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映画『ほかげ』感想 狂気という戦争の傷

 この作品で描かれている狂気が、現在進行形で生み出されています。今すぐ戦争を止めるべき。映画『ほかげ』感想です。

 終戦直後の焼け残った小さな居酒屋で暮らす女(趣里)は、斡旋されてきた客に酒と身体を売ることで日々の暮らしを送っている。ある日、戦災孤児の子どもが店に食べ物を盗みに入る。その坊や(塚尾桜雅)は、店の客として来た復員兵の男(河野宏紀)と共に、女の店に入り浸るようになり、3人は束の間、寄り添い合う日々を送る。だが、戦争が遺した傷口は、そんな時間をも破壊する深いものだった…という物語。

 『鉄男』『野火』『斬、』で知られる塚本晋也監督による最新作。『野火』で描かれていた「戦争現場」とでも言うべき残酷さは、生涯忘れることのない映画体験です。その後の『斬、』も時代劇でありながら、現代日本が向き合っている「武力を持つ」ということを描いており、『野火』以降、一貫して戦争批判を繰り返している監督であり、個人的には最も信頼する表現者の1人でもあります。
 
 今作『ほかげ』も、戦後闇市を描いた物語で、やはりそのスタンスに変化はありません。そして主演の趣里さん、後半で登場するテキ屋の男役の森山未來さんというのも、トップレベルの表現力を持つ俳優となっており、否が応でも高まる期待と共に、どんな残酷絵巻が表現されているのか、恐ろしさのような感情を抱きつつ鑑賞しました。
 
 初期の怪作『鉄男』から、「人ならざる者になってしまう恐怖」というものを描いている塚本作品ですが、『野火』からは戦争という地獄を体験することが、その恐怖に繋がっていくことを描いていると思います。
 オープニングから趣里さんの眼付や動作がケダモノじみていて、凄まじい演技になっています。凄惨なシーンはなくとも、この演技だけで、どれほどの地獄を味わってきた人間なのか、とても痛感させられる演技になっています。『流浪の月』『愛にイナズマ』など、脇役・端役でも存在感ある演技でしたが、ここに来てその演技力を暴発させているような凄みを感じました。放送中のNHK朝ドラ『ブギウギ』のイメージが吹き飛んでしまうものです。
 
 その女のもとに、赤の他人が集まって疑似家族を作ろうとするのは、戦後を描く映画の定番ともいえる展開ですが、そんなただのヒューマンドラマに塚本作品がなるわけがないのは、不穏過ぎる画面作りですぐにわかります。
 女の住む家が夕日に朱く染まっているのが印象的で、ずっと朱色を強調している画面が多くなっています。これは日本を焼き尽くした空襲の炎、あるいはその空襲や戦地で人々が流した血を連想させられます。いかにこの場所で多くの死が刻み込まれて、その傷が全く癒えていないかということを強調した画面作りに思えました。
 
 そして、その傷は登場人物たちの精神にもはっきりと生々しく刻み込まれています。暴力を振るい出す復員兵の男はもちろん、主人公の女も坊やを自分の子として慈しんでいるようでいて、その実、暴力的な愛情を向けているように感じられます。女の心が、家族を喪った生々しい傷口に蝕まれているという描写になっているんですよね。暴力的な愛情というのも、塚本作品ではよく出てくるモチーフです。
 
 そんな大人たちを見つめる坊や役の塚尾桜雅くんの瞳が、非常に真っ直ぐなものですね。この作品に登場する大人たちは、全員等しく戦争の傷によって心を狂わされてしまった人々なんですけど、この坊やだけは、まだ狂ってはいない人間として存在しています(戦災孤児という置かれている状況は、子どもにとってはこれ以上ない地獄なんですけど)。
 復員兵の男が元教師ということもあり、算数を坊やに教える場面がありますが、この作品で坊やが眼に焼き付けている様々なものが、いわば「授業」となっているんですよね。
 
 女との居酒屋で過ごす日々が座学とすれば、そこから離れて森山未來さん演じるテキ屋の男と行動を共にする後半からは、課外授業とでもいうべきものになっています。
この行く先々で見つめるものも、坊やにとっての教師になっていくように思えます。人手として売られていく子どもの現実、戦争から生還しても心を壊されて、離れに閉じこもって独り言をつぶやき続ける男など、ここでも狂った現実、狂ってしまった人々が容赦なく描かれています。
 そしてシニカルな視点で俯瞰していたかのようなテキ屋の男ですら、戦場での上官の命令と自分が犯した行為によって、最も心を壊されていたという場面は、圧巻のものでした。森山未來さんのダンスによって生まれた身体性の表現力が、芸術ではなくこんなにも恐ろしいものとして現れていることに、ただただ震撼させられます。そして、ここで戦争による被害だけでなく、加害という点も描いているのも、塚本晋也監督らしい表現になっています。
 
 他の塚本作品と比べて、凄惨な暴力はそれほどなく、目を覆うようなシーンは無いのですが、それでも恐ろしさは伝わってくる作品になっています。それは背景にある「戦争」というものがどれほど恐ろしい地獄であるかということを、他作品でも描いているし、それを知ったうえで作品を生み出しているからだと思います。この人々が、どれほどの地獄を味わって生きているのか、どれほどの哀しみに蝕まれて日々過ごしているのかを、想像させられる映像になっています。
 
 この物語は悲劇というべきものですが、それでも唯一の救いとして、先述した坊やの真っ直ぐな瞳が存在しているんですよね。戦争で破壊されたものは、戦争が終わっても戻らない、壊れた心は以前のようには戻らないという事象を描いていますが、その地獄を次の世代には繋げてはならないというメッセージもしっかりと伝わるものでした。
 
 ただ、2023年の現時点で、パレスチナではこんな子どもたちの瞳が光を喪っているという事実を考えると気が変になりそうです。事情なんて関係ない、一刻も早く戦争という殺戮を止めて欲しいと願います。世界が狂気に向かう中、正気を保つためには、この作品で描かれている狂気を眼に焼き付けておく必要があると思います。


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