ。

自分が第一責任者になるのは怖い。
当たり前に「大人」とみなされ何かを任せられることは怖い。
リスクを背負うことは怖い。

でもいつまでもぬるま湯に浸っているわけにはいかない。
いつまでも世間に可愛がってもらえるはずがない。
いつまでも甘えさせてもらえるはずがない。
いつまでも我が儘が罷り通るはずがない。
いつまでも面倒ごとを避け続けるわけにはいかない。
若い時は永遠ではないのだ。
歳をとっても変わらない自分でいれば
単なる自己主張の強い我儘お姫様
いや、おばさんのままである。

もちろん辛い時に頼ったり、
わからない時に人に尋ねたり、は大事だ。
いつだってしていい。
けれど、そのやり方も今までとは変わっていくのだろうと思う。

きっと少しずつ少しずつ
少しずつ少しずつ他の人を理想の自分を
意識して真似して繕って
成功体験を重ねて
時に苦い思いもして
でもそれすら乗り越えて
そうやって重ねていくしかないのだろう。

それが若さを超えた先の
その人という人間の美しさとなって
見た目や言動にこれから現れてくるのだろう。


他人に与えられる人に。
他人を助けられる人に。
他人を甘えさせられる人に。


なれるかな。


ガラスの靴を脱ぎ捨てて、
綺麗なドレスを脱ぎ去って、
豪華なティアラやアクセサリーも取っ払って
何も着飾らずにありのままの私で裸足で
どこまでいけるだろう。
どこに辿り着くのだろう。

前向きに強く優しく芯をもち
いつだって貪欲に
いつだって今を楽しんで
いつだってチャレンジャーであれ。


さぁより良い明日に向かって
より良い私に向かってまた1年を始めましょう。
2024年もよろしくお願いいたします。




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