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私が生まれた日

自分のことを知るために年表を書くことにして2日目。

今日は私の生まれた日のことを書きます。私の生まれた日には母も産休に入っており、母の実家で出産の日を待っていました。母の実家は、南北朝時代に負けた武士は落ち延びてきたと言われるようなど田舎の山間の町で、隣町にある病院までは30分かけて車で行かないといけないところにあります。夜になると、街灯も少ないため、あたりは真っ暗になります。

1972年12月1日夕方に陣痛がきて、19:00過ぎに母の兄が車に迎えに来てくれた時には、陣痛のせいで30メートルほどの家の前の坂も歩けないほどだったらしいです。私の父はというと、仲間と麻雀をしていて連絡がつかなかったらしいです。麻雀やパチンコが大好きな警察官。もし警察官になってなかったら、私の知っている真面目な父ではなかったかもしれません。


母が苦しんだ坂道です

実際に病院についたときには、すでに生まれる手前、21:00過ぎには生まれました。3000グラムの元気な女の子だったらしいです。予定日より10日ほど早く、今でもせっかちなのは生まれたときからと言われています。

母は陣痛で痛くても絶対に声を出さなかったらしいです。叫んだりするのは、かっこ悪いからという理由で。そんな変なプライドを持っているところは今もかわっていません。

私が生まれた後、父に連絡がつき、親戚に私が無事に生まれたかどうか聞いて初めて病院に行く決心がついたそうです。初めての子供で無事に生まれてくるかどうか不安だったと聞きました。高校生の時にその話を聞いて、私の知る父とは全然違うイメージだったので、男の人でも気が小さいところもあるんだなと思いました。それまで父はいつでも私を守ってくれる存在で、怯えることがないと思っていたので、とても新鮮でした。

とりあえず生まれました。続きはまた明日。

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