「緩い職場」の言語化

今回の白饅頭ノート冒頭に書かれているようにブラック企業等で疲弊した心身を癒すための湯治としての「緩い職場」というのは私はありだと思う。
実際「つらい職場」で心が完全に折れてしまった私がそこに異動して、年単位の時間をかけて、ある程度回復できたからだ。

ではなぜ私が、心身共に健康な新人や若手に「緩い職場」を基本的におすすめしないかと言えば、細かく言い出すとキリがないので二つほど挙げるが、一つ目はそれも白饅頭ノートに書いてあったことそのままなのだが、労働の体感時間がとてつもなく長く、あれやこれやと考えなくてもいいようなことにまで思いを馳せてしまうからであり、それが緩さ故のつらさを生み出してしまうこと(同じ部署にいる同年代の同僚はそれがツラそうだった)。
二つ目は、心身共に健康な若者は個人の差はあれど、何かしら外に溢れ出さんばかりのパワーみたいなものがあり、何かを為さんとする力が(本人の意志等に関係なく)備わっているのだと私は思うのだが「緩い職場」はその業務の質・量からして健康な若者のパワーにはあまりに不釣り合いなのだと思う。パワーを持て余すのである。
この「緩い職場」が前の仕事において私の最後の配置だったのだが、メンタルもそれなりに回復して退職する少し前には私自身、パワーを持て余していたと記憶している。
もちろん、行き場のないパワーをうまいこと発散したり転化することはできるのかもしれないが、私の経験で言えば一つ目の理由に挙げた無駄な思考を加速させ、強力にしてしまうエネルギー源になるので要注意なのである。

ただ「緩い職場」と一口に言っても千差万別だし(私の場合は「緩い職場」ではあったが、資格をいくつか持ってないとできない職務だったため組織や集団への貢献度みたいなものは最低限担保されていた)、個人のキャリアプラン等もまた同じくなので、そこはちゃんと見極めてほしいところではある。

本文の前半で「緩い職場」を基本的におすすめしないと書いたのだが、正確性に欠ける記述だったと思う。
今回の白饅頭ノートの冒頭にも引用されていたポンデベッキオさんの図で言うと「緩い職場」の極つまり左端や左上に健康で若いうちは寄らない方が個人的には良いと思うというのが私の真に言いたいことである。

急いで書いたので、説明不足感や誤字脱字があることは御容赦ください。



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