横山仁美 |【雨雲出版】Amelia
メインブログ『あふりかくじらの自由時間』の一部記事を転載しています。
雨雲出版
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雨雲出版をスタートしました~「雨雲」の由来2023年 雨雲出版 という出版レーベルをスタートいたしました。 雨雲という名前は、わたしがライフワークとしている作家ベッシー・ヘッド(Bessie Head 1937-1986 南アフリカ/ボツワナ)が大切にした言葉から拝借しました。 北部のオカバンゴデルタなど一部の湿地帯を除き、国土の多くが平坦で乾燥した半砂漠地帯のボツワナには、はっきりとした乾季と雨季があります。 ベッシー・ヘッドが最初に発表した1968年の小説『雨雲のあ
ずいぶんリアルな夢を見た。 昨年まで7年ほど勤めていた開発コンサル会社の同僚に単発の仕事を頼まれる。 ブラジルで2週間ばかり研修アテンドの仕事を手伝ってくれないか。スケジュールとカリキュラムはこれこれこうだ、云々。 その仕事は実際に過去の様々な案件でやってきたものと似ていたし、わたしも5月の文学フリマには間に合うスケジュールだし、収入は昨年会社を去って以来マイナスだからとても助かる、と実にリアルなことを思っていた。 心の不安がそうさせたのかしら。 朝起きてリアルすぎて夢
南アフリカ生まれでボツワナに亡命した作家ベッシー・ヘッドというひとを知ってから四半世紀以上。 彼女の長編小説の一冊を日本語に翻訳して出版したいと具体的に考え始めたのは、それから少し後だったかもしれない。2004年には、ある翻訳スクールで文芸翻訳基礎コースを受けているのだから、少なくとも足掛け20年は経っている。 何度も数えきれないくらい翻訳をやり直し、自分でも信じられないほど人生の時間と労力を割いてきたのであるが、とうとう昨年この本を商業出版するために雨雲出版を立ち上げた
引っ越し荷物も片付かないままに、雨雲出版の二度目のイベント出店を終えた。 一度目は昨年末の文学フリマ、今回はZINEフェス埼玉というZINEを売るひとたちが集まるイベントだ。ZINEフェス自体は複数個所で行われているそうだが、そのうち浦和で2月3日に行われた回に初参加してきた。 ZINEとは、個人やグループなどが発行する自主的な出版物のことである。 雨雲出版としては、ベッシー・ヘッド作品の日本語訳を商業出版として世に出すために準備を進めており、現在用意している3冊のインフ
現代人は一生のうちでどれくらい引っ越しをするのだろう。 少ないひとはゼロかもしれない。 多いひとは、数か月に一度、なんていうひともいる。 もっとも多い「引っ越し」をする部類の人々は、伝統的には季節移動生活をしている遊牧民だろう。 昨今では、そのような遊牧民の伝統を受け継いでいるのか、ノマドワーカーと呼ばれるひとたちの中には、家までなくてホテルなどを転々と暮らしているひとまでいる。そういうひとたちは、そもそも引っ越しの概念がないわけだ。 自分はというと、子どものころはわり
病院に図書館があるのをご存知だろうか。 その多くは図書館とは呼べない小学校の図書室のような小さなものと思われるが、案外少なくない数の病院に入院患者や通院患者向けに本を集めた部屋があるのを、昨年初めて知った。 昨年11月中旬に、手術のため一週間ほど入院した。 都心の大きな病院で、どのような施設があるのか興味があったので院内案内図を細かく見ていたところ、とても小さな文字で図書室と思われる部屋の名前が書かれていたのだ。 一見、子ども向けの絵本図書室かしらと思うような名前だった
大きな仕事を成し遂げるひとは偉大だ。 例えば、800ページにもなるような大作を書き上げること。 ボリューミーでかつ内容の素晴らしい本を書ける作家は、類い稀な才能に恵まれている。 多くのひとはそう思うだろう。わたしもそう思っていた。 きっと、とびぬけた才能を持ち合わせてこの世に降りてきた人々もいるだろう。 でも、そう思って小さな自分を振り返りテンションが下がるとき、必ず思い出すことばがある。 アメリカの作家アン・ラモット氏の2017年のTEDトークだ。 「人生と執筆から学
昔からインテリアは好きで、いつも洗練された雑誌やインスタ、ブログなどを眺めてはワクワクしている。 ひとり暮らしをはじめたのは大学のころ。 小さなアパートだったし経済的な余裕もないので、憧れるような家具を買うことはできなかったが、小物だけは好きなものを集めていたように思う。 でも、どうせ引っ越すのだからと家具の類をきちんとそろえることはなかった。 最低限のベッドや実家から持ってきたデスク、小さなテーブルはあったけれど、衣服を入れる場所は確か無印良品が当時扱っていた段ボールで
