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何をするかよりも、何をしないか

東京に住んでいると、なんだかいつも忙しい。常に何かをしなければいけない気がしていて、やっと休めたと思って何もしないでいれば、周りはこんなに頑張っているのに、自分は何もしていないという罪悪感で胃が痛くなる。
ほっとできる瞬間って、なぜだか少ない。時間に速いもゆっくりもないはずなのに、毎日はあっという間だ。

ちょっと外に出れば、早足で今日も誰かが歩いているもんだから、自分はこんなにゆっくり歩いていていいのだろうかと、今日を生きる自分の人生に自信がなくなる。一度立ち止まってしまえば、世界の流れに置いていかれる気がするから、どんなに足が痛くても前に進むことだけはやめられない。
今向かっている先が前であることさえ分からないのに、進まなければいけないのだ。

気づけばわたしも、もう24歳。いや、正確に言えば、早生まれだから今年で25歳。四捨五入なんてしたら、30歳。
もう少し、カッコいいアラサーになっているはずだったんだけど。何もかもを手にしていて、ちょっと余裕なカッコいいアラサー。婚約者もいて、お金もそこそこあって、キラキラしているはずの、そんな。
今のわたしは、あの頃想像していたものの真逆で、いつも余裕がなくて、今この時を生きるのに精一杯。かっこいいって言えるんだろうか。あの頃のわたしが今のわたしをみたら、どう思うんだろう。

この歳になってくると、歩む人生ももっとバラバラになってきて、結婚や仕事のことで悩むことが増えた。同い年で結婚している人いるし、もう子供がいる友達までいる。Facebookを開けばウェディングドレスが飛び込んでくるし、インスタではおしゃれな育児の写真が目に入る。
自分は自分で生きていこうと思ってはいるはずなのに、無意識に人と比べている。比べずにはいられない。正解や平均というものは、周りを見ないとわからない。
正直、焦る。焦るという行為だけで、なんだか疲れた。

結婚しなきゃ。きっと、いつまでも独身でいたら、わたしに問題があると思われて、乗り遅れて、寂しい女とみられてしまうかもしれない。
恋愛しなきゃ。今遊んどけよって、かなりいわれる。アラサーになって男性と遊んだことがないなんて、馬鹿にされるからなって、馬鹿にされる。
昇進しなきゃ。もっと評価されるように、仕事を頑張らないと。1人で生きていけるくらいの力を得ないと。

あれもこれも、全部やらなきゃ。
追い詰められるほどではないけれど、確実に体力を使うほどには、こんな風にいろんなものに巻きつかれている気がしてならない。
世間の目というのは、気にしないふりはできても、どうしても気にしてしまうものなのだと、痛ましくもそう気づいてしまった。
しなきゃ、やらなきゃ。でももう何かをするのもちょっとしんどくて、どれが幸せへの道なのかもわからないのに、選択肢を拾って広げていくのはちょっともう嫌なのだ。

そんな感じであれよあれよと思考の渦に巻き込まれたときに、ふと思った。

やらなきゃいけないことってあるけど、やらなくてもいいことってなんだろう。

これもあれもと思っていたところで。あれ、ちょっとまてよ。

話は変わるのだが、そう言えば最近のわたしはというと、人間関係を断捨離して本当に好きな人とだけいるようになった。
わたしにとっての人間関係の断捨離とは、故意に縁を断ち切ろうとするのではなく、なんとなくいやだなと思う人には自分から近づかず、今の自分には不必要な縁だと思ったら、そっと離れてみることだ。
行きたくない飲み会には行かない。突然の誘いに気が乗らなかったら行かない。連絡が来ても、自分が傷つくとわかっていたらかわす。

これって全部、「しない」ってことだけなのだ。
故意的にどうにかしようとするわけではなく、ただ「しない」。そうやって手にしないことで、自然といらなかったものを手放せたのだと、ふと思った。
なんか、意外と簡単だった。難しくしていたのは、わたしがどうにかしようとしていたからなのだ。

そう、断捨離のように。
何かをしようとすることよりも、何をしないでいられるかを考えるのも大事なのだと、突然気づいてしまったので、今夜こんな風に書いてしまったわけだ。
とにもかくにも、いろんなことを急かされて息がつまるこの毎日。
いかにして「しない」を意識できるかが、自分らしくいれる一番の術なのかもしれないと思ったのです。
バイキングみたいに、目の前にたくさんの選択肢があったとして、どれを食べるかは自分次第。
でも、不必要な選択をしないことこそ、自分にぴったりのものが選べるのだろう。

愚痴を言わない、無理をしない、頑張らない、欲張らない。
ただ流れに沿って、正直に生きていれば、もしかしたら前に進めるのかもしれない。
焦っていらついて、がむしゃらに色々なことをするのも1つの手だとは思うけれど。
捨てていくことで残ったものが、本当に大切なものだったりもするのである。そこにきっと譲れないものがあるように。

捨てて捨てて、身軽になって、人間関係にあんなに悩んでいたわたしだったけれど、なんだか最近毎日が平和だ。
フットワークは軽く、でも気乗りのしない誘いには乗らず。
プライベートでは好きな人とだけいるようにしていたら、仕事も似たような雰囲気をまとった人と出会うようになってきた。
巡り巡って、自分の必要なものが流れてくるようになっているのだなと思ったのは。
断捨離をした末に、埋もれていた恋を見つけたからかもしれない。まだまだ人生捨てたもんじゃないな、なんて。

「しない」という選択が、本当の意味で自分を大人にするのかも。大人の余裕とは、いかにして選択をしていくかによるのだろう。
肩の力を抜いて、上手に選択できるようになりたいなと、新作のプリンアラモードのフラペチーノをすすりながら綴る木曜日の夜です。

#エッセイ #人生

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