1950年代アメリカの文学運動から考える1960年代、そして Jim Morrison考

はじめに

 ようこそ、青山学院大学ビートルズ訳詞研究会へ。当団体に興味を持っていただき、ありがとうございます。私たちは1960年代から1990年代のイギリス、アメリカの大衆音楽を中心に活動しています。この記事は新歓用コラムということで、少しでも私たちに興味を持っていただければ嬉しい限りです。この記事を読んで少しでも惹かれるものを感じた方は是非私たちの新歓イベントに来てくださいね。


1950年代アメリカの文学運動から考える1960年代

第一歌

詩句よ、詩人の舌に語る力を下さい、
我々が聴く調べの源流たる10年について
歪でも不恰好でも構わないので明瞭に
「路上」を読み終えたあの秋晴れのように。

対岸に戦火を眺めて 果てしない饗宴の内に
くたびれの子ら 革命のマッチは放られた。
閉幕の舞台へと 去ることのできない劇場へと
煙草は灰と溜め息になることしかできない。

愚鈍な石板 鎖で繋がれたルバイヤート
しけもくが踏み躙られて煙に映るアメリカが消える。
ニューヨークの人混みはただ灰色で
瓶は暴落して、社会は砕けて、通りに取り残されて。

洞窟は暗くて険しい岩肌で でも道が人を選ぶのが世の常で
シャツの柄が奪われていって 闇雲に失ったものを数えて
暗雲の間に光を見ようとして ラジオの声を信じて
進む夜道に酒場の明かりはない。

煙が漂ってきたら西を見ようか。
笑い声が風になって、風が嵐になった。
道化者が嵐に絵画の生を与えた。
誰かが焚き火を焚いて、黒雲が登っていった。

彼の20代は銃声の耳鳴りで目を覚ました。
悲鳴が荒波に乗ってきて ポスターに指を刺されて
「汝、己を知れ。」
夜を横目に彼は黒人街へ逃げ込んだ。ジャズの鳴く方へ。

第一散文

 1960年代の大衆文化(特にアメリカにおけるそれ)を語る際、我々は通時的な視点を失念しがちである。1950年代、この10年は1960年代に対して大きな影響を与えている。特に今回はビートジェネレーションという文学運動に目を向けたい。ビートジェネレーションとは1940年代後半から1950年代の若者文化であり、「ビート」とは「くたびれ」くらいの意味であるとされる。この担い手となったのは1910年代から1920年代に生まれ、第一次世界大戦、狂乱の二十年代、世界恐慌を経験したことになる。そして20代を迎える頃には第二次世界大戦が開戦される。即ち、ビートジェネレーションとは「不遇の世代」である。しかし、この不運の若者たちは凄まじい力で時代に挑戦し、動かした。このコラムではその前史、動向、影響の3点に主眼を当てていきたい。

 まずは改めてビートジェネレーションの前史を大まかに見ていきたい。彼らが生まれたのは第一次世界大戦の影響で前代未聞の好景気で賑わうアメリカであった。当時の文人、Scott Fitzgerald はいみじくもこの時代を「Jazz Age」と呼んだ。この興隆は歪でもあった。例えば当時のアメリカには禁酒法というものが存在した。これは文字通り酒を禁止するものであったが、あまりに現実離れしたものであった。よってマフィアが密造酒で財をなす様になっていた。中でも有名なのがアル・カポネである。当時は若者が粗悪な密造酒に手を出さないために、親が酒を渡していたほどであったという。また、当時の文化人、特に文人は第一次大戦を目の当たりにして世界に幻滅し、ロストジェネレーションと呼ばれていた。しかし1925年の小説「The Great Gatsby」の陰鬱な内容で Fitzgerald はこの狂乱の日々に何かもっと暗いものを予見していたのかも知れない。1929年その暗黒は形を得て、ニューヨークにのしかかることとなった。所謂、世界恐慌である。突如押しかけてきた不況の大波で、アメリカ経済は低迷した。

 この不景気に対応したのがフーヴァー大統領であったが、彼の政策は有効ではなかったとされる。そこでニューディール政策等を打ち出して台頭したのがフランクリン・ルーズヴェルトであった。彼の政策は一定の功を奏した様であった。1941年、ビートジェネレーションの担い手が丁度20代の頃にアメリカは第二次世界大戦に参戦した。この戦争の影響でアメリカ経済は復活し、多くのビートジェネレーションにとってこれが最も鮮明な戦争の記憶となった。


第二歌

倦怠のニューヨークから道は長く広大で
天国モーテルへ ビバップ街へ 遊女の暗がりへ
堕落の通りへ 綿花畑とアップルパイの月へ
終いには亡霊を置きざりに、路上を置き去りにして。

