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医師を信じれなくなった。誰を信じる?

僕は生まれつきアレルギー持ちで(アトピー・鼻炎・喘息・食べ物)一ヶ月ぶりに耳鼻科に行ってきた。
一ヶ月前の診察とは全く違う感情が浮かんできた。。

病人に対して社会は不平等だ。
病院に行くためには時間が必要でお金も必要で、行くと気分が沈む。
あんなに負のオーラ満載の場所は他にあるのか?
「アレルギーを治すのに3年の治療はいりますね」と先生。
「お酒も辞めて、お肉も食べるなら鶏肉に。」泣ける。

ただ、産まれて来る時にアレルギーを持ってただけやのに、29年経ってもまだ制限かけるんかい。

似たような事が乙武さんの本に印象深い事が書かれてた。

「手がある」って、こんなにも無限の可能性を秘めてるんだね…。
みんな、こんなにも「選べる」人生を送ってきたんだね…。
(間略)
生れつき四肢欠損だった私は、手足を「失った」という感覚を抱いたことはなかった。ところが、今回、義手をつけてみて、「手足があれば、あれもできた、これもできた」という「機会損失」に目が向いてしまった。
はじめて、自分の手足を「失われたもの」と感じてしまったのだ。

四肢奮迅/乙武洋匡 より

すごく大好きな牛肉や豚肉を今更になって辞めろなんて。
そしたら出会わなかったほうが良かったなって。


僕ら病人は病院に行き先生の言葉を信じるしかない。疑うことはなんの得にもならない。
わかってるのに診察の最中に先生を疑ってしまった。
「本当にこの人の言ってることはあってるんやろうか?」
「安易に信じて良いものなんだろうか?」

先生に聞いた。
「薬では完璧に治らないと思うのですが、治すにはどのような治療があるんでしょうか?」
「減感作治療法というものがあります。これは1年間半毎週両肩に注射します。1年間半終わると、1年間半月に1回注射をする。こういう治療方法がある。」
3年もかかるんかい。すごく長期的な治療やと感じた。29年間治療してきた僕が3年間を長いと感じた。

産業や技術がたくさん発展している中でアレルギー患者の数は増えていく一方。
これは絶対におかしい。わけがわからん、なんちゅう世界や。
僕はここから絶対に目を離さない。
無くさないと。世からアレルギーを。
絶対に必要ない根源。
僕は医者になる気は全くなる気はないから、今の段階で考えられるやり方としてはアレルギー持ってる人間が「アレルギー持ってて良いこともあった」と思ってもらえるような事をすること。

まぁ、愚痴や理想ばっかりお話してても何も変わらへんので、家の掃除や食生活を出来る範囲で変えていく。僕自身でもアレルギーの事を勉強して1番偉いとされている先生に直接会って色々聞いてみたい。
それを発信すること。
今できることはこれなんかな。

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