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実験的パフォーマンス本番

即興の中で空間を害さないこと

香川5日目(2/4)
このパフォーマンスは枠組はなんとなく決まっているが基本は即興。最後なんてどうなるか全くわからない。
枠組としては再度書くとこんな感じ

本屋ルヌガンガ(=香川)で、本(=人)と出会えた存在(寺越、Aさん)と出会えない存在(=桐子さん)。本(=人)に出会えない存在は孤独を感じる。そこから自分の手で本を作り始める。それからこの空間でそれぞれはどうやって存在して(生きて)いくのか…

でもあくまで本屋ルヌガンガの空間で異物であってはいけないと思い大げさなパフォーマンスをするつもりはなかった。

普通に本を買いにくる人に対しても邪魔にならないようになおかつちょっと気になって足を止めてもらうように繊細に慎重にと考えていた。

見にきてくれそうな人達には入場料のかわりに本を一冊買ってもらうようにお願いした。
自分達が読む本もルヌガンガで選び購入してから読む(これもパフォーマンスの一つ)

一応挨拶文を書いてコピーして、本を購入した人全員に渡してもらうように店長にお願いしておいた。

急遽なのであまり人は集まらないだろうから普通に本を買いにきた人をどれだけ振り向かせ興味を抱かせる事ができるか?

旅人ヒデさんとの出会い

いろいろ考えながら商店街を歩いていると怪しい人間が犬と戯れ座っている。
彼の前には¨日本を旅してます¨と手書きのダンボール…無性に話してみたくなった。
彼はヒデさんといって家もスマホも職も全部捨てて師匠と崇める犬と車で日本一周しているとのこと。
お金はなく募金だけで生活していて(飯、ガス代等々)今のところ食うものに困ったことはないらしい。

「皆優しいっす(笑)」

と笑顔で答えるヒデさん。
この人にも本日のパフォーマンスみてほしいと思い募金して¨よかったらこのお金であそこの本屋で本を買ってパフォーマンスを見て下さい¨と告げて別れる。

いや~こないだろうなぁ~まぁでもいっか。

本に出会えた存在二人が本に没頭

Aさんと本番少し前に落ち合う。
桐子さんは仕事終わりでそのまま直行。まぁ桐子さんは遅れて登場する設定なので問題なし。
Aさんが言いにくそうに話し出す。
「…下着上だけでもいいですか?あれになってしまったので…」

¨全然いいよ、なんなら下着やめとく?¨

「いや、脱ぎます!」

なんなんだ、この潔さは…。
このAさんは少ししか話せてないのでまだ全然わからない。わからないが表現に対しての好奇心が恐ろしく強いように感じる。
人前で下着になることによって自分がどうなるか知りたいのだろうか?わからん…でも面白い人だ。

本番の時間になり自分が先にいき暫くしてAさんの順番でルヌガンガに入っていく。

本を物色して読みたい本を見つけてレジに持っていき奥の階段上のところに座り本を読み始める。

暫くしてAさんが入ってきて本を何冊か手にとりレジで購入して読み始める。

本に没頭する二人。

Aさんはどんどん本を購入していき手元には何冊も本がたまっていく(笑)

暫くしたらAさんが上着を脱いでよりリラックスし始めたので、それに呼応するように自分も上着脱ぎTシャツに…なんだこれは(笑

時折Aさんと交流を交える。

予想以上に人がくる

顔を上げて本屋を見てみると¨あ!ヒデさん!¨嬉しくなりAさんと絡んだりしていると続々と人が…

前の日にキキさんの紹介でいった現代美術家の方たち、島岡さんの姿も。普通の本を買いにきたお客さん?とかもちらほら見てくれてる。

ヒデさんが自分に
「どこで見ればいいの?」
と聞いてきたので階段前のテーブルと椅子のところを教える。

それを機に次々と訪れた人が話しかけてくるようになりAさんも対応してる。

う~~ん…この対応難しかったなぁ…。
自然に存在するにはどうしたらいいか模索しつつ対応…っていうかもう不自然だけどね。

孤独な存在登場

桐子さんが入ってくるのが見えた。
まずデッカイ鞄を階段下のテーブルに置く。
本を探してうろうろしている。店長にも本を聞いているが見つからない、うろうろ…見つからない、見つからない…

