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国立西洋美術館と空想エッセイ 2024年3月【2】

3月1日、国立西洋美術館の常設展を鑑賞。約2ヶ月ぶり。

年間パスポートを購入した。値段は1300円。前年度は1100円だった。200円値上がりしてしまったが、まだまだ安い。これで2025年3月末まで常設展(一般500円)が見放題。いつでも西洋美術に浸ることができる。

絵柄はポール・シニャック「サン=トロぺの港」

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では早速、夢の世界へ飛んでいこう。

なお、この記事は作品の紹介ではない。作品を観て私が思い浮かべたことを書く。主体は作品ではなく私。レビューではなくエッセイ。それを了承の上、読み進めてほしい。

パオロ・ヴェロネーゼ「聖女カタリナの神秘の結婚」

赤ちゃんが女性の胸に手を当てているように見えた。それで「ああいいなあ。私も触りたい」と思った。でも、よく見ると胸に触れているのは彼女自身の手だ。タイトルにある聖女カタリナというのは彼女のこと。それなら私は聖女カタリナになりたい。

なお、この赤ちゃんはイエス。抱いているのがマリア。奥の男性はマリアの夫ヨセフ。


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」

女性の胸の部分に装飾品がかかり、谷間を強調する形になっている。この状態を表す俗語に「パイスラッシュ(パイスラ)」というのがある。2006年頃にインターネットで使われだしたそうだが、この絵が描かれたのは1560年から70年頃。

だからといってどうということもない。女性の身体の構造上、紐状の物を肩から斜めにかけたら、自然にこうなる。避け得ないことなのだから、騒ぎ立てるのはいけないことだ。

ただ心に高揚感が芽生えること自体は止められるものではない。言動に表さず、あくまで心に留めておくべし。

胸ばかり見ていて気付かなかったのだが、よく見ると女性が男性の生首を持っている。どういうシチュエーションなのだろうか。公式サイトの説明を引用する。

主題は新約聖書に物語られる、洗礼者聖ヨハネとサロメのエピソードから採られています。ある日サロメは父ヘロデ王の宴会で踊りを披露します。それがあまりに見事だったため、ヘロデは何でも望むものを与えると約束したところ、彼女は憎んでいたヨハネの首を所望しました。絵にはこちらを見下ろしてヨハネの首を差し出すサロメが描かれています。

これがサロメか? 私の知っているサロメは若い娘だ。この絵のサロメはどう見ても中年女性。しかも太っている。踊りを踊りそうには見えない。母のヘロディアであると言われたほうがしっくりくる。

サロメは様々な画家によって描かれている。いくつか調べてみたが、いずれも若い娘だ。ティツィアーノは若い頃(1515年)にもサロメを描いている。そちらでは若い。

なぜこの絵のサロメは中年女性みたいな(しかもポッチャリした)見た目になってしまったのだろうか。

このテーマの絵は、若く美しい女性が、おどろおどろしい生首を持っているというギャップに魅力がある。それが中年女性ということになると、権謀術数に長け、酸いも甘いも知っている存在に見える。

絵に意外性がなくなってしまうのだ。つまり、このおばさんならやりそう。悪そうなおばさんが見た目通り悪いことをしている絵。私にはそう見える。

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アリ・シェフェール「戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち」

私はこの絵を観た時、乙女たちに熱狂的に支持されている自分を思い浮かべて楽しくなった。

でもよく考えるとそんな状況は怖い(熱心に読んでもらえるのは嬉しいが、この絵のように崇拝されるのは怖い)。

男性の夢として、女性にモテまくるというのがある。ひとりの女性に右腕をつかまれ、もうひとりの女性に左腕をつかまれる。両手に花。

想像してみたら夢見心地になった。でもよく考えると、結局ひとりとしか結ばれることはできないのだ。選ばれなかった人は傷つき、下手をすると恨みの感情を抱く。モテればモテるほど多くの人を悲しませ、多くの悲しみを背負うことになる。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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