夜の嘆き 窓の嘆き 嘆きの窓 夜
舌を舐める紫煙の様な脅威
I’m With You in Rockland.
男は朝焼けを睨んで若葉の色。

剥き身の旅路 曲線と歪み
官能の誠実な彫刻は不埒の太陽で
逃亡に果ては無く道はうねり続ける。
唐突な超現実の終止符。

「石、葉、扉」 パリの肉感の散歩道
自省録と瞑想修行者のアメリカ的結婚
アリスティッポスの夢を生きて
エピクロスの悟りから仏を垣間見る。

音楽と陶酔と高揚
堕落の内に何かを掴もうとして
年を食って くたびれていって
抗いの内に活力を見出す。

掃き寄せられて 去るか消えるしかない、
くたびれの魔物に食い散らかされた霊魂たち。
ある者は夜、夢の中で裸で吠えて
またある者は路上に燃えて、街で死んでゆく。

第二散文

 次にビートジェネレーションの主な作家・作品と、その功績について見ていこうと思う。また、それに伴って彼らに影響を与えた文人等も言及していこうと思う。今回取り上げるのは3人の作家にしたい。

 まず一人目が Jack Kerouac である。彼は自身の壮大な旅の経験を記した小説「On The Road」でビートジェネレーションの代表的人物となった。何より、「Beat」の語をこの世代に初めて適用したのは彼である。「On The Road」は様々な視野から興味深い点が多いが、ここでは三点を特に取り上げたい。

 一つ目はこの作品に大いに影響を与えた文人 Thomas Wolfe についてである。彼は1930年代の小説家で「Look Homeward, Angel」等で有名であった。あの William Faulkner に「自分たちの時代で最も才能のある人物」と言わせたほどの文豪である。この「Look Homeward, Angel」の作風は自伝的であり、本人の分身である人物に Eugene という名をといった調子で登場人物に新たな名を与えていった。Kerouac の「On The Road」もまた自伝的であり、当初全ての登場人物を実名で書いていた。その執筆方法は恐ろしいもので、Kerouac自身に合計4回に及ぶ旅の記憶が鮮明に残っており、それをタイプライターの用紙を幾つも繋げた巻き物状のものに書き記していったそうだ。因みにこの原本を「スクリプト版」などと呼ぶことが多い。しかし実名では問題があるとした出版社の要請で Kerouac は自身に Sal Paradise の名を与え、登場人物には歴史上の人物・当時の著名人などの名を当てていった。

 二つ目の点は、黒人音楽のジャズに大いに影響を受けた点である。Jack Kerouac はビバップの大ファンであり、彼はビバップの即興性に特に注目をおいた。そして彼は自身の作品にその即興性を適応し、「On The Road」等の小説はもちろんのこと、他にも「Mexico City Blues」という詩集も残している。Kerouac の即興性は特筆すべきものである。「Beat Generation」という標語もそうだが、彼はタイトルに困ったビートジェネレーション仲間の詩や小説に目を通すなり即興でタイトルをつけることができたようで、詩人 Allen Ginsberg の「Howl」も William Burroughs の小説「Naked Lunch」も彼による命名であるという説があるほどである。また、語彙の面でもジャズからの影響は大きい。例えば「hipster」という語などは元々ジャズ界隈(黒人が中心であった)のスラングであるが、Kerouac はこれを小説の中で幾度となく使っている。

 三点目は東洋思想への関心である。これは「On The Road」以降の作品にも顕著であるが、Kerouacは「Dharma(ダルマ)」「Satori(悟り)」などの語を小説のタイトルに使用するなど、東洋思想に大いに興味を持っていた。

 その上で「On The Road」のあらすじを簡単に説明する。これは四部構成の自伝的作編であり、その旅は「新たなる知識人」とも「狂人」とも映る Dean Moriarty を中心とした友人たちとの暴走の連続である。街から街へと車を暴走させたり、ヒッチハイクで移動しては酒と煙草に薬物に手を染めては騒ぎを起こし、その町に居られなくなっては逃げる様に次の街へと行くというものである。しかし第三、四部ではその暴走の日々から脱落するように、「普通の人」になって街に溶け込んでいく仲間と、孤立していくDean を描き、第四部の終わりではついに主人公も街へと滑り込むように路上の日々に終止符を打つ。そして Dean は遂に孤独の内に再び路上へ消えてゆくのであった。全編を通して「意識の流れ」という手法が採用されているが、これは James Joyce からの影響とされる。舞台は1940年代アメリカだが、登場人物は皆決して当時の平均的な若者ではなく、原因が先天的であるにせよ後天的であるにせよ、むしろ社会から脱落したような人間である。しかしこの特殊な視点から見たアメリカの美しさは Kerouac の作品に独特である。

