YUKO SAGA

京都在住。 ▶司会・ナレーション ▶企画制作・プロジェクトマネージメント 歴史の勉強が…

YUKO SAGA

京都在住。 ▶司会・ナレーション ▶企画制作・プロジェクトマネージメント 歴史の勉強がやりたくて、京都へ飛び込んで20年以上。 私たちの住む日本や京都の文化をつないでいく一助になればいいなと思い日々暮らしています。

マガジン

  • 日々雑感

    日々思うことなど

  • 平成に存在したとある女子寮の話

    平成の世に確実に存在した稀有な女子寮。びっくりしないでください、これはノンフィクションです。

  • AgaveManな旦那との暮らし

    AgaveMan=自分な旦那と、Agaveにまみれた日々を綴ります。

最近の記事

自己紹介ーお仕事のご依頼についてー

2021年夏から、これまで大変お世話になった株式会社響映の正社員から契約に切り替えさせていただき、個人でのお仕事をお受けするようになりました。とはいえ、自分の職業を自分でもひと言で説明できないくらい何でも屋さんなので、ポートフォリオ代わりに自己紹介とこれまで担当させていただいたお仕事について書きたいと思います。 経歴1,プロジェクトマネージャー 響映時代から、文化施設での音楽イベント、食のイベント、展覧会の企画制作、周年事業の運営など、様々な案件に関わらせていただくことが多

    • 夫が似合うと言ったので金髪にした話

      今年の夏に、突然金髪にした。 どうした?なにがあった??と聞かれ、なんやかやと答えていたけど、突き詰めて言うといたってシンプルで、夫が「似合う」と言ったから。 そして、鏡に映った自分の顔色が明るく見えたから。 それだけ。 でも、金髪にしてみて、副産物的によかったことや考えることがあったので、文章に残しておきたいと思う。 実は、夫が私に「金髪が似合うと思う」と言い出したのは、なにも最近のことではなくて、10年も前からヘアサロンに行くたびに言っていた。 それを、「こんなこけし顔

      • 厄災の日の話

        基本的に私はズボラである。 ありがたくも『ちゃんとしてそう。綺麗好きそう。整理整頓できてそう』 と言っていただくことの方が多い。 これは、セルフイメージを確立するためにコテコテにコーティングした私なので、家族や身近な友人たちは、ヘソで茶を沸かすくらいにちゃんちゃらおかしいと思っているに違いない。 かれこれ、『出したものを元に戻せない』病に罹患して、40年近くこの病とともに生きてきたので、それなりに重症なのだと思う。 さて、私のズボラエピソードは置いておいて、つい先日の話であ

        • お金について思うこと

          最近、『お金』って何だろうってめちゃめちゃ考えた。 『おいおい、お金に困ってるのか?』と心配されそうだけど、まあ、そうではない。(別に、お金が有り余ってるわけじゃないけど(笑)) 一部の人が憑りつかれ、一部の人たちが嫌悪する『お金』って、結局何だ?って考えたまでだ。 私は、お金っていうのは便利なツールだと思っている。 例えば私が林檎農家だったとする。 生きていくには、林檎以外の食べ物も必要だし、住居も、着るものも必要だ。いちいち、林檎とあなたのお米を交換してくださいって探し

        自己紹介ーお仕事のご依頼についてー

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        • 日々雑感
          5本
        • 平成に存在したとある女子寮の話
          11本
        • AgaveManな旦那との暮らし
          7本

        記事

          ひきこもり について

          昨年の夏、映像制作の仕事で「ひきこもり」の方とそれを支援する人たちを取材した。佛教大学でひきこもる若者の社会的支援策の研究を行っている、山本耕平先生。そして、先生の紹介で取材させていただいた、社会福祉法人一麦会 麦の郷 ハートフルハウス創~Hajime cafe~に通う皆さん。彼らを支援している職員の皆様。お話を伺い、その生活を取材させていただくと、曖昧なイメージしかもっていなかったこの社会問題について考えさせられた。 「ひきこもり」と一言に言っても、抱えている想いや背景は

