いじめを受けて思うこと

9月1日は、一年の中で一番自殺する子供が多い日らしい。

長い夏休みが終わり、溜まっていた宿題をやっとこさ片付けて、新しい新学期を迎える今日。
いじめを受けている子供たちが、静かに此の世を去る日と言われている。

いじめというワードを聞くと、いつも口の中が苦くなる。
なんともいえない嫌な感じ、掘り起こされたくない昔の記憶が唐突にふつふつと湧き上がる。
思い出したくない、でもふとしたときに頭の中で再生されるあの日常。
多分ずっと消えない。
多分ずっと忘れられない。
トラウマとは少し違う、生ぬるくていやなあの日々。

小さい頃から、ずっと疑問に思っていることがある。
「なんで人って群れたがるんだろう」
トイレに行くのも、ご飯を食べるのも、映画を見るのも、なにをするのにも人は一人を避けたがる。
これはもう幼稚園の頃から思っていたことで、いまもずっと変わらない。
そんなわたしの幼少期といえば、一人で地味に遊ぶ日々の繰り返しだった。
友達がいなかったとか、仲間外れにされていたとか、決してそういうことじゃなくて。
お絵かきとか、砂場とか、積み木とか、
とにかく一人で遊ぶのが好きだった。
幼稚園の頃、砂場でピサの斜塔を作ったけど誰にも理解されなかった、まあそれは当たり前。
そんな中、わたしが夢中になったのは、絵本だった。
絵があって、文字があって、オチがある。
その構造が面白くて夢中になった。
幼稚園の本を片っ端だから読んだけど足りなくて、(当時福島に住んでいたから)福島のやけに広い図書館をうろつくのが日課だった。
そんな感じだったから、あんまり特定の友達はいなくて。
でもそれが苦しいなんて思ったことなかった。

小学校に上がって物心がつくとそうはいかないものでして。
多分誰もが感じたことがあると思う、あの女子特有の「グループ」に飲み込まれた。
カースト制度だかなんだかわからないけれど、目に見える感じでグループが分割されていった。
派手め、普通、地味。大雑把にこんな感じ、それがいくつかある感じ。
なんなんだこれはと思いながらも、どこかに所属していないと面倒そうだなって思って、派手めな女の子と一緒にいた。
しかし、これがよ。
笑い声は大きいし、人のことを笑い者にするし、
なんだかもうあとはご想像におまかせします、そんなグループだった。
小学校のころはそれでよかった、ていうか深く考えてなかった。あんまり喋る方じゃなかったし、絵とか本とかそういうものに惹かれてて、人に興味なかった。

中学に上がって気づく。
「群れるの疲れる」
人のこと笑い者にして楽しいと思ったことは一度もないし、トイレについていかなきゃいけない意味もわからないし、なぜ騒がなきゃいけないのか疑問に思った。
中学にあがると、いろいろな小学校から人が集まってくるから、今まで出会わなかったような友達がたくさんできた。
気の会う友達もできた。
一緒にいたい人とだけいよう、そう思った。

だけど、それがいじめの皮切りだった。

今思えばわたしも露骨だった。もっとうまくグループから離れればよかったって思う。
人に興味がなさすぎて、どう接していいかわからなかったという言い訳は置いといて、わたしは距離の取り方がめちゃくちゃ下手だった。
そして始まる、ねちっこい陰湿ないじめ。
交換ノートはわたしのページだけ落書きがされ、バレーボールで失敗すると嫌味を言われ、えんやこら。
しまいには、小学校五年生の頃から好きだった男の子に「あんなブス好きになるわけねえだろ」といわれる始末。これはちょっと笑える。
テストでいい点数を取ると先生が発表してくれたりしたじゃないですか、あれは本当に地獄。
目立つといじめられる。
だからあんまり勉強しなくなった。
テストでいい点を取ると目立つ。頭がいいとそれはそれで目立つ。ばかすぎるとそれもそれで目立つ。
誰かを好きになると噂が広がってからかわれる。
髪を切ると笑われる。
ちょっと言い返すと100で返ってくる。
歩いてるだけでブスだと笑われる。