 次に紹介するのは Allen Ginsberg である。彼は「Howl」という詩で著名なビートジェネレーションを代表する詩人である。彼の詩は独特な幻想感と、卓越した語感やリズムが大きな特徴である。彼の詩人としての源流はイギリスロマン主義詩学の鏑矢、William Blake とアメリカ自由詩の父、Walter Whitman であるとされる。またリズムに関しては Kerouac 同様にビバップを意識したものであると語っている。また彼の詩は少なからずフランス象徴主義詩学(「悪の華」で有名なボードレールなど)や超現実主義からの影響もあり、難解である。Carl Solomonへ献じられている体の「Howl」は三部に分かれた構成で、書き出しが特に有名で、最も長いのが第一部、Moloch という存在を叙述する第二部、有名な一節「I’m With You in Rockland」が反復される第三部から成っている。第一部は、「The Best Minds of My Generation(我が世代最善の精神)」から見た当時の時流が主な内容の様である。この視点というのは後にビートジェネレーション作家とされる彼らであり、 Jack Kerouac の 「On The Road」同様、社会から逸脱したものである。第二部では Moloch という語を悍ましい何かの様に繰り返し描写している。これは近現代文明への批判に限りなく近い内容ではないかと思われる。Moloch というのは人身供犠と深い関係を持つ中東の神である。一、二部は比較的おどろおどろしい内容であったが、第三部は打って変わって柔らかな詩句が目立つ。ここでは Carl Solomon に対して「I’m With You In Rockland.(僕は君の側に、ロックランドにいるよ。)」と慰める様にも鼓舞する様にも感じる語感で語りかける。

 もう一人、時代を代表する文人がいる。それが William Burroughs である。彼の代表作は「Naked Lunch」という小説である。これは警察から逃亡するという形でアメリカ中を旅するといった内容である。内容は多分に官能的であり、出版に際しても法的に険しい道を強いられた作品である。彼の作品に類似した点があるものに Henry Miller による小説「Tropic of Cancer」がある。こちらも同様に性的な内容が原因で議論を巻き起こしたものであるが、現在では高い文学的評価を得ている。また、Burroughs は Kerouac, Ginsberg に比してより実験的な側面があり、カットアップなどの手法にも進出した。「Naked Lunch」は話の時系列が複雑で、特にこれといった結末もなく物語が終わる(止まるという表現の方が理解されやすいかもしれない)が、これは Burroughs の意図的なものだという。

 ビートジェネレーションの特徴を読み取ろうと試みるなら、それは古典や前時代の文学に精通しながらも、「我」を主体として1940年代から1950年代のアメリカを繊細に捉えたものとなるだろう。その一例が当時流行した音楽であるジャズからの影響と言える。彼らビートジェネレーションの文人らは1950年代になると多くの若者に受け入れられて、若者たちは感化されるがままに「On The Road」の登場人物の様な奔放で快楽主義的な思想に基づいた生活を謳歌した。


第三歌

革命の子らが残したもの
洞窟に凍えた壁画 放縦の煤に燻って
壁に投げかけられる思想のシルエットに沿って
ハイウェイの蜃気楼 咆哮の幻覚 残り香

路上はインクリボンより広大で
奥行きをフィルムに焼き付けて
ニュアンスを円盤に刻み込んで
ディオニソス的な、あまりにディオニソス的な

鎖を解かれた影たちには
洞窟の外はあまりに眩しい。
White-out Light-out
Run-out Time-out

インドの夏 魂の季節
蛇の囁きに身を委ねる
迷路の内にも 悲観の内にも
何かがあると風が教えてくれた

くたびれの奥深くには力があった
激流の様に溢れて 平和の悪夢へ
平等の幻肢痛へ ブルースの轟く方へ
綿花畑で雨を待ちながら

明日なき夢路 今日なき夜逃げ
Star in my eyes, Jaguar in my car
galactic lore of angelheaded jeepster
明後日のフォークに憧れを傾けて

旅が終わったら町に帰ろう
懐かしい年老いた木の丘へ
心の平静の娘に会いに
ラジオで思い出す昼下がり

エメラルドに映り込む君との日々も
レインコートの中に響くソネットも
余韻の様に、波紋の様に、君の行末も
目の奥に映った気がしたアイルランドの青い栲

第三散文

 ビートジェネレーションが60年代に与えた影響は計り知れない。まずビートジェネレーションの功績には Jack Kerouac などが作り上げた「アメリカの路上」という壮大な情景がある。ここから台頭したのが例えばロードムービーというジャンルの映画である。1960年代では「Bonnie and Clyde(邦題:俺たちに明日はない)」「Easy Rider(邦題:イージーライダー)」のような映画がその良い例である。映画「Easy Rider」に付随して、Steppenwolf の「Born To Be Wild」にあるようなマスキュリニティというのもその発端をビートジェネレーションに見出せるかもしれない。

