少しだけ、とても遠い中国。

今年のザンビア長期出張のための準備出張で、慌ただしく5日程度で帰国してきた。ルートとしては、南部アフリカに行くためにはおなじみの、東京(成田・羽田)~香港~ヨハネスブルク~ルサカという流れだ。合計で一日半程度はかかる。

南アフリカのヨハネスブルグから香港へ向かう南アフリカ航空の機内。エコノミークラスは混み合っていて窮屈だ。香港行きはいつもたくさんの中国人でにぎわっている。ここはアジアかと思うくらいの割合だ。どうみても、非中国人の方が少ないのではないかというくらい。

たまたま隣に座ったのは中国系とみられる男性だった。

小ぎれいとは決していえない服装で、日焼けしてガサガサの肌。年齢は50代くらいだろうか。正直、この人と13時間触れそうなくらいくっついて座るのかと思うと気が遠くなった。(ちょっとにおったのも気が遠くなりそうなくらい嫌だった)

13時間の間、まったくしゃべることはなかったが、香港も近づいたころ、突然彼が話しかけてきた。

これまで中国のひととたくさん知り合ったわけではないが、こうやって空港や飛行機などで出会う中国のひとは、ほとんど中国語で強引に話しかけてくる。たいてい、まるでこの世界には中国語を話す人しかいないくらいの自信っぷりで。こちらがわからないと見ると、今度は強い口調の中国語で繰り返したりする。強く繰り返せばわかると信じているかのように。(まぁ、そういうことをする日本人もたまにいるけど)

しかし、彼はわたしが中国語を理解しないことがわかると、どこまで行くのかと実にぶっきらぼうな英語で訪ねてきた。

「Tokyo」とわたしは答える。

通じない。

「は!?北京?」

「No, Tokyo Japan」

「は!??上海?」

不毛なやり取りが続く。挙句の果てに、英語で会話しているにもかかわらず、「Do you speak English?」と言ってきた。

結局のところ、彼の英語力はとても低く、要するにTokyoもJapanも理解できないということであったのだろうと思われる。しきりに、「China?」を繰り返す。彼の頭の中の地図に、日本はあるのかどうかさえわからない。少なくともJapanという言葉はない。

結局、最後まで通じることはなかった。彼の中でわたしは、英語のわからない(英語で話しているのにもかかわらず)どこか中国へ行く人間ということになったのだろうと思う。それっきり言葉を交わすことはなかった。

一連のやりとりを通して、わたしは少しだけ残念な、嫌な気分の混じった気持ちになった。通じ合わないという事実そのものよりも、「だから中国のひとは…」という思いが頭に浮かんでしまったからだ。

人種差別も、どこかの国をひとくくりにすることも、普段からわたしは人一倍嫌っていて、誰かがそのような発言をすることにかなり過敏なほうだ。でも、そんなわたしでも、こうして繰り返し中国のひとから、なんだヨ!と思うような態度を取られると、どうしても「中国人は~」という考えが浮かんでしまう。

それ自体、否定はしない。

そういうことを思ってしまう自分を、認めることが絶対的に大切なのだと思う。きれいごとをたくさん並べ、国際協力の仕事などをする前に、人間として。

そんなことを思った。




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