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何も持たない生き方:所有しないことの自由と責任

相変わらずの賃貸暮らしである。今後も持ち家に移り住むことはないだろう。

また、自動車の運転免許を持っていないため、車なしでの生活を送っている。

結果として、ローンを組むことなく、負債ゼロで暮らしている。

何も持たない生き方は気楽である。

地震で家が壊れても、別の場所に住めばいいだけだし、自動車で事故を起こすこともない。

何も持たないことは責任を抱えないということであり、それがメリットである。

最近ミニマリストが流行っているが、意識してミニマリストを志しているわけではないが、それに近い生き方だと思う。

もっとも、持ち家に住んでいないことも、車を持っていないことも、生活していくだけの最低限の収入しか得ていないのが理由のひとつであり、「ないものねだり」の可能性もある。

自分の両親、特に母親は、若い頃から持ち家に対してかなりの執着を持っていた。

そこは時代の移り変わり、世代間の意識のギャップがあるかもしれない。

そんな何も持たない生き方をしている中で、どういうわけか自分が持ってしまったのが家庭である。

いつの間にか妻と子供3人を支えることになっている。

本当のことを言えば、結婚という形にとらわれず、一緒に住むことだけを考えていた。

しかし、周囲に脇を固められて結婚する運びとなり、妻の希望で子供を持つことにもなった。

何も持たない生き方とは矛盾するが、家族を持つことは大きな責任を抱えることだ。

一方でかけがえのない経験でもある。

この年齢になって、もし結婚もせず1人で暮らしていたとしたら、それは気楽だっただろうが、あまりにも退屈な生活だったのではなかろうか。

家族を持つことは責任も伴うが、人生という長い時間の中で、退屈さ解消という面では大いに役立っている。

そういう意味で、自分が実践している「何も持たない生き方」というのはほんの一部でしかない。

いろんな生き方があり、何が正しいのかは究極的な答えのない問いであり、今後も生きていく中で模索し続けることになるだろう。


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