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映画『ベネデッタ』感想 醜悪に塗れた救済の物語

 公開終わり際でしたが、観ることが出来て良かったです。映画『ベネデッタ』感想です。

 17世紀のイタリア、ペシアの町。幼い頃から聖母マリアと対話をする少女ベネデッタは、6歳でテアティノ修道院に入る。やがて成人したベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)は、修道院に逃げ込んだ若い女性のバルトロメア(ダフネ・パタキア)を助け、お互いの美しさに魅入られていく。それと同時に、ベネデッタはイエスの幻覚ビジョンを頻繁に見るようになり、やがて彼女の手足にはイエスと同じ傷の「聖痕」が刻まれる。ベネデッタの奇跡は人々に広まり、イエスの花嫁として崇められ、新たな修道院長に任じられる。だが、前院長であるシスター・フェリシタ(シャーロット・ランプリング)と、娘であるシスター・クリスティナ(ルイーズ・シュヴィヨット)は、ベネデッタに疑惑の目を向けていた…という物語。

 古くは『ロボコップ』『氷の微笑』などで知られるポール・ヴァーホーベンによる監督作品。2016年公開の『エル ELLE』も高評価という、現在進行形で鬼才っぷりを発揮している監督です。とはいえ、個人的にはあまりお名前を認識していなかったんですけど、過去作品リストを調べたら『氷の微笑』『スターシップ・トゥルーパーズ』を観ておりました。まさか同じ監督作品とは、露知らずでしたが、この2作だけでも、極端なエロス、極端なバイオレンスを、皮肉を利かせたユーモアでまとめ上げているのが思い出されます。
 
 今作で描かれる修道院女性のベネデッタは、17世紀にレズビアン主義で告発された実在の人物だそうです。ただ、描かれているドラマは史実に忠実なものではなく、ヴァーホーベン監督による特色が大きく出た作りとなっているようです。
 史実通りの部分として、ベネデッタとバルトロメアの同性愛描写があるんですけど、これが最近のLGBTQに配慮したするような清潔さは全くなく、かなり背徳と快楽を追求したようなドロついたベッドシーンになっています。敬虔なクリスチャンでなくとも、思わず眉をひそめてしまうような描き方をしているんですよね。ただ、ここがヴァーホーベン監督の持ち味なわけで、お綺麗に飾る愛ではなく、肉慾まで正面から描いてこその人間という表現なんだと思います。
 だけど、極端な性愛、暴力は描いていても、画面上での名画のような芸術性を保っているのはさすが巨匠の作品と唸らせられます。
 
 面白いのは、ベネデッタが見るイエスの幻覚ビジョンですね。ここでのベネデッタの視点も、イエスのベネデッタに対する態度も、完全に恋愛的なものとして描いています。修道院女性は、主に仕える身として「イエスの花嫁」とされているわけですが、信仰心をそのままストレートに恋愛感情として描いているのはあまり見た事がないものでした。
 そう描くことで、いわゆる中世時代に権威となって形骸化した「敬虔」なキリスト教会信仰を批判したものになっているんですね。ヴァーホーベン監督が持つ肉慾と暴力性を使用して、「アンチ・キリスト」としてではなく、いわば「シン・キリスト」であることを描いた作品になっていると感じました。
 
 ただ、ベネデッタが本当に聖女だったという描き方になっているわけでもなく、その辺りはかなり韜晦とうかいさせた脚本になっています。
 ベネデッタがイエスの幻覚ビジョンを見るシーンは、周囲の人間にとっては妄想癖でしかないもので、実際に幻覚ビジョンを共有する我々観客も、ベネデッタの妄想を映像化した場面の可能性もあると思います。聖痕が奇跡なのか、ただ自分で傷つけたものなのか、その辺りもミステリーとして作劇に惹きつける仕掛けになっています。

 実際、聖痕が付いてからのベネデッタは奇跡を起こす聖女よりも、かなり戦略的、知的に動いているキャラクターに思えます。教皇大使ジリオーリ(ランベール・ウィルソン)に最期にかける言葉も、聖女の言葉と呪いの言葉が表裏一体だし、シスター・フェリシタをあの結末に導くのも、隔離された牢でベネデッタが耳打ちした作中では聞こえない言葉であるように思えます。
 
 けれども、それがあるからといってベネデッタがペテン師だった、ニセモノの聖女だったというかと言えば、必ずしもそうではないとも感じられました。イエスが憑依したからこそ、ベネデッタがカリスマ性と扇情性のある言葉を操れたとも考えられるし、自ら付けた聖痕を含めて、超常現象ではない「奇跡」をベネデッタに行わせたという風にも取れるようにも思えます。
 
 あらすじだけ見ると、あたかも同性愛女性のシスターフッド、歴史に弾圧された同性愛者の物語と受け取れるようにも見えますが、そこまでの優等生的なメッセ―ジが込められた作品ではないと思います。もっと、肉体的な欲望、暴力性、他者への嫉妬、独占欲など、醜い人間部分を認めて受け入れてこその救いだという、ヴァーホーベン監督流の形骸化したキリスト教批判であり、人間批判であると同時に、人間讃歌でもある作品のように感じられました。


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