 我々の名前にもある The Beatles もまた大いにビートジェネレーションの影響下にある。彼らはサイケデリアの世界に魅了され、薬物の影響で様々な実験を行ったが、これを文学の世界でいち早く行っていたのが Allen Ginsberg や William Burroughs である。例としては「Howl」の二部は Ginsberg が薬物の影響で見た幻覚が元になっている。また、彼らは1968年にインドへ行くが、このような東洋思想への傾倒はビートジェネレーションが先駆者である。 Allen Ginsberg は1963年に東洋思想への傾倒の余り、インドを訪れている。

 次に Bob Dylan の様な60年代前半のフォークリヴァイヴァルにも影響を与えたのがビートジェネレーションである。元来ビートジェネレーションが持っていた第二次世界大戦への反動としての反戦主義が継承されたのである。また、白人である Jack Kerouac らがジャズをきっかけとして黒人文化を評価するという点も継承され、Pete Seeger が黒人霊歌「We Shall Overcome」を再発見して公民権運動擁護に利用することに関与した可能性がある。このフォークリヴァイヴァルという運動は1920から1930年代を中心とした黒人音楽の再評価という面があるが、この黒人音楽への眼差しは少なからずビートジェネレーションが下地を作ったと考えられる。この黒人音楽の再評価について少し言及するならば、ここでは黒人を主とする Songster という存在に歌い継がれてきた民謡や宗教歌、労働歌に加えて1920年代以降のブルース、例を挙げるならば Blind Lemon Jefferson など、が再発掘された。また Bob Dylan に関して言うならば、彼の詩の作風は大いに Allen Ginsberg の影響下と言えるだろう。

 これからさらに影響を受けることとなったのが1970年代のロックである。 Bruce Springsteen や Bob Seger といった所謂ハートランドロックはその中でも特に色濃く影響を受けることとなる。またサイケデリックフォークというジャンルから発展した面がある T. Rex や David Bowie のようなグラムロックもその詩はビートジェネレーションの影が落ちている。しかし彼らはあくまで Bob Dylan を経由して影響された者たちだろう。

 ビートジェネレーションの正当な継承者と呼べるのはやはりヒッピー運動であろう。彼らはビートジェネレーションが持つ反戦主義、快楽主義、東洋思想への傾倒、性の解放などの主要な思想を全て継承し、発展させた。ビートジェネレーションを代表する「On The Road」などの本はヒッピーたちにとっても必読書であったため、ビートジェネレーションからの影響も直接的であった。ヒッピー運動はビートジェネレーションに比べ、圧倒的に規模が大きく、その熱狂具合も勝るとも劣らないほどであった。音楽で言えば薬物の影響が音楽にどう影響するかを実験するサイケデリックロックというジャンルは、前述の様にビートジェネレーションが文学で行った実験を基盤としている。

 このヒッピーの熱狂は1969年を境として衰退していく。それを象徴するのが「Take Me Home, Country Roads」だろう。この曲は1970年代カントリーの代表的存在 John Denver による作であり、路上の日々から田舎の故郷への回帰を歌っている。実は同じ物語構成の曲として他にも「Rocky Mountain High」「Sweet Surrender」などがあり、ビートジェネレーションとヒッピー運動の20年間を象徴する情景である路上から、新たな居場所であるカントリーへと移行することを歌っている。これがビートジェネレーションの影響の一つの終幕と言えるだろう。反戦主義や快楽主義、東洋思想への関心はしばしば後代にも見られるが、ヒッピー運動ほどの傾倒を見せることはなかったと言っていいだろう。

 しかし、アイルランドでは英米とは異なった受容史が見られる。アイルランドでは1960年代ヒッピー運動が英米ほど激しくなかった。1960年代前半は「ショーバンド」と呼ばれる形式が流行した。Van Morrison が加入していた Them などはその中でビートジェネレーションの影響を受けており、アイルランドのロックとビートジェネレーションの大きな接点の一つはこの時期だろう。その後、Rory Gallaghar が Taste と言うバンドでブルースロックを初め、Taste 解散後もブルースとブルースロックで名を轟かせた。1960年代末期から1970年代初頭にかけて、Phil Lynottが Skid Row というバンドで活動、その後 Orphanage と言うバンドを結成する。この時期に彼はビートジェネレーションから(Bob Dylan を介して為された可能性もある)影響を受けた様である。そして Orphanage が改名することとなり、Thin Lizzy となる。Thin Lizzy の初期の作品はフォークの影響を多分に受けているが、ビートジェネレーションの影響も見られる。ファーストアルバムでは「Saga of the Ageing Orphan」「Dublin」がそれに当たるだろうが、最も顕著なのはセカンドアルバムの「Shades of a Blue Orphanage」だろう。この曲は Dan という人物との思い出を回想するのが主な内容だが、どこかビートジェネレーション的快楽主義の影が映る。Phil Lynott 自身が優れた詩人であるために既に彼の詩世界色濃いが、ビートジェネレーションはアイルランドのロック音楽を1960年代から1970年代初頭まで下支えすることとなった。

