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「字義どおり」について、本気で考えてみた

今日はなんでだか、いつもみたいなタイトルがつけられなかったのでド直球になった。

「字義どおり」について、本気出して考えてみようと思います。

きっかけ

今日アルバイトが終わって、なんとはなしにTwitterを見ていたら、あるツイートを目にしました。
『自分になんでも聞いてね』と綺麗な方の自撮り画像とともにツイートされたものに、専門的な画像や質問が送られている、というのをスクショでまとめたものです。(ツイートの引用の仕方がわからないので引用はしませんが)

これに対して「おもしろい」という意見や「これでなかなか的を射ている」といったリプがついていたのを見て、自分は率直に理解ができませんでした。
だって、「何でも聞いて」と言っていたのに それがネタになっているなんて不思議だと思ったからです。

そのあと、リプライをどんどん読んでいくと、「このツイートの面白さ」を開設している方がいて、どうやらこの「なんでも」というのはツイートした人の職業に関連して、(AVの女優さんだそうで)ということだったようで、「研磨剤について」とかそういった質問は意図するところではなかったのだ、ということでした。

このツイートを見ながら、「言葉通り」って難しいよなということを改めて思ったので、今日のnoteはこれを考えよう、と思って今に至ります。

「字義通り」には2方向あると思うので、それぞれについて思いつくままに書いてみようと思います。

「字義通り」に受け取ること

大学に入ってから、「いつでも」「なんでも」は「いつでもよくない」し「なんでもよくない」ということをなんとなく学びました。
というのも、自分が当時お世話になっていた団体で「いつでも」を「いつでもいい」と思って相手を困らせてしまったことがあったからです。
これと全く時を同じくして、同級生の仕事を奪ってしまいかけるということもありました。「○○苦手なんだ」と言っていたのを 本当に苦手なんだと思い、苦手ならかわりにやったら役にたてるんじゃない?と思ったからです。これも、相手を困惑させてしまうだけになってしまいました。

「いつでも聞いて」と先輩に言っていただいた自分は、本当に時間のことを考えずに「いつでも」と質問や相談を持ち掛けてしまいました。
今となってはもう知ったので同じことはしませんが、「いつでもいいって先輩が言ってくださったんだもん」とか思っていました。

また、同級生の仕事についtも「苦手なんだ」と言っていたのでさぞかしつらいのだろうと(勝手に)思い込んで「なら自分がやろう」と思ってしまったのです。別に手伝ってとも何ともいわれていないのに、です。結局「苦手だ」発言の真意は正直未だに分からないままになってしまっているし、蒸し返さない方が良いという話をされたこともあって、「手伝ってといわれてないことを手伝ってはいけない」という理解になったのですが、それもまた別の団体で活動する中でわからなくなっています。

そのあと、別の先輩とお話をしたり聞いていただいたりする中でいくつか分かったことがあります。
まず、「字義通りに受け取ってはいけない言葉があるということ」 それから、「相手の意図は必ずしも言葉にされないということ」。

「いつでもいい」は きっと「ある程度時間帯や頻度、重要性を鑑みた上で『あくまでも社交辞令として』」いつでもいいということ。
「なんでも」の意味は現時点でまだ正解にはたどり着けてないような気がしますが、「いつでも」と同じような意味なのだろう、と思います。

このところニュースの信ぴょう性なども話題になることが増えましたが、「字義通り」に受け取っていい言葉って無いんだなあ、ということをよく感じるようになりました。


「字義通り」に話すこと

「じゃあ自分はどうだっただろう」と思ったとき、地区のスポーツクラブで体験したことのあることを思い出しました。

自分も「いつでも相談してね」「何でも言っていいよ」と相手に伝えていた時期があったんです。(今も全くないわけではないけれど)

この言葉を発した自分としては、心の底から「いつでも」よかったし、「なんでも」聞くつもりでいました。最後までそうでした。

スポーツクラブでいっしょになった友だちは、クラブ内で軽いいじめのような目にあっていて、始めその話が多かったように思います。
ただあるときから、いじめの対象は自分へと変わっていたようなのです。「ようだ」というのは自分はあまり同級生と話す方ではなく、その子からの話の内容も「何でも言って」と言っていたから心配する以上には気にしておらず、たまたまお昼にコーチが自分とそのことが話しているのを見て「それはいけないだろう!」というお説教をしたところ「じつはチーム内でいじめていた」ということが明らかになったのですが……。

でも確かに、「いじめだ」ということを言われてしまうと 相談ではなくなってきているということは思い当たるところもあって、「まあなんでも聞くって言ったしサンドバックにでもしてくれればいいや」とか思っていたのですが、傍から見た大人はそれを良しとしなかった。

「字義通り」に話すというのはいまだに正解も不正解も分かっていないのですが、この時のは何か良くなかったんだろうなあ、と思います。


まとめ(にはなっていない)

過去にやらかしたことを思い出しながらいろいろと考えている中で、心の底から、思うことがあります。

「字義通り」じゃないことがある、ってあと15年早く知っていたかった!!!

義務教育開始前からこれがわかっていれば、もっとトラブルなく生きて来れたんじゃないの という思いでいっぱいです。しかもいまだにわかってないこともあるし それを見つけて来られたんじゃないの、ってすら思います。最近になって「疑ってみる」とかも覚えたけど、大学進学したてのときから最近まで駅前でお金騙されそうになることとかあるし、ほんとに我ながらアホなのかなって思います。

だからきっと、これからも時々 よりおおめの頻度でやらかすのだろう、と思います。 本気出して考えてみたけれど、やっぱり難しいです。

「字義通り」って、結構な強敵だと思います。

あれの攻略方法は一体なんなのでしょうか?

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