          ひきこもり について

          選挙カーについて思うこと

          先日、久々にウグイス嬢として選挙カーに乗ってきた。 前の会社の正社員になる前だから、かれこれ10数年ぶりか。 日本の選挙に関して、特に名前を連呼する選挙カーに関しては、疑問視されることが多いと分かったうえで、思うこと書き連ねてみたいと思う。 まず、結論として私が選挙カーが必要かどうかという問いに対して言うならば、今のところ都市部に関しては必要性が見いだせない。 市街地を大きなスピーカーから爆音で名前の連呼、やっと眠った赤ちゃんが、療養中のお年寄りが、騒音に悩まされる。。。な

          選挙カーについて思うこと

          『道』に思うこと

          これまで生きてきて3つの『道』のつくお稽古事をやってきた。 『剣道』『衣紋道』『茶道』 剣道は8歳のころから10年間。衣紋道は大人になって10数年。茶道はしっかりとお稽古に通わせてもらうようになってまだ2年半。衣紋道と茶道はありがたいことに今も続けている。ちなみに、衣紋道とは十二単や束帯など、装束の着せ付けの方法を学ぶものだ。 このお稽古事に関して、特に衣紋道に至っては 「何のためにやっているのですか?」 とよく聞かれる。確かに、十二単を着る機会どころか、実物を見た

          『道』に思うこと

          平成に存在した女子寮の話-#11寮監先生について

          私が20年前に暮らしていたH寮には、100人以上の寮生をまとめ上げるゴッドマザーが存在した。彼女の名前はI盛先生。実は先生ではないけど、先生と呼ばれるH寮の絶対的な存在。 そもそも、寮母ではない。寮監なのだ。さすが監獄寮ここにあり。 【寮監】りょうかん 寮を管理・監督する人   - 大辞林 第三版より 寮を管理だけではなく、監督する立場。寮母ではない。彼女は玄関の1番近い部屋に住み込み、日夜寮生の安全と秩序を守っていた。巡寮は外出できるようなちゃんとした服を着て、しかも

          平成に存在した女子寮の話-#11寮監先生について

          平成に存在した女子寮の話-#10全国菓子博覧会

          私が20年前に暮らしていたH寮。なぜか、前期と後期の間、年末年始、後期と前期の間の長期休みは寮は閉鎖された。あんまり実家が好きではない私は長い休みこそ京都を満喫したかったが、追い出されるからしょうがない。よく考えたら寮生時代は4ヶ月は福岡にいたんだなぁ。もったいない。 そんな、もれなく実家に帰される寮生たちは、地元の銘菓を携えて寮に戻ってくる。福岡出身の私が買ってかえるお土産で不動の人気は「博多通りもん」 「お金渡すから、8個入り買ってきて」とまで頼まれた人気者。とはいえ

          平成に存在した女子寮の話-#10全国菓子博覧会

          平成に存在した女子寮の話#9-外泊について

          私が20年前に暮らしていたH寮。普通の女子大生の生活ではありえない外泊にまつわるルール。門限が大変厳しいことはすでに語ったが、外泊についてもどんな箱入り娘だ!というようなルールがある。もちろん、門限に遅れそうなので、「今日外泊します!」という電話一本でなんとかなるようなことは絶対にない。外泊の基本ルールはこちらだ。 ① 外泊は月2回まで(ただし、1回生の4月中の外泊は禁止) ② 事前に外泊届(親の印鑑&サイン入り)を提出のうえ、許可が下りたら可 ③ 帰省も外泊にカウント

          平成に存在した女子寮の話#9-外泊について

          平成に存在した女子寮の話#8-おばけが怖い

          私が20年前に暮らしていたH寮。通称監獄寮。その名の通り、昭和の香り漂う8畳4人部屋の古い建物。もちろん、トイレも洗面台も共用で、毎日が校内宿泊研修やってるみたいな環境だった。 しかも、夜23時にはブレーカーが落とされるので、廊下の明かりは非常灯だけ。ということは、丑三つ時だろうがなんだろうが、トイレに行きたくなれば真っ暗な廊下を抜けて共用トイレまで行かねばならない。・・怖いではないか。20歳にも近づいたほぼ大人でも怖いものは怖い。私はホラー映画もテレビの心霊特集も無理なん

          平成に存在した女子寮の話#8-おばけが怖い

          平成に存在した女子寮の話#7 -女子寮は秘密の花園??