 まとめとしては、ビートジェネレーションは1960年代の若者文化の思想的な側面を主に支えることとなった。また、芸術に対する実験的な姿勢や、黒人音楽への眼差しなど様々な要素を文学の領域で先取りし、60年代での音楽への適用の丈夫な地盤を築いたのがビートジェネレーションであった。

Jim Morrison考

第四歌

草枕の少年は友もなく
ヴェニス・ビーチでムーサと語らった。
ディオニソスと語らった。狂気の処女と語らった。
アメリカの路上と語らった。ロックランドと語らった。

知覚の扉が清められた時
運命が横に座して彼の詩に徴を見た。
ロックバンド 坐禅 ウィスキーバー
Driver, where you taking us?

Panta rhei 解脱
永劫回帰 Heaven
Shamayim  黄泉の国
全ては嘘 終わり それから?

聖別された日々から逃れて
海から、海流から静寂は堕胎して
月夜に行こうよ 月読のドライヴ
ここは聖別されたペルシアの夜 ふわふわの暗がり

さあ踊ろう、愛する君。連れ去ってくれ。
夏の野の姫百合が枯れたらどこに行こうか。
明日、獣の街を逃れた蜥蜴の王が返り咲く。
冬の訪れも、川が囁いてくれる。

Behold the crystal of the wish, of the seafarer, of the sinner
Wild were we dying on the successful hill western-style
In Africa, me and you rider were at the mild equator
Dead and gone, heaven must stop to fall. Now who scares you, my dear?

Keep your eyes on the summer, blood street has come to an end
Keep your eyes on the summer, blood street has come to an end
From afar, ship from India carries the secret of the girl
In Hard Rock Cafe, in tender time, someone tells the story of her boyfriend

嵐を行く私 路上の殺人者 雨の世界に投げ込まれて
でも世界は君に投げ込まれて 車が唸っている
I wanna tell you about Changeling Hobo & Rising Mojo
私の道は嵐、喧騒、詩人  行く先はパリ、隔絶、終わり

彼はルクレティウスか 喧しい椋鳥か
彼は生と死の白黒写真か 困憊と眠りの仮面か
詩句よ後少しの間だけ照らしてください
彼が日と夜の間に立つ、明瞭な結語まで

第四散文

 ビートジェネレーションから影響を受けた膨大な数の文化人(英米ともに当時の文化人に例外はいないと言って差し支えないだろう。)の中でも特に注目したい人物がいる。それはアメリカの伝説的ロックバンド The Doors のヴォーカルであり、作詞家でもあり、個人では詩人として活動もした人物James Douglas Morrison、 Jim Morrison である。彼の特殊さは単にビートジェネレーションから影響された人物ではないということだ。ビートジェネレーションから影響を受けた多くは彼らを古典として扱い、それ以前の古典にはビートジェネレーションを通して間接的に触れていることが少なくない。しかし Jim Morrison において顕著なのは、彼がビートジェネレーションの源流である種々の文学や哲学に直接学び、その上でビートジェネレーションにも触れていることである。特に彼はニーチェ、ハイデガー等の実存主義哲学、ランボーやボードレールで有名なフランス象徴主義詩学、ロマン主義詩学に明るい。その上で作風は多分に Allen Ginsberg からも影響を受けており、ハイウェイなどの「On The Road」を彷彿とさせる情景も多用している。

 まずは The Doors の楽曲の歌詞を見ていこうと思う。まず取り上げたいのが「The Crystal Ship」だ。

「The Crystal Ship」
Before you slip into unconsciousness
I’d like to have another kiss
Another flashing chance at bliss
Another kiss, another kiss

The days are bright and filled with pain
Enclose me in your gentle rain
The time you ran was too insane
We’ll meet again, we’ll meet again

Oh, tell me where your freedom lies
The streets are fields that never die
Deliver me from reasons why
You’d rather cry, I’d rather fly