テーブルに来て一呼吸してから、鞄から大量のペンや紙を出してきて本を作り始めた。

椅子にはヒデさんやら島岡さんが座り桐子さんの動向を見てる。
桐子さんは紙とペンを彼らに渡し絵を書いて欲しいとお願いしていた。
そして自分とAさんのところにもきて紙とペンを持ってきた。


それぞれの存在、それぞれのやり方

その紙とペンで皆それぞれの絵を書いてそれを一つにまとめて絵本にして、このルヌガンガに置くというのが桐子さんの描くイメージだったのかもしれない。

皆その方向に向かっていたと思う。
(今思えばこれにのっていたら作品の着地がすっきりしたのかも…)

ただ自分は天の邪鬼なものでそういう友好的で同調した空気を時として壊したくなる。まぁ空気を読めないとも言える(笑)

頑なに絵を書くのを拒否するという行動をとった。いろんな手で描かせようとする桐子さんに対し¨本屋なのに何やってるんですか?¨と冷静に返す自分。

そこからはそれぞれがやりたいようにやっていた。

絵を書いたり色付きのセロファンで空間と戯れる桐子さん
本から目を話し空間の端で縮こまりどこか憂い表情で佇むAさん
後ろ向きに肘ついて寝転んで半ケツを出し本に没頭する自分

この空間で三人の存在が強く表出していたように思う(意味はわからんが…)

(その時のイメージ図)

着地点をどうするか?

ただ事前にどういう風に作品を締めるか共有していなかったので途中からぐだくだした。
即興でなんとかなると思っていたが…。

残っているお客さんが島岡さんやヒデさんという関係者だったのでそれに甘えた部分もあると思う。

最後はどうも締まらない感じで終わった。

やってよかった!の一言に尽きる


自分は今でこそ¨もっとこうしたら良かった¨とか思うけど終わった瞬間は達成感に満ちて興奮していた。

喜んでくれている周りの顔をみて本当にやってよかったし、こんな急遽のお願いに協力してくれた桐子さん、Aさん、何より場所を提供してくれた本屋ルヌガンガさん、そしてわざわざ見に来てくれた島岡さんやヒデさん達には感謝でいっぱいです。

振り返ってみて

始め桐子さんが「本を作る」といった時、一人で作ると思っていたけど実際は皆で本を作っていった。
¨孤独¨だと感じるからより他者と繋がろうとするために¨皆で本を作る¨という発想なのかもしれないなぁと。
あそこで桐子さんが選択した¨皆で本を作る¨という行動こそが彼女が香川県で生きていくために選んでいる行動なんだろうと思った。

孤独という言葉のネガティブなイメージに引っ張られていた自分は孤独という言葉のポジティブな部分をみた気がした。

一方で¨皆で本を作る¨という行動に唯一拒否を示した自分がその時点であの空間の中で孤独の存在になった気がした。
その事にあの時明確に気づいていれば自分の行動は変わっていたかもなぁ…いや…変わってないか(笑

個人的にはそれぞれがまとまらないで三者三様の姿をとっていたところがそれぞれの孤独との向き合い方なのかもなぁと思い好きだった。

でもなんといっても写真や動画の類いを香川ではとらなかったのが勿体なかった。この時そんな頭なかったなぁ~

ところでキキさんは…

前日にいろいろ話しを聞いてくれてAさんと繋げてくれた なタ書の店長キキさんはというと…前日の夜 なタ書が放火にあい(玄関が少し燃えた位で済んだ)対応に追われこれなかった…

放火って…あの人そんなに恨み買ってんのかよ…

パフォーマンス中いろんな人が「キキさん放火にあったらしいよ」と口々にいっていて
キキさんの影響力をいろんな意味で思いしる一面だった。













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