女子は嫌い、男子はもっと嫌い、だけど大人はもっと嫌いだった。
だってあの先生たち、気づいていたでしょう。気付いていて放置したでしょう。
感覚が麻痺して、一度だけお母さんに言ってはいけないことを言ったことがある。
「なんでわたしをこんな顔で産んだの」
泣いた母の顔を見たあの日ほど、もう死んでしまいたいと思ったことはない。

このいじめ劇、すごいオチがありまして。
中学三年生の頃、卒業間際に弁論大会があったんです。
お題は自由で、各自作文を書いて発表するってやつ。
クラスで代表に選ばれると学年全員の前で読めるって流れだった。
わたしは作文に、3年間されたこと全部書いて全クラスの前で読んだ。
嫌だったこと、苦しかったこと、見るもの全て真っ黒に見えたこと。
それはもう見事に。
スカッとジャパンって多分こんな感じ。
この作文を書こうとしたのには理由があって。
中学になって出会った友達がいた。部活が一緒で、お家も近くて一気に仲良くなった。
だけど皮肉なことに一度もクラスは一緒にならなかった。だからわたしが嫌なことされてることは、あの子は気付いていなかった。
卒業間際にうちあけてみた、わたしがされてきたこと、本当は嫌だったこと。
そしたらその子、号泣した。
わたしでもそんなに泣かないよってくらい泣いた。
今までのわたしのぶんまで泣いてくれた。
自分のために誰かが泣いている、その姿を見て動こうって思った。

教壇の上から見下ろした奴らの顔は今でも覚えている。あの血の気の引いた顔。そして同情、泣き顔、哀れみ。そのどれもがわたしに向けられたものかと思うと、ゾクってした。
ちょうどわたしの発表を校長先生が聞いていて
潤んだ瞳の彼にこういわれたのを覚えている。
「君はもう、大丈夫だね」

何が大丈夫なのか、未だによくわからない。

全然大丈夫じゃない、大丈夫じゃなかった。
悔しくて負けたくなくて、見えない何かと戦っていた。
毎日死にそうになりながら学校に行った、インフルエンザと感染性の風邪以外で学校は休まなかった。
休んだら負けだって思った、逃げたくなかった。死のうと思ったことだってある、消えてなくなれば何も悩まないのにって、そう思った。

だけどあの日、あの放課後、あの子がわたしのために泣いてくれたから、わたしは生きている。
生きて、いまこうして何かを伝えられる仕事をしている。
文字を信じているから、口で言えないことも文章におとしこめば変わるってことがわかったから、今の仕事をしようって決めた。
活字の可能性を最果てまで信じている。

これは主観だけれど、
おとなになっても大して人は変わらないと思う。
いじめをしてきた人は無意識に人に攻撃をするし、された人は重たいものを背負い続ける。
見てるだけだった人は罪悪感を持ち続ける、気づかなかった人は本当に気づけない。
でも、それでも、お願いだからわかってほしい。
自分の言葉が、自分の行動が、全く違う人生を歩んでいく誰かを傷つけるかもしれないということ。
人は簡単に死ぬし、簡単に壊れるということ。
こんなことを言っているわたしも、今までたくさん人を傷つけてきたのだろうけれど。

いじめは子供の問題だけじゃない、大人の方がもっと深刻だ。大人の方が陰湿だ。
いい歳した大人が、どうして他人を容易く傷つけるのか、理解なんかしたくない。

SNSを見ろ。
人の評価を気にしておしゃれぶるインスタグラム。愚痴を書くとバカにされるツイッター。正しい使い方なんてどこにも書いてないのに、誰かが何かをすると○か×がつく世の中。
書きたいなら書けばいい、つらいならつらいと言え、他人のつぶやきを馬鹿にするな。
言わないことを誇るな、好きにしろ。
見えない誰かに何かを伝えられる世の中を楽しめ、それが全てだと思います。

いじめがなくなる日なんてきっとないけれど、
いじめを正当化する気もないけれど、
いい歳した私たちがなにもわかっていないことが何かの原因になっていることを知るべきだと思う。
少子化とか高齢化とか、まずそんなことよりも
今生きている自分と周りを大切にするべきだ。

最後に。
わたしに散々な仕打ちをしたあいつら。
わたしは今、最高に幸せな人生を歩んでいる。
憧れの早稲田大学に進学して、最高の仲間に出会って、夢の仕事についている。
どうだ、参ったか。

おしまい

(この文章は、9月1日に書いたものです。)

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