The Crystal Ship is being filled
A thousand girls, a thousand thrills
A million ways to spend your time
When we get back, I’ll drop a line

「Crystal Ship」The Doors

この曲は前半が恋愛歌であるが、後半は幻想的な詩となっており、最終連で「水晶の船」の到来と共に、恋愛歌の世界観と幻想詩の世界観の接続を行う。俯瞰すると脚韻が整っており、恋愛歌の要素を幻想詩の要素から切り離すのが困難なほど巧妙な構造をしている。細部に目を凝らすと、「日々は明るく、痛みで満ちている」の様な実存主義哲学からの発想と思しき美しい表現や、ニュアンスで表現を行う象徴主義らしい詩句、「水晶の船」の描写にあるようにビートジェネレーション的な快楽主義が垣間見える箇所もある。
次に目を向けたいのが「The End」である。歌詞を分解して見ていきたい。

「The End」
This is the end, beautiful friend
This is the end, my only friend, the end
Of our elaborate plans, the end
Of everything that stands, the end
No safety or surprise, the end
I’ll never look into your eyes again
Can you picture what will be so limitless and free
Desperately in need of some stranger’s hand
In a desperate land

「The End」The Doors

 ここで為されているのは Allen Ginsberg 「Howl」の二部における Moloch の描写に近いものである。詩人は「終わり」という一般的にも哲学的にも普遍の問題に対し、慎重に言葉の輪郭を与えている。そして言葉の光を当てることで現れる「終わり」が持つ不可知性、エピクロスの死生観にもあるそれ、を大いなる影として明らかにしている。そのシルエットは人間が未知のものに感ずる恐怖、何よりも死への恐怖を掻き立てるものである。

Lost in a Roman wilderness of pain
And all the children are insane
All the children are insane
Waiting for the summer rain, yeah

「The End」The Doors

 ここで Jim Morrison はヒッピー文化を風刺するかの様な内容を織り込んでいる。「狂気の子らが痛みの原で迷子になる」様は、否定的な視点に映るヒッピーたちそのものであり、「夏の雨を待っている」という表現がこの風刺の対象をより鮮明にしている。というのも当時ヒッピー運動は Summer of Love という別名も冠していたのだ。ビートジェネレーションから継承されて肥大化したヒッピーの非現実的な思想というのはある意味で、時代の狂気であり、次第にヒッピーたちの思想は「迷子」になっていくというのも事実に即している。

There’s danger on the edge of town
Ride the king’s highway, baby
Weird scenes inside the gold mine
Ride the highway West, baby
Ride the snake
Ride the snake
To the lake
The ancient lake, baby
The West is the best
The West is the best
Get here and we’ll do the rest
The blue bus is calling us
The blue bus is calling us
Driver, where you taking us?

「The End」The Doors

 ここで詩人は路上に立つのだ。これは Jack Kerouac が旅したのと同じハイウェイであるのと同時に、「蛇」という謎めいた象徴でもある。またここで「西が最も善い。」という、西洋文明への言及とも、アメリカ西海岸への言及(ヒッピー文化の中心地)とも取れる詩句がアフォリズム的な役割を果たしている。Jim Morrison の詩の特徴として、やはり意図的な不明瞭さがあると思う。これは一見短所だが、彼はそれを巧みに駆使して上手く彼独自の作風と呼べるまでの完成度に達している。蓋し Allen Ginsberg も類似の不明瞭さがあるが、それは Whitman の自由詩、象徴主義詩学、超現実主義から生じた産物であり、それを Allen Ginsberg から学んだのが Jim Morrison ではないだろうか。

The killer awoke before dawn
He put his boots on
He took a face from the ancient gallery
He walked on down the hallway, baby
He went into the room where his sisters lived and
Then he paid a visit to his brother and then he
He walked on down the hall
And he came to a door
And he looked inside
Father? / Yes, son?
I want to kill you.
Mother,
I want to……

「The End」 The Doors

 ここが「The End」を最も象徴する箇所ではないだろうか。ここでは古代ギリシア悲劇のオイディプス王を彷彿とさせる一幕が展開される。フロイトのエディプス・コンプレックスを話題に上げる者もいるがそこまでに限定するのは難しいだろう。これは寧ろ Jim Morrison 自身の家族関係と深い関係があるだろう。Jim Morrison の父親は George Morrison と言い、アメリカ軍の高官であった。1960年代後半においてそれはヴェトナム戦争への関与を意味する。若者文化、もっと言えば1950年代の知識人たるビートジェネレーションが持ち、ヒッピーに継承された反戦主義の敵であった。そして Jim Morrison と The Doors はそのヒッピー文化の最先端にいた。ここから鑑みるに Jim Morrison の父親への愛着の葛藤には凄まじいものがあっただろう。それがこの上なく鮮明に表れたのがこの箇所であると思う。殆どのヒッピーがビートジェネレーションから受け継いだ反戦主義に染まる中、Jim Morrison は自分の父親を起点としてヴェトナム戦争などを受け止めていた可能性が高い。彼が前述の様にヒッピー運動に冷たい視線を当てているのはここが原因ではないだろうか。

