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子供の頃から社会不適応者 2024年1月【2】

私の社会不適応は高校1年から始まった。今までラジオでもブログでもそのように語ってきたが、本当はもっと前から始まっている。

小学1年の頃から学校嫌いだった。毎朝お腹の調子が悪く、登校前に胃腸薬を飲んでいた。またトイレも近かった。家を出る直前に用を足しているのに、登校中に行きたくなってしまう。

5年生に上がる時、長野から大阪に引っ越した。文化の違いに戸惑うことが多かった。そのストレスか、学校にいる間、頻尿に悩まされるようになった。休み時間ごと(45分ごと)に用を足した。

授業中に行きたくなることに対する不安から、尿意がなくともトイレに行く。それにもかかわらず行きたくなることも多々あった。

音楽の発表会の時、事前に行ったのに、出番の前に尿意に見舞われた。体育館で、全校児童が集う空間だったが、勇気を出して列を抜けてトイレに行った。

戻ってくると、担任の教師が待ち構えていた。冷たい目で私を見下ろして「事前にトイレに行ったのか」と尋ねてきた。実際には行ったのだが、頻尿であることを咎められたり、病気を疑われたりするのが嫌で「行きませんでした」と答えてしまった。

小学校から高校まで、私はずっとトイレの問題に悩まされ続けた。学校に着いたらすぐトイレに行くのが習慣だった。これをからかう子がいて、嫌だった。高校になってもいた。

全男子共通の問題として、学校で排便しづらいというのがある。女子にもあるのかもしれないが、男子の場合は個室に入る時点で浮いてしまうので、よりハードルが高くなる。便意をこらえてつらい思いをした経験を、今でもふと思い出してしまい、苦しくなる。

学校生活の中で、粗相をしてしまう子がいる。排泄を揶揄する愚かな文化の犠牲者は多いはずだ。それは深い心の傷になって、終世、彼らの心にまとまわりつく。本当に胸が痛む。

誰かの排泄をからかうなどという行為は、心の底から馬鹿らしい。今の子供にもこの問題があるのだろうか。あるのだとすれば、まず第一に、徹底的に叩き込まねばならない。排泄を揶揄する行為は絶対に許されないと。

本当に集団生活は嫌なものだ。少しでもズレた行動をする者に目を光らせ、見つけ次第あげつらう人間がいる。適応できないほうが普通だと思えてならない。

***

中学2年の秋頃、腰痛が発生した。それで部活(野球部)や体育の授業を見学するようになった。今となってはよく覚えていないのだが、症状は短期間で引いた気がする。

それでも私は痛みを訴え続け、見学を続けた。卒業するまでその状態だった。なぜこんなことになってしまったのか、当時はわからなかった。

今ならわかる。これは不登校の前段階だったのだ。布団から出られなくなったり、学校に行く途中で足がすくんだりしてしまうのが不登校。私のこの時の症状は、部分的な不登校だったのだと思う。

もしこれを仮病と言うなら、体が動かなくて学校に行けない不登校も仮病と言わねばならない。病気以外に逃げ道がないのだ。その構造が子供を病気にしている。

それから2年後、私は本当の不登校に入った。高校1年、16歳の秋のことだった。

父親の叱責に耐えかねて復帰したものの、すぐに再発。高校2年の秋に完全にドロップアウト。3年次から通信制高校に移る。大学は無事に通えたものの、就職は無理だった。それどころかアルバイトすらおぼつかない。

集団生活に耐える。嫌なことを我慢して続ける。そうしたことができない。「忍耐、忍耐」と自分に言い聞かせたところで、今度は体が反抗してくる(体調不良で動けなくなる)。そして今に至る。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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