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映画『市子』感想 哀れみを拒絶する哀しい人生

 2023年の映画納めも、淋しい作品を選んでしまいました。映画『市子』感想です。

 大阪で暮らす川辺市子(杉咲花)は、3年間共に暮らした恋人の長谷川義則(若葉竜也)からプロポーズを受ける。涙を浮かべて喜ぶ市子だったが、彼女はその翌日に姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の元に、市子を捜す刑事・後藤(宇野祥平)が現れる。長谷川は、後藤から市子という名前の女性は存在しておらず、その昔は「月子」と名乗っていた事実を知らされる。長谷川は、市子を捜し、彼女を知る人々を巡って話を聞くうちに、市子の壮絶な生い立ちを知ることとなる…という物語。

 戸田彬弘監督が主催する劇団の舞台劇『川辺市子のために』を原作として、監督自身が映画化した作品。年末も差し迫ったところでしたが、方々で大絶賛だったため、映画納めに観てまいりました。確かに、杉咲花さんが役者としてネクストレベルになる瞬間を捉えた節目の作品だと思います。
 
 過去から逃れるために失踪した人間を捜すというあらすじは、それほど珍しくもないかと思います。石川慶監督の『ある男』なんかと、同じ系統の作品といえるでしょう。
 ただ、今作の特徴としては、生い立ちなどの事実としての真実よりも、市子という主人公の女性が抱えていた心情が明かされていくのを見つめる物語になっている点だと思います。
 
 市子という女性は、いわゆる「魔性の女」「ファム・ファタル」としての要素が感じられるキャラクターではありますが、それを感じさせる前に、その同情的な哀しい生い立ちを説明しています。普通の「ファム・ファタル」ものであれば、逆の順番になると思うんですよね。女性の魔性部分で悪人と思わせながら、その真実を明かして感情を逆転させるという構造が、スタンダードなものだと思います。
 だけど今作の描き方は、まず生い立ちの事情に同情させ涙を誘ってから、市子の心情を明かして感情を逆転させる仕掛けになっています。事実としての真実ではなく、心情を真実として扱っているんですよね。
 
 市子が、やむを得ず行動していたのは確かに事実だし、社会の歪みによる犠牲者であるのは本当だと思います。だけど、その彼女の行動は、自らの意思を持って選択したという「真実」を突き付けられた時に、自分は前半に抱いていた彼女への同情や哀れみといった感情を、ピシャリと撥ねつけられ拒絶されるような感触を抱いてしまいました。
 市子に尽くしたつもりで、その実、市子の事をまるで理解していない北秀和(森永悠希)と同じなんですよね。自分が市子に寄り添っている気持ちのつもりが、ただ映画館の席で安心に寛いで他人の不幸を鑑賞しているだけだった愚かしさを恥じてしまいました。
 じゃあ何が市子に対する寄り添いの正解かというと、やはり長谷川のように市子を知ったうえで干渉しないという選択に行き着くんですよね。若葉竜也さんの『街の上で』で確立した「受けの演技」が、ここでも最高の仕事になっています。
 
 そして、何といっても、市子を演じる杉咲花さんの演技は、確実に今までのものと段違いになっていて、変化する瞬間のような煌めきがあるものでした。これまでも充分、評価される演技だったとは思いますが、どちらかというと感情を剥き出しにして、わかりやすい表現をするタイプの演技だったとおもいます(「ガキ使」年末の「笑ってはいけない」でも、大袈裟な演技を見せるネタで出演していた記憶があります)。
 今作でも市子が感情的になる場面はありますが、そこでの心情は真実ではなく、むしろ沈み込むような無表情の演技の場面に、市子の真実があると表現になっています。今までの杉咲花さんの演技にはない表現になっていて、演技としてのレベルが一ケタ上がっていることを感じさせるものです。
 車のライトが眩しくて、目を覆っている市子の場面、非常に印象的なショットです。再び自分の名前を失うことになることを示唆しているようだし、自身の人生を直視しないようにする仕草にも思えます。
 
 市子が望むものは、決して人として正しくない行為を選択していたとしても、それでも生きようとする選択だったんだと思います。こちらからは、それがとても哀しい行動に見えてしまうのですが、彼女の中ではとても前向きな選択になっているようにも思えます。
 物語の中の悲劇よりも、この劇中の人物と観る側との「断絶」という悲劇を描いた作品だったように感じられます。とても寂しい余韻が続く映画でした。


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