This is the end, beautiful friend
This is the end, my only friend, the end
It hurts to set you free
But you never follow me
The end of laughter and soft lies
The end of nights we tried to die
This is the end

「The End」The Doors

 「The End」は終幕に二つの要素が登場する。一つは別れ、恐らく恋愛的な意味での終わり、そしてもう一つはヒッピー運動という時流と、世界への失望という終わりである。そして最後の最後に初めて「死のうとした夜々の終わり」という形で、ある種歪な形の、完全でない形態の「死」を登壇させる。そして遂に「これで終わりだ。」という宣言と共に曲は終焉を迎える。議論の余地はあれど、これは Jim Morrison の詩で最高傑作の一つと言えるだろう。

 私は Jim Morrison は Allen Ginsberg に比べてロマン主義、象徴主義の色が幾分か強い様に思う。その分 Ginsberg はより実験的ではないだろうか。実際に比較してみようと思う。

The Universe, one line, is a
long snake, & we each are
facets on its jeweled skin.
It moves inexorably, slowly
winding peristaltic intestinal
phallic orgasmic ass-wriggling
slow. Fuck shit piss kill.
The skin of the dead beast
shivers in hair-raising waves
of love. Die brute. Claim
your world. Join the snake
on its slow journey.

The eye of the pilot plane
screams mute cloudily,
the head jet
sensing the city. Streak
to the stars

But old snake mover & god
rolls slow in its progress
around to the end. If he
bites his own tail the earth will
be born.

「The Universe」Jim Morrison

The weight of the world
is love.
Under the burden
of solitude,
under the burde
of dissatisfaction

the weight,
the weight we carry
is love.

Who can deny?
In dreams
it touches
the body,
in thought
constructs
a miracle,
in imagination
anguishes
till born
in human—

Looks out of the heart
burning with purity—
for the burden of life
is love,

but we carry the weight
wearily,
and so must rest
in the arms of love
at last,
must rest in the arms
of love.

「Song」Allen Ginsberg

 前者たる Jim Morrison の詩は「蛇」を一つの壮大な象徴としており、死や性に関心が寄りがちな彼独特の幻想的世界観が展開されている。また、哲学に造詣が深い彼らしい点として作風が些か哲学詩、特にニーチェのそれ、に近い。それに比してより実験的に映るのが後者、Allen Ginsberg である。この詩は無駄のない、つつましい作風だが、哲学詩的難解さではなく、実験的難解さがある様に思われる。大まかに比較してしまえば、前者は世界に「蛇」という象徴を与えて、もしくは「世界は蛇である。」という思想に基づいた詩であるのに対して、後者は「The weight of the world is love.」というアフォリズムをそこから想起されたもので膨らませていくような詩である。

Do you know the warm progress
under the stars?
Do you know we exist?
Have you forgotten the keys
to the kingdom?
Have you been borne yet
& are you alive?

Let’s reinvent the gods, all the myths
of the ages
Celebrate symbols from deep elder forests
[Have you forgotten the lessons
of the ancient war]

We need great golden copulations

The fathers are cackling in trees of the forest
Our mother is dead in the sea

Do you know we are being led to
slaughters by placid admirals
& that fat slow generals are getting
obscene on young blood

Do you know we are ruled by T.V.
The moon is a dry blood beast
Guerrilla bands are rolling numbers
in the next block of green vine
amassing for warfare on innocent herdsmen
who are just dying

O great creator of being
grant us one more hour to
perform our art
& perfect our lives

The moths & atheists are doubly divine
& dying
We live, we die
& death not ends it
Journey we more into the
Nightmare

Cling to life
our passion’d flower
Cling to cunts and cocks
of despair
We got our final vision
by clap
Columbus’ growing got
filled w/ green death

(I touched her thigh
& death smiled)

「An American Prayer」Jim Morrison

I saw the best minds of my generation destroyed by madness, starving hysterical naked,
dragging themselves through the negro streets at dawn looking for an angry fix,
angelheaded hipsters burning for the ancient heavenly connection to the starry dynamo in the machinery of night,
who poverty and tatters and hollow-eyed and high sat up smoking in the supernatural darkness of cold-water flats floating across the tops of cities contemplating jazz,
who bared their brains to Heaven under the El and saw Mohammedan angels staggering on tenement roofs illuminated,
who passed through universities with radiant cool eyes hallucinating Arkansas and Blake-light tragedy among the scholars of war,