          女子寮というとどんなイメージをもつだろうか?男性が垣間見ることができない、女性だけの秘密の花園・・・なんてものは幻想ということを、これまでの記事を読んでくださった方はわかるだろう。共同生活の鉄則として、清潔にはしていたものの、なんせ監獄だ。日々、ザルの上で髪を洗い、レトルトのパスタを鍋から食べていた。なんなら、鍋敷きはシラバスだった。。先生ごめんなさい。そういえば、私はムカデの撃退法をこの寮で学んだな。 そんな、寮生の部屋着は基本ジャージ。バッチリメイクでブランドのバッグを

          平成に存在した女子寮の話#7 -女子寮は秘密の花園??

          平成に存在した女子寮の話#6-携帯電話について

          私が20年前に過ごしたH寮。当時、寮内の携帯電話所持率は9割で、みんながパカパカと呼んでいたガラケーだった。ただ、非常に電波環境が悪く、いつもみんな見えない電波を探し歩いていた。 ちなみにキャンパス内に寮は5つあって、それぞれどの寮に入るかは自分で決められず、入寮してみてのお楽しみ。H寮はその中でも1番キャンパスの奥の山側にあって、おそらく電波問題で悩んでいたのはH寮生だけだと思われる。 そんなわけで、H寮生はいつも電波を探していた。4階の窓際が1番電波が入りやすいので、

          平成に存在した女子寮の話#6-携帯電話について

          平成に存在した女子寮の話#5 -私の人生を動かした先輩の話

          20年前に私が暮らしていたH寮。1回生の前期は先輩2人、1回生2人の4人部屋。後期は先輩1人に1回生2人の3人部屋だった。この前期で同室だった先輩たちとはまったくの音信不通だけど、今思うと私の人生に大きく関わった人だなあと思う。 入寮して初めての部屋で同室だったT先輩。うちの大学は女子大だったので、ほとんどがメンズのいる近くの大学のサークルに入っていた。T先輩はうちの女子大の一番近くにある大学の、真夏の琵琶湖を舞台に自作の飛行機で大空に飛び立つサークルに入っていて、そのパイ

          平成に存在した女子寮の話#5 -私の人生を動かした先輩の話

          平成に存在した女子寮の話#4 -8畳4人部屋での生活

          20年前に私が住んでいたH寮。何より驚かれるのが、8畳4人部屋。しかも和室。収納は押し入れで、毎日布団を上げ下げして生活していた。部屋の配置としてはこんな感じ。(部屋の比率は適当。配置だけ参考に) それぞれ、ひとりずつの勉強机があって、押し入れをふたりでひとつ使うイメージ。ほとんどの寮生が入寮したら大学のすぐ近くの生活雑貨屋さんでプラの衣装ケースをふたつ買って、そのなかに衣類、その上に畳んだ布団をしまっていた。押し入れの下の段はダンボールに入れた生活用品やらレトルトの食材や

          平成に存在した女子寮の話#4 -8畳4人部屋での生活

          平成に存在した女子寮の話♯3-女子大生のお風呂事情

          20年前に私が住んでいたH寮。 お風呂のルールも厳しかった。今考えてもあり得ない。浴場が使えるのは17:00~21:50。銭湯のような浴場で、シャワーが10箇所くらいだっただろうか。個室シャワーはない。基本的にシャワーで体を洗った後でないと、浴槽に浸かってはいけないというルールだった。なので、外出先から帰ってくる21:00代は込み合う込み合う。100人以上の寮生がいるのにシャワーが10箇所くらいしかないのだから、洗面器を抱えた女子大生が浴場の入口あたりで真っ裸で順番待ちをす

          平成に存在した女子寮の話♯3-女子大生のお風呂事情