子どものころ、父は使い込んだ自分の辞書をよく自慢げに見せてくれた。 小さな英和辞書だったが、ページは開いてすっかり分厚く柔らかくなり、小口部分には手垢がくっきりと黒い帯のようになっている。 父は仕事で英語を使っていたので、日ごろからよく勉強をしていた。 小学校六年生でアメリカに渡り現地の学校に通うようになって、わたしも辞書を買ってもらった。 何せ学校でコミュニケーションを取るのに英語がわからなくては話にならない。ごく普通の日本の小学生だったわたしは、辞書を引き引き学校の授業
昨年末から、いつもの喫茶店や雑貨店などでちらほら見かけるようになった。 2024年の干支、辰のモチーフを。 そして、はっと気づいた。そうわたしは辰年生まれなのだ。 つまり、年末にはいよいよ作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いつくということだ。 (作家ベッシー・ヘッドについてはこちらを参照してほしい) G.S.アイラーセンが執筆したベッシー・ヘッドの伝記によると、彼女が小説を最初に書いたのは13歳のころだったという。 その後、発表・未発表を含めて少なくとも一作(本人没後
心の奥深くにいつもひっそりと生きている本がある。 何度でも読み返し、そっとカバンに忍ばせ、ふとした瞬間にその本の言葉を思い出す。 長い年月のあいだ、ずっと一緒に生きているような本。 わたしにとってその一冊とは間違いなくJ.ノジポ・マライレ氏著の『ゼンゼレへの手紙』だろう。(ベッシー・ヘッド作品とは別だ) 最近、もう何度も読んでいるのだけれど、またこの本を味わいつつ丁寧に読み返していた。 『ゼンゼレへの手紙』は、ジンバブエに暮らす母親のシリが米国ハーバード大学に留学している
子どものころ、JALの訓練所を見学させてもらったことがある。 パイロットが訓練するフライトシミュレーターでコクピットに座ったのだ。 また、機体と機内を再現してある訓練施設では、サービスだけでなく緊急時の対応や緊急脱出の訓練ができるようになっている。脱出用のスライドは海上着水時にはボートになり、水上訓練ができるプールもある。 子どものころは、アメリカにしばらく住んでいたこともあり、飛行機に乗るというのは危険への備えが大切なのだなと漠然と思っていただけだった。 大人になってか
手術からもう少しでひと月を迎える。日常生活ではほとんど支障がないが、体が戻るにはあと数ヶ月かかりそう。 アイディアだけが先走って、マインドも体もついてこない日々が続いているので、すべてがスローペースで、まぁ申し訳ない気持ちもありつつゆっくり過ごすことにしている。 入院中に、思いついた企画がある。 病気治療のことはXの別アカウントで発信をしていたのだが、似たような状況にあるひとや、ほぼ同時期に同じような手術を受けるひとたちと繋がってコミュニティができ、すっかり馴染みになってい
無事に退院して一週間以上経ちまして、体力は少しずつ回復に向かっているところでございます。 遅ればせながら、11月11日(土)は「雨雲出版」としての初のイベント文学フリマ東京37でございました。 まだレポ書いておりませんでした。 急いで本を2冊とフリーでお渡しするサンプル本1冊を仕上げて臨んだ文学フリマ。 色んな方に手を貸していただき、何とか無事に終えることができました。 初めての文学フリマでしたが、大変に熱量のある大きなイベントで、とてもたくさんの方でにぎわっていました
文学フリマに「雨雲出版」として初出店いたしました。 お買い上げくださった皆さま、温かくご支援くださった皆さま、心より感謝申し上げます。 また、翌日に高円寺Punditにて開催されました「軽出版」のイベントにもご参加くださった皆さま、ありがとうございます。(こちらの記事もご覧くださいませ) 非常にエキサイティングな二つのイベントでしたので、詳しくレポをしたいところですが、実は現在、入院中です。(あらかじめ予定していたことでした)病院でこの記事を書いています。 しばらくの間、
「マガジン航」に寄稿させていただきました。「なぜ出版するのか」についてベッシー・ヘッドをライフワークとし開発コンサルタントをしてきたわたしが思うこと、雨雲出版を立ち上げた背景について書きました。 https://magazine-k.jp/2023/11/07/amagumo/