「Howl」Allen Ginsberg

 両者ともに難解ではあるが、それは象徴主義詩学からの影響が一因であろう。象徴主義はニュアンスで伝えようとする節がある為、ここに書いてある言葉そのものの意味だけでなく、各詩句のニュアンスを以てして理解されるという仕組みである。よって詩句はある意味で突拍子もないし、容易く理解できるものではない。ここで比較したいのは第一に情景である。前者、「An American Prayer」は「死」と「性」に執着しつつも、幻想的な情景を展開している。それに比べて、Ginsberg の詩は陰鬱である。この二つの詩はどちらもアメリカが抱える問題を告発する様な内容である。それなのにここまで情景に違いが生じるのはやはり「くたびれ」の世代と、Jim Morrison の思想の違いにあるのではないかと思う。

 ビートジェネレーションは世界に対してくたびれた姿勢の世代であり、そこには前提としてある種の悲観主義があるのだと思う。第一次世界大戦の際も、文人らはロストジェネレーションと呼ばれる様に世界に失望した。これの第二次世界大戦の場合がビートジェネレーションである。どちらの世代も不遇の世代であり、既存の価値と道徳を失い、社会の中で迷子の状態の存在なのだ。しかしロストジェネレーションとビートジェネレーションの決定的な差異は、ビートジェネレーションが放蕩の内に「何か」を見た事だろう。Jack Kerouac は酒、薬、女に溺れる Dean Moriarty の内に「新時代の聖者」だとか「新たな知識人」の影を見たし、Allen Ginsberg は「Howl」の三部ではくたびれた世代に肯定的であると思われる。これにさらに明確なシルエットを与えようとした試みこそが、東洋思想への傾倒だろう。

 しかし Jim Morrison はその点ではかなり西洋的であった様に思われる。ニーチェ哲学にある様に彼は死に一定の興味は持ちつつも、生への大いなる肯定を詩句のうちに刻んでいる。ニーチェ哲学から考えれば、ロストジェネレーションや、ビートジェネレーションは一種の虚無主義であり、道半ばである。ツァラトゥストラは既存の価値や道徳の崩壊の後に、自らで価値や道徳を築くことを説いている。この生への姿勢が Jim Morrison と Allen Ginsberg の作風に大きな差異をもたらしているのではないだろうか。大胆にこの Jim Morrison 再考を帰結させるならば即ち、ビートジェネレーションは西洋文学的でありながらも、くたびれの内に解脱の様なものを感じ取った仏教的な作風であり、Jim Morrison はそれに比して価値や道徳の崩壊の後の超人的な世界観を展開するニーチェ的な作風である。

終わりに

 本論を記すに当たって大いに影響されたのは、構成の面ではボエティウスの「哲学のなぐさめ」である。詩に関しては私は古代人を参考にしたが、彼らほどの傑作を書くことはできなかった様に感じる。一応記しておくならばボエティウスの哲学詩、ウェルギリウスの叙事詩を少し参考にした。しかし最も大きな影響は私が敬愛する詩人 Jim Morrison, Marc Bolan, John Denver, Phil Lynott であろう。

 ビートルズ訳詞研究会は現在、音楽活動が七割、訳詞活動が三割程度の団体であるが、今年度よりこの note というサイトの運営などをはじめとして、文学的活動にも力を入れていくことになるだろう。私は個人的にこの団体は、憧れを追うのに最適のサークルであると考える。というのも私も最初は音楽に限定された団体だと思っていたが、色々なメンバーと交流していくと、詩を嗜む人もいたりと、創造活動に耽る仲間が多く見つかる。我々はビートルズの名の下に集っているわけだが、実際は多様な趣味を持った人が雑多に集まっている。もし昨今クラシックロックと総称される音楽に興味が少しでもあるなら、一度新歓イベントなり部室を訪れていただければ幸いであると思う次第である。




筆者情報
ニックネーム兼ペンネーム:教授
好きな音楽:
・The Doors, T Rex, The Who, Thin Lizzy, The Byrds, Grand Funk Railroad, John Denver, Roy Orbison, Ramones, Creedence Clearwater Revival, Eagles, Small Faces, Manfred Mann, Huey Lewis and The News, Guns 'N' Roses, 憂歌団, The Street Sliders その他1960年代から1980年代を中心としたロック

・1920年代から1930年代のブルース(特にBlind Lemon Jefferson, Blind Blake, Barbecue Bob, Blind Boy Fuller, Blind Willie Mctell, Charley Patton, Leroy Carr, Tampa Red) 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?