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みんなと私の『動機づけ面接』ーークライエントとの同行二人指南(22) 『クライエント中心療法と動機づけ面接を比べる』


傾聴研修はあるけれど・・・


傾聴するだけではクライエントは行動変容にまでは至らない」

日本の動機づけ面接をしている人々がよく言うことである(カウンセラーがちゃんと傾聴ができていないだけでは? と思うのだが)。「傾聴の目標は自己一致」などといったとんちんかんなスライドも見たことがある。どうにもいろいろ誤解があるようだ。

また動機づけ面接は、来談者中心的要素目標指向的要素とを併せ持った面接の「スタイル」とされている。これもツッコみようのある言葉ではある。動機づけ面接にはいろいろなお作法が多くて、人の会話としてはけっこう不自然な「スタイル」である。

食事制限をする、運動をする、ゴミ屋敷を片付ける…。福祉の担当者にせよ保健師にせよ、対人援助職は人に「動機づけ」をして「行動変容」を導く必要に迫られることが多い。だが実際に参加させられることが多いのは「傾聴研修」だ。そこで動機づけ面接と傾聴の関係について説明していきたい。



動機づけ中心療法?


担当の生活保護受給者がゴミ屋敷に住んでいる。支援の上で傾聴が大事とは言われるけれど、ゴミは片付けてほしいし・・

支援の現場で被支援者に「うちはゴミ屋敷じゃありません! それに私は散らかっていても平気なんです」と言われたとする。すると支援者はあえて「散らかっていても平気なんですね」などと対応するよう研修を受けていることが多い。

このような傾聴技法は、ほぼクライエント(あるいはパーソン)中心療法と同義に扱われる。わかってはいてもなかなかできないので、同じテーマの研修が巡ってくる。「傾聴しましょう」と口を酸っぱくして言われても不得手感が募るばかりでうんざりしてしまう、という悪名高き「傾聴」なのである。



カール・ロジャースが提唱した来談者中心療法の前提には、人とはすばらしいものである、というのがある。カウンセラーは優れた存在であるクライエントを、受容することになる。

だが動機づけ面接を学んだ人にとっては、ここでも「ハンマーを持った者には、すべての問題が釘に見える」の法則が働く。来談者中心療法のカウンセリングをも、両価性の観点で捉えてしまうのだ。

行動変容を導くためには、チェンジトークを強化すればよい。これは動機づけ面接の基本である。

ただここにこだわると、維持トークは基本的に弱めるべきものとなる。仮に耳を傾けることがあっても、それは方便として一時的にするだけだ。だが行動変容の観点だけで面接を考えるのはあまりにも狭いものの見かたではないか。傾聴を重ねることの狙いは、クライエントが成長することなのだ。それに対して動機づけ面接は、結果ばかりを急ぎじゃないのか?

人が成長しようとするのを手伝うために、「受容」「共感」でもって寄り添う。そこに、なにか特定のゴールへと方向づける必要などない。すべての人は、どちらかはわからないが、「前」へと向かっているのだから。


クライエント中心療法は動機づけ面接だった?


・・・などとクライエント中心療法寄りの発言をしてみたが、ちょっと面白い研究がある。カール・ロジャーズの面接の動画を分析して、動機づけ面接風に言えば「ロジャーズはチェンジトークに選択的に反応していた」ということを明らかにしたものだ。それはつまり、「酒をやめようかな」とか言ったときに限り「ほう!」と感心してみせるということだろう。


そうなると「受容」と「傾聴」のカウンセリングであるはずのクライエント中心療法のイメージもずいぶんと変わってくる。「散らかっていても平気なんです」に対して「そうなんですね」と受け止めるのは、控えめにしたほうがいいということになる。あれ? けっこう作為的じゃないか?

たしかに両価性という言葉は使わないものの、ジレンマに悩むクライエント、という見方はどのカウンセリングにもある。かくして動機づけ面接の色眼鏡は正当化される・・・のかもしれない。

もしかするとクライエント中心療法はもう下火なのかもしれない。とりあえず「クライエント中心療法である」ということになっているカウンセリングは日本では多そうだが、それはそう言っているだけではないか? 研修の数も受講者も、ずいぶん減ったのではないか?
他方、動機づけ面接は技法が明快でわかりやすく、同じ系列のカウンセリング技法として、「ザ・カウンセリング」の座を奪おうとしているのかもしれない。なんと動機づけ面接のスピリットであるPACEのうちのE、Evoking(引き出す)も、Empowerment(訳語は未定だが、エンパワメントでよいだろう)に改まることになった。ムムム!


ただ私がとても気になるのは、動機づけ面接は標的行動を意識せずには成立しない技法だということだ。ゴールまっしぐらで作為的なカウンセリングなのである。「協働が大事!」とか言っている人ほど作為的である。それに対しロジャーズは決して「ポジティブな発言だけ強化を」なんてことは言っておらず、選択的強化は無意識であったと思われ、そこに感心する。


思惑は、持っている以上なくせない。カウンセラーが「この人は部屋を片付けたほうがいいと思うけれど、思惑は持たずに受容しようっと」と考えたとすれば、今度は自己一致に反する。こういうことって、真剣に人と向き合おうとすると、とても迷うところだと思うのだが、素朴に技法を受け入れてしまえるカウンセラーたちばかりが多いことに私は驚いてしまうのである。


動機づけ面接の記事はこちら

https://note.com/agawa_shou/n/na43bd322a38f

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