相変わらずの賃貸暮らしである。今後も持ち家に移り住むことはないだろう。 また、自動車の運転免許を持っていないため、車なしでの生活を送っている。 結果として、ローンを組むことなく、負債ゼロで暮らしている。 何も持たない生き方は気楽である。 地震で家が壊れても、別の場所に住めばいいだけだし、自動車で事故を起こすこともない。 何も持たないことは責任を抱えないということであり、それがメリットである。 最近ミニマリストが流行っているが、意識してミニマリストを志しているわけで
30代の頃は4時間睡眠を毎日のように続けていたので、夢もほとんど見なかったように思う。 しかし、最近は生活を見直し、7時間ぐらいは寝るようにしている。よく夢を見るし、起きた後もなんとなく夢の内容を覚えている。 ある意味、夢はどんなドラマよりも面白いかもしれない。 基本的に、夢というのは自分が経験したことや考えていることが反映されているはずだ。 そのため想像の範囲内で展開するが、時として自分でも考えつかないような展開を見せることがある。 また、夢の中では自分はまだ若く
落語家になった大学時代の後輩が、真打ちに昇進した。 落語から離れて久しいので、今の落語家のことはよくわからないが、特に厳しい師匠のもとで修行したらしい。 その厳しい師匠のもとで(しかも女流で)真打ちに昇進するというのは、相当大変なことだっただろう。 (そう書くと特定されそうだが、閲覧数も少ないし、別にいいか) 真打ちになるまでには、何度もやめようと思ったことがあっただろうし、実際に、クビを言い渡されたことも一度や二度ではなかったらしい。 どうしてそこまでやめずに必死で
最近、「梅原猛の『歎異抄』入門」を読み返して、やはり「他力」だな、という思いを強くした。 他力とは、我々煩悩に満ちた凡夫には、自力で自分を救うことはできない。阿弥陀仏の働き(他力)によって救ってもらおうという考え方だ。 浄土真宗の信仰がなければ、「阿弥陀仏」を「神」に置き換えてもいいし、「天地の働き」「大いなる力」いろんな言い方ができる。 とにかく、それらの働き(他力)に任せるということだ。 我々は何でも自分でやっているように考えているが、実際には自分でできること、自
ギリギリセーフ。それ以外は特にないかな。
近所で使っていたコワーキングスペースが4月末で営業休止してしまい、流浪の民となっていたのだが、ようやく次に使うコワーキングが決まり、内覧に行ってきた。来週から使う予定なので、今週はひとまず流浪の民として、マックを中心に流浪していきたい。
前半リアルタイムで見てて、後半は夜に見たけど、ダゾーンのタイムラインのネタバレでスコアレスドローの引き分けっぽいな、と思ってたら、やっぱりスコアレスドローの引き分けだった。せっかくACLが良いキャンプとなったはずなのに。残念だ。
今日は書くことがないな。昨日だったらあったかもしれないけど。今日はないな。書くエネルギーがないのかもしれない。
ふと思ったけど、賢い人なら、頭がまともな人なら、計算ができる人なら、子供は一人だけにするわな、と。うちは3人だけど。 子供を大事に育てようと思うなら、あるいは学習への投資効率を最大化しようとするなら、複数人ではなく一人の子供を育てたほうがいい。 この今の世の中で、複数の子を持とうとするのは、どこか頭のネジが飛んでないと無理なんじゃないか、とすら思う。 ただ、そうした結果として少子化の加速があるわけで、少子化は純粋に国力の低下だから、これは本当に深刻な問題。 俺が思うに
と思ってたら、連続更新途絶えてしまってるじゃないか。昨夜は何をしていたんだっけか。すっかり忘れてたな。まいった、まいった。
というわけで実家に子供たちを連れて行ってきたけど、ひたすらもてなされるばかり。料理はもちろん、子供たちとも遊んでもらって。子供の元気な姿は見せられたけど、それだけで本当に親孝行になってるのだろうか。
明日は、このGWで唯一のビッグイベントである、実家に帰るのをやる。子供たちはジジババに会うのが楽しみらしく、今日から盛り上がっていて、それは喜ばしいことだし、なるべく楽しい思いをさせてあげたいとも思うが、子供3人を連れて行くのはなかなか大変である。とはいえ、県内だが。 同じように、家族旅行とかも行くとなると大変で、疲れることのほうが多いが、ここ数年はコロナ禍で旅行を控えているので、それはある意味好都合でもあったりする。まぁ、そんな感じ。 明日は果たして帰って来たあとに書く
雨降ってきたし。梅雨かなと思う。けど明日からは晴れるようだ。
寝る間際まで、書くことを。サッカーを見ていたのが原因かな。ま、その程度のことしか書かないのであれば、連続更新にこだわることもないのだが。
書いていないことを思い出した。あぶないあぶない。
電車に乗るのは週一日で十分だな。