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映画『ザ・ミソジニー』感想 懐かしくて前衛的なオカルト作品

 おどろおどろしいハッタリが懐かしいホラー。映画『ザ・ミソジニー』感想です。

 女優・劇作家のナオミ(中原翔子)は、昔観たオカルト番組の心霊事件を基にした脚本の構想を練っていた。その事件は、家の庭先で母親が消失したのを目撃した娘が語るもので、その娘も取材後に殺害されたという。ナオミは、かつて自分の夫を奪った女優のミズキ(河野知美)に、その娘役を依頼し、山荘に呼び寄せる。ミズキのマネージャーである大牟田(横井翔二郎)を含めた3人での芝居稽古は、次第に現実と虚構の境目を失い、ミズキは娘の役柄と同調するに連れて、自身が抱いていた母親への憎しみ、ナオミへの恐怖で錯乱状態となっていく…という物語。

 『女優霊』『リング』の脚本や、『霊的ポリシェヴィキ』の監督などで知られる高橋洋によるホラー映画。監督作品を観たことはないのですが、「女性蔑視」「女性嫌悪」を意味するタイトルで、いかにもホラー作品な予告という違和感に、何か惹かれるものを感じて観てまいりました。
 
 作品の雰囲気としては、懐かしいゴシック・オカルトという感じですね。古びた洋館を舞台にして、そこから舞台が動くことなく、少ない登場人物のみで密室劇のまま最後まで物語が進んでいきます。メインキャスト3人の演技も、「そんな不気味な喋り方するヤツいる?」というくらい、のっけからホラー色全開の演技ですね。ここまでベタな空気感のホラーは久々に観た気がします。
 
 ただ、脚本的にはかなり実験性が強いものになっているというか、前衛的で難解に感じられました。何の会話をしているのか、説明がないまま進むので、物語の意図が把握しにくいものになっています。ただ、そこで活きてくるのが芝居稽古をしているという設定なんですね。3人が繰り広げる意味不明な会話が、本当の会話なのか、劇中劇によるものなのか、境目が曖昧になっていくように仕向けています。

 さらに言えば、その物語の不安定さが、ホラー映画としての不穏な空気や不安感に上手くリンクしているように感じられました。猪鍋を食べ終わり、口を拭うミズキが放つ「放射能…?」という独り言とか、意味深すぎるほどはっきりとした台詞なんですけど、全く回収しないんですよね。裏設定を考える余白としてもデカすぎて、不安感を煽る効果があると思います。
 
 後半の、陰謀論カルト的な組織の存在、『エコエコアザラク』みたいな黒魔術的な突拍子もない展開も、物語としては破綻しているけど、劇中劇であると考えるならギリギリ受け入れられるように思えました(その劇中劇としても突拍子がなさすぎて、わりとつまんなそうな劇だなという問題もありますが)。
 
 ミソジニー的な要素で言えば、魔女的部分がそれにあたるように思えました。昨今でも「魔女狩り」という負の歴史事実は、女性蔑視からのものだったという考えや、現代にもあるミソジニーを魔女狩りと比喩するのを、ホラー映画作品そのもので再現する意図があるのかもしれません。プロジェクターに投影されたムッソリーニの愛人クラーラ・ペタッチの死体写真などは、魔女狩りの犠牲者であるということなんでしょうね(魔除けと称してあの写真を用意した意味は、さっぱりわかりませんが)。
 ただ、観る前にレビューで「ホラー版シスターフッド展開」とあったので、そこに期待したのですが、シスターフッドというほどのものでもなかったと思います。ただ殺されそうだから協力し合っただけで、主人公2人は別に和解していないでしょう?
 
 色々と、物語、画面上で意図しているものを感じることは出来ますが、あまり理解させようとはしていない作品ですね。基本的に撮りたい画があって、それを繋ぎ合わせて、物語を創っているように感じられます。
 そのためか、ツッコミ所は満載ですし、役者陣の演技もホラー色一辺倒という感じなんですけど、不思議と退屈はせずに観ている側を引き込む力があるものになっています。既存のオカルトホラーでありながら、その枠を広げようとした怪作でした。


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