ろくでもない父親の話 その1


うちの親父はわりとろくでもない。

酒にもタバコにも溺れてるし、粗暴な振る舞いも多く、短気だ。

多方面においてルーズだし、自重というものを知らない。

ただろくでもないならそれで終わる話だけど、勤勉で博識で、人見知り揃いのうちの家族の中では群を抜いて他の人間とのコミュニーケーションに臆することを知らないから始末に負えない。

身内からすれば恥ずかしいような振る舞いも、外から見れば魅力的だと感じることもあるらしく、周囲の人間が賞賛してしまうもんだから、元より十二分に自信家な親父をさらに調子に乗せてしまう。

いわゆる愛すべきろくでなしってやつだ。

これだけろくでなしと父親をこき下ろす自分でさえ、たまに会った時に親父の話に夢中で聞き入ってたりするんだから、正直父親の人間力が妬ましい。

若い時は学生運動に参加して社会に中指を突き立てる青春を謳歌、卒業後は国鉄に就職してその後に詩の教室で出会った母に惚れた親父は、人一倍色恋沙汰に鈍感な母を振り向かせるために毎日ラブレターを書いたらしい、時代もあるんだろうが、そんなアグレッシブなDNAが俺に継承されているなんて俄かに信じ難い。

俺にもそんな行動力があったら違ったのかなとかしばしば思う。

でもまあそんな攻めの姿勢の甲斐もあって、母のハートを射止めた父は、めでたく27の時に結婚、しかし、その後間もなく鉄道の民営化に伴い、国鉄に解体の危機が訪れる。

その折は、親父が失業の危機ってことで、母も色々なところに出向いて頭を下げてまわって民営化反対の署名を集めたらしい、職員が賃上げを訴えるストライキで、大幅な遅延や運休を繰り返していた国鉄の国民からの評判は最悪だったらしく、母親も周囲からはかなり手厳しい言葉を浴びせられたそうだ。

その中でも、前の職場に署名をお願いしに行った際に、とてもお世話になって、可愛がってくれていた上司が、危篤の親の下に向かう道中で国鉄のストによる運休にあい、親の死に目に立ち会うことができなかったことで、国鉄を恨んでいて、頑として署名には応じてくれなかったって話を聞かされた時は、当時を知らない自分も何とも言えない気持ちになった。

結局母の署名運動の甲斐もなく、鉄道は民営化となり、国鉄を追われた親父が選んだのは、再就職ではなくて、まさかの自営業、しかも古物商という未知なる世界だった。

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