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負けへんで!! の意味を知る

レジリエンス、耐性が求められるようになって久しい。

いや、ずっと前から人々は何かにじっと耐え忍んできた。

…わたし以外のみなさんは。


わたしは頑張るとか耐えるとかコツコツとは無縁の人生を送ってきた。
怖いことからは逃げた。
めんどくさいときは楽な方を選んできた。
みんなが通る受験さえも経験していない。

どれだけ目立たずにひっそりと
楽に生きるかが課題だった。

ほんと、なにそれ?っていうような生き方。

父親がめちゃめちゃくちゃ怖くて意見を言えなかったとか、社会で求められる女性像に甘んじたとかそんなことを理由にして、小さく小さく生きようとした。

10歳年上の夫と結婚したのも、どちらかといえば自分を甘やかしてくれるだろうという打算的な理由だったかもしれない。



35歳をすぎ、36になるとき仕事が大きく変わった。同じ会社のなかで求められる責任が突然重くなった。目の前に突きつけられた現実は36歳・勤続14年を思えば何も不思議なことはないはずだが、「でも、だって…」を繰り返して抗おうとした。

子どもがいることを理由に、いつだって逃げることを考えて過ごした。「なんでわたしがこんなにやらなきゃいけないの…」「他にやるべき人がいるでしょ…」いままでの自分を他所に、仕事をしない人たちを心の中で呪った。夜中までパソコンにかじりついても終わらない仕事に悔しくて泣いた。

いつも仕事の終わりを夢見ていた。働くのは好きじゃない。適度に給料がもらえたらいい。いつかこんな働き方は破綻するはずだ、と投げやりに残業時間を計上し続けた。自分の心と体がボロボロになって家庭もボロボロだった。


仕事には終わりがないということを知らなかったので、やってもやっても片付かない仕事に休日もうんざりした気持ちで過ごした。

同世代の働くママたちがイキイキと自分のキャリアを形成していく姿が眩しすぎて自分にはかなわないマインドに焦りと苛立ちを感じていた。自分の苦手な努力や鍛錬を乗り越えて達成感に満ち満ちた人たちがうらめしくてたまらない。


ちぇっ。どーせわたしなんて。
そんな腐った思いを抱えることしかできずにいたんだからどうしようもない。


そんな折、深夜残業を紛らわせるのに聞いたポッドキャスト「OVER THE SUN」。TBSラジオリスナーとして以前から二人の会話を面白おかしく聞いていた。だから「負けへんで!」「レジリエンス」という言葉は聞いて知っていたし、意味はわかったように感じていたんだ。


ep.78だったか、彼女たちでさえ時折消えてしまいたくなるくらい自分を粗末に思う瞬間があるのだと知った。楽しげに言葉巧みなやりとりのなかでそれぞれの落ちる瞬間があると。そのあとリスナーからの数々のメールや二人から繰り返される「負けへんで!」を聞いていて、やっと気づいた。


みんな、みんな、必死に踏ん張っているんだ。ボロボロの体で、スダボロの心で、必死に立っている。それが負けへんで!、レジリエンスなんだ。


腐った感情なんてとうの昔に捨て置いて、やっとやっと立っているんだ。
みんなそうなんだ。


それにやっと気づいたのよ。


辛いのは自分だけじゃないし、クサクサしちゃうのも自分だけじゃない、全然思った通りになんかならなくてぐちゃぐちゃの体と心を引きずってそれでもみんな生きてるんだって。

負けへんで!
負けへんで!
負けへんで!
負けへんで!

と唱えてみたら、驚くほどにそれまで抱えていた行き場のない苛立ちやモヤモヤが負けへんで!に変わって肚におちた。

腹を括る
ってそういうことかな。

37歳の春
憂鬱でしかなかった存在の桜が少しは好きになれそう

負けへんで!!

順番待ちしていた植松さんの本、やっと読める。
こちらもきっと負けへんで!な本なはず。

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