すけちゃん

18歳で渡米。すし職人。ALL SYSTEMS FAILのギタリスト。

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  • 板前パンクロッカーズ

    アメリカで寿司職人になった日本人バンドマンとその仲間たち

  • パンクロック

    アメリカ留学時代にやっていたパンクロックバンドのお話です。

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どうしてアメリカに来たの?

日本人は日本に住んでいた方が便利だ。どこ行ってもサービスはいいし、電車は時間通り来るし、食い物もうまい。なんと言っても全て日本語でやれるのは楽だ。治安は良いし、国民皆保険まで付く。日本に生まれるなんて、こんなラッキーなことないよな、って本気で思ってる。 だったらお前も日本に住めよ、って言われそうだけど、残念ながら人生の半分以上もアメリカに暮らしていると、日本社会のきめ細やかさにもうついていけない。 日本に生まれて日本で育てば、地元から出ることはあっても、そのまま日本で暮ら

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    • 板前パンクロッカーズ 3

      全店舗が新メニューになって一週間も経たないうちにJから電話があった。 J:「すけちゃん、明日から寿司シェフな」 僕:「え?オレまだウエイターのスケジュール入ってるけど?」 J:「ニックもマイキーも辞めたから人が足りないんだよ。あいつらファッキンゲイだから仕方ナイネ。白人スグ泣クカラダメネ。とにかくダウンタウン店に明日8時に来いよ、わかったな、ユー・ダーティー・ジャップ!」 Jはマジでこういう話し方をする。僕はもう慣れた。ニックとマイキーが辞めた理由もだいたい想像つく。

      • 板前パンクロッカーズ 2

        寿司の修行を始めることが決まってからは、ウエイターをしながらも、ヒマを見つけては寿司バーにいるシェフたちの仕事を観察するようになった。 僕は3つの店舗で働いていたんだけど、その中で1番売上の多い店舗は張さんという在日コリアンが仕切っていて、寿司職人は白人の女の子1人を除いてみんな韓国人だった。 張さんのお母さんは日本人、お父さんは山○組のヤクザだという。色黒で痩せ型。身長は170いかないくらい。日本語はあんまり話せなかったが、母方のラストネームを名乗っていた。寿司職人をや

        • 板前パンクロッカーズ 1

          ホリエモンが「寿司職人になるために長い修行は必要ない」と言って炎上したり、ひろゆきが「寿司職人はどこに行っても食いっぱぐれない」と言ったり、寿司職人についてはSNSでもいろんな説を聞く。 「寿司職人になればアメリカですぐに永住権が取れる」なんていう、もう30年も前の話をいまだに常識のように話す人も後を絶たない。 日本での実情は詳しく知らないが、はっきり言って、アメリカで日本人が寿司職人として仕事を見つけるのは、とても簡単。働けるビザさえあれば、技術も大して必要ない。カリフ

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        どうしてアメリカに来たの?

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          10本

        記事

          パンクロック 10

          結局ドラマーを見つけるまでレコーディングは延期になった。 僕はすでにOPTビザという、アメリカで1年間就労出来るビザが下りていたので、LAに引っ越すことも特に問題はない。 LAに行けばいくらでもミュージシャンはいるだろう。アメリカ西海岸最大の都市だ。アルバムを作った後の活動もきっとやりやすい。 ダレルはドラマー不在で練習もライブもないので次第に会う事が減っていった。しかも大学を卒業して、引っ越しやらなにやらで忙しいから 「ドラマーが見つかったら教えてくれ」 と、連絡

          パンクロック 10

          パンクロック 9

          アルバムのリリースが決まり、レーベルのホームページに僕たちのCDが発売されると告知が出た。13カ国でリリースされるとのことで、アメリカ・カナダだけかと思っていた僕の想像を超えたスケールに興奮した。 エリックやダレルの人脈を通じて、コロラドにスタジオを持つレコーディングエンジニアの人と打ち合わせをかねて食事をすることになった。 場所は某アメリカンダイナー。 エンジニアの人はポールという、ぽちゃぽちゃっとしたメガネの白人で、Strung Outなどの、そこそこ知られたバンド

          パンクロック 9

          パンクロック 8

          キャンパスでのイベントが終わると、僕たちのことを知る人が一気に増えた。 ライブをすれば人口3万人にも満たない街で100-150人が集まる。 ここから一気にのっていく。 ダレルの友達が週一回カレッジTV局でトークショーの司会をしていて、それに出演。ローカルテレビ局で放映される。 そこで知り合ったカメラマンがビデオクリップを制作。これは一年以上ローカルテレビ局で流され続けた。 Warped Tourのセカンドステージに出演していたバンドと何度か対バン。関係者を紹介され、

          パンクロック 8

          パンクロック 7

          5人編成になった僕らは、大学でギターを教えていた教授の自宅スタジオでデモ音源を録ることになった。 出来上がったラフミックスをメンバー全員分CD-Rにコピーして毎日聴いた。自分達で作った曲が形になるというのは、嬉しいもので、何度聞いても飽きることがない。これは、バンドをやっている者の特権だろう。ヒット曲や好きな曲を聴くのとはまったく違う楽しさがある。 そのデモが出来上がる前に、大学主催の野外パーティーに出演することが決まった。 キャンパス内の芝生が広がった広場では、フリス

          パンクロック 7

          パンクロック 6

          カレッジ・ジャーナルに掲載された日には、次のライブがすでに決まっていた。キャンパスのスチューデントセンター2階にあるBall Roomという、大学のイベントをやる広い部屋だ。 入場料を3ドル取ったのに150人くらい集まった。 このときは臨時収入ということで、ライブの後はメンバー全員と、すでにグルーピーのようになっていた高校生を10人くらい連れてアメリカンダイナーに打ち上げに行った。 その中にマイクという、ハイスクールをドロップアウトした小僧がいた。僕らのバンドに入りたい

          パンクロック 6

          パンクロック 5

          ザックは彼女との時間をいつでも優先してたから、僕はなんとなく、そのうち辞めちゃいそうだなぁ、とは感じていた。 今までのドラマーも同じ。彼女がバンド練習に理解がないと長続きしない。 何故か僕の関わるドラマーは 「彼女 > バンド」のパターンが多かった。 速い曲になるとリズムキープが不安定になりがちだったザックのドラムをエリックは気に入らなかったのは知っていた。だから一度辞めると言った彼をエリックは止めなかったのだろう。 ザックは確かに安定感はなかったものの、あれくらいな

          パンクロック 5

          パンクロック 4

          ヒッピーオヤジのレコード屋はキッズで溢れていた。外でスケボーしているハイスクールの小僧たちも合わせたら、ゆうに100人以上いる。 エリックとダレルが電信柱や街の至る所に“Free Show“と書いたフライヤーを貼りまくったおかげで、暇を持て余した音楽好きな若者がたくさんやってきた。 予想外の入りにヒッピーオヤジとそのワイフが万引きなどされないよう目を光らせている。店の奥にあるステージの前にはある程度のスペースが確保されているが、そこは30人も入ればいっぱいだ。中にはレコー

          パンクロック 4

          パンクロック 3

          エリックのブレイザーにバイトして買った黒のアイバニーズRGを積んでザックのスタジオに向かう。 着いてみるとスタジオというより倉庫だ。田舎のローカルバンドが練習をするのはメンバーの家のガレージか倉庫と相場は決まっている。こういう場所は『物置き』の意味で、Shedと呼ぶことが多い。空き地のような場所に10くらいの部屋が並んでいる。 ザックはドアを開けっぱなしにしてドラムを叩いていたので、どの部屋かすぐわかった。他の大きめの部屋は、ドアではなくガレージのようなシャッターがついて

          パンクロック 3

          パンクロック 2

          ホームレスとなった僕だけど、夏学期を受講していたので、大学の授業には出ていた。授業の後は図書館で宿題をして、夕方からはカフェテリアで皿洗いのバイトだ。 キャンパスで彼女と会うことは何度かあった。好きだったけど、付き合いが長くなるにつれて、情で一緒にいるのか、本当に好きで一緒にいるのか、わからなくなっていた。 いったん距離を置く、というのは、都合の良い言い訳かもしれない。でも、そばにいるのが当たり前になると、一緒にいてくれるありがたみがわからない。大事な人というのは誰かに取

          パンクロック 2

          パンクロック 1

          2年間同棲した彼女の家を飛び出したはいいが、行くところなんてないからとりあえず知り合いのレコード屋に向かった。 手持ちのCDは50枚くらいある。売れば2、30ドルになるだろう。日本に帰ってバイトするまであと2週間。それまでなんとかやり過ごさないといけない。 白髪のヒッピーオヤジがやっているレコード屋に入ると、エリックがカウンターにあるショーケースの中をのぞいていた。こいつは前のバンドでベースを弾いていた白人のパンクロッカーだ。 革ジャンの背中にはDead Kennedy

          パンクロック 1