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映画『リコリス・ピザ』感想 大らかな時代と空気で描かれるマヌケな青春

  手垢にまみれた、走って青春を描くという表現が、きちんとオシャレに仕上がっています。映画『リコリス・ピザ』感想です。

 1970年代のハリウッド近郊、サンフェルナンド・バレー。子役としても活動する高校生のゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)は、高校の写真撮影の場で、カメラアシスタントとして来ていたアラナ・ケイン(アラナ・ハイム)に一目惚れ。強引に誘って食事の約束をこぎつけるが、アラナは10歳も年下であるゲイリーに恋人になることはないと告げて、2人の友人関係が始まる。
 ゲイリーは溢れんばかりの若さとバイタリティで、俳優活動の現場にアラナを駆り出したり、ウォーターベッドの販売事業をアラナと組んで行ったりと、あらゆることに挑戦し続ける。アラナにとってゲイリーの若さは苛立ちを感じるものだったが、どこか気になる存在にもなり始めていた。2人の距離は縮まっては離れてを繰り返していく…という物語。

 『マグノリア』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などで知られるポール・トーマス・アンダーソン監督による最新作。監督作品も観た事はなく、全然ノーマークだったんですけど、何か評価が高いとの噂を聞きつけて観てまいりました。
 
 本当に前情報を入れずに観たんで、後から知ったんですけど、アラナ役を演じるアラナ・ハイムって、世界的バンドになりつつあるHAIMハイムの3姉妹の末娘なんですね。しかも姉ハイムのエスティ・ハイムとダニエル・ハイムの2人も姉役で出演、親ハイムのドナ・ハイムとモチ・ハイムも両親役で出演しているというハイム一家総出ということに驚きました。
 さらにゲイリー役のクーパー・ホフマンは、『カポーティ』で知られる名優フィリップ・シーモア・ホフマンの息子という事実も驚きでした。遺伝子圧が凄いキャスティング。
 
 ジャンルとしては、めちゃくちゃ全うな恋愛映画だと思います。主人公2人が、くっつきそうで、すれ違って離れては、また近づいてをひたすらに繰り返す物語。
 ただ、いわゆる恋愛ものにある甘いトキメキみたいな空気感は皆無なのが特徴的ですね。ゲイリーもアラナも憧れのカップルというものではなく、ひたすらにマヌケな姿が滑稽なものとして描かれています。
 
 こう言うと悪いですけど、主人公2人がそこまでの美男美女とは言い難い外見なんですよね。ティモシー・シャラメやルーニー・マーラなんかが演じていれば、紛うことなきステキな恋愛映画になったと思います。ですが、このマヌケな2人が主人公のおかげで、自分と関係のない別世界で繰り広げている恋愛ではなく、自分と同じ世界で、見守り応援したくなる恋愛物語になっていると感じました。
 
 作中には、実在する映画や役者のオマージュのような仕掛けが、あらゆるところに登場しているようなので、古くからの映画ファンなんかは、より楽しめるかもしれません。自分は映画知識が浅いので、その辺は雰囲気を楽しむのみでしたが、どことなくタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』なんかと通じるものを感じました。
 
 この作品が表現しようとしていることも、『ワンス・アポン~』と同じく、古き良きハリウッド時代の空気感だと思います。何というか、全体的に大らかな感じがしますよね。登場人物も正しい事をする人ではないのだけど、それが不快ではなく、憎めないどころかむしろ応援したくなる魅力に溢れています。
 特にそれが如実に表れているのが、ゲイリーがアラナにオッパイを見せてくれないのかと駄々をこねる場面ですね。正直、今の価値観から考えるとアウトな場面のはずですが、不思議とこの作品中だとイヤな感じがしないんですよね(僕だけですか?)。
 苛立ちの勢いで胸を見せるアラナに、「触ってもいい?」→ビンタ という流れまで、現代では出来なくなったコメディパートだと思います。けど、この年頃の童貞による恋心は、性的欲求と確実に表裏一体で、切り離せないものだったと思います。ゲイリーの切実さ、ただの性欲からくるものではないということが理解できるから、有りになる場面だと思います。
 
 2人の恋愛になるかならないかという関係性もすごく大らかな空気で描かれています。普通は純情なゲイリーが一途にアラナを想い続ける形になるかと思いきや、意外と他の女の子にも目移りはするし、アラナはアラナでそれに若干モヤりつつも、他にステキな男性が現れたら、ゲイリーの存在が小さくなっていくというのが、如実に描かれています。アラナがゲイリーに気持ちが傾く時は、他の相手との関係がポシャった時というのも、何かリアルで良いですね。
 
 純愛とは呼び難いこの関係性は、日本が舞台の設定だったら全く共感を得ない価値観だと思いますが、アメリカの、しかもこの時代性だから生み出せた爽やかさを持ち合わせているようにも思えます。それと同時に、社会的に正しいことを表現しなければならないという昨今の作品(もちろん、それはとても大事なことですが)に対するカウンター表現にもなっているとも感じられました。
 
 このカウンター的な表現をしているということが、ベタな恋愛映画表現をとても輝かせていると思うんですよね。お互いを想ってひたすらに走る姿、2人が手を取り合って走るのが、ありきたりではない爽やかさを持っているのはそういうことなんだと思います。

 結末も、2人の関係性に決着が着いているようで、実は何も変わっていないと思うんですけど、この2人はこの関係のままで正解なんだと思います。この後も、腐れ縁のような関係性が続いていき、それでドタバタするのが、ゲイリーとアラナの美しい人生なんだと納得できる、ステキな恋愛映画